私の価値観
両親は好きか?
感謝はしている。
正直言えば別に好きというわけではないが、嫌うほどでもない。
あまり興味が無いと言うと冷たい言い方になってしまうが、違う個性を持った個別の人間同士である。
両親の興味に合わせる必要も沿う必要もないし、否定をするのも筋が違う。
私は私で不足は無く、自分の人生を自分で選び進む環境を得ているのだから、恵まれている。
この環境の礎は両親によって与えられているのだから、矢張り感謝はある。
好きでもない両親に媚びを売って楽しいか?
両親を喜ばせることが、媚びを売っていることにはならない。
私が私の人生を選び進む過程で、結果両親の思い描く我が子に望む生き方と近かったというだけなのだから、別に媚びていないし無理もしていない。
自由を標榜しているような人たちが理想とする生き方と比較すると堅苦しく、不自由に見えるだろうか。
でも、そういう人たちは思い違いをしていないかな。
勉強が、親の言うことを聞くことが、本当に不自由?
別に苦にならないことを十全に全うしたら、学校や保護者がお墨付きの自由が得られるのだ。
変に逆らって無理やり手に入れた、いつどこで叩き潰されるかもわからない仮初の自由なんかよりも圧倒的に使いやすい自由が手に入る。
勿論、権力だの体制だのに逆らうことそのものにカタルシスを得るという価値観もあるだろう。
それは好きにしたら良いのだから、わざわざ私が楽しいかどうかなど、問うてくれなくて構わない。
客観的な評価と印象で言えば、私はクラスや部活などの組織では凡そ中心にいることが多く、頼られたり求められたりすることも珍しくは無かった。
だからと言って、周囲総てに好かれるなどと烏滸がましいことは考えてもいないし、嫌われることもあるだろうと思っている。
私に対しての陰口を、わざわざ教えてくれる自称味方もいて、私の代わりに怒ったりしてくれている。
しかし私自身は、本当に、心の底から、掛け値なしに、全く気にしていないのだ。
強がりでもなんでもなく、織り込み済みの、現実的に掌握しきれないと評価した100%にはならない一部のリスク。
リスク管理とは、想定し得る総てのリスクを事前に防ぐことでは無い。
リスクのもつ脅威と影響を評価して、対応すべきリスクを絞り、必要充分にケアを施すこと。裏を返せば、対応の必要なしと評価されるリスクもあるのだ。
とっくに評価し捨ておいたリスク。
自ら判断したケアしなくても良いとしたリスクが顕在化したとして、慌ててケアしに行く方が無理した動きとなろう。