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私と願子

 私はいつだって願子について回り、ケアしてきた。


 両親は良い姉だと言ってくれた。

 両親から褒められるのも、信用ポイントが重なる点では嬉しかった。


 願子は「おねえちゃんおねえちゃん」と懐いてくれた。


 当時、何よりもごちそうだった。


 願子の周りには、私が手懐けた友だちも大勢いた。願子は毎日楽しそうに笑っていた。


 かわいい。



 両親は想像力が足らないのか、敢えて負荷をかけて乗り越えさせる教育手法なのか、なにかにつけて私と願子を比較し、願子を貶めるようなことを言うことがあった。


 意図があったとしても賢明とは言えず、多分意図もないのだと思う。

 特に母は感情のまま言葉を垂れ流していた。


 年を重ねるにつれ、願子の悔しそうな顔や悲しそうな顔を見る機会が増えていった。



 これはこれで、と思わなくもないが、矢張り願子には笑っていてほしい。



 とはいえ、私が手を抜くのは違うだろう。

 私は信用ポイントを得て好きなように生きる環境を勝ち取りたいというのもあるが、願子自体が、私がわざと両親や周囲からの評価を落とし、相対的に願子が私と比較されないような動きをするなど、望まないはずだ。

 私も、願子にはそう在って欲しい。



 私は自らの努力と才覚で、能力と権利を得て、できることの範囲を広げてきた。

 今後も好きなように生きていくためにも、私は私の努力と、努力に伴う成果を追うことを止めるつもりはない。


 願子にも、自ら求めるものを勝ち取っていける力を身に着けて欲しいと思うのだ。

 仮に私が手を抜いてあげられたとしても、願子が生きていくべき世の中は手を抜いてはくれないのだから。



 願子は、今の環境を受け入れ、諦めの境地に居るようではある。


 歯を食いしばって努力をし、私を超えて比較の憂き目から解放されようといった気概は無く、少し物足りなくは思うが、誇りまでは失っていない。

 受け入れた環境で生きていくと決めたときに、得られなかったことを求めない生き方も決めたのだろう。


 かわいい。



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