母の期待に応える私
まだ自我の無かった幼い頃の私は、母の価値観を踏襲した在り方を身に着け、母が理想とする娘となり、妹が生まれてからは、母が理想とする姉となったのだ。
上品で物分かりが良く面倒見も良い。
子どもらしい可愛いわがままは言っても、泣き喚くような無様は晒さない。
賢く愛らしく、明るく人当たりが良く、ほどほどに活発で、遊びはインドアアウトドアバランス良く。その個性に、妹が生まれてからは面倒見の良いお姉さんという要素が加わる。
事あるごとに大人は褒めてくれて、私はそれが嬉しくよりそのように在ろうとする。
自我を持った私は、その在り方を良しとした。
褒められ、認められて、悪いことなどひとつもないのだ。
せっかく周囲が持て囃してくれるのならば、そのまま、いや、それ以上に成ろうと思っても不思議はない。
妹は相変わらず可愛かったし、面倒を見るのが好きだったから、その要素も継続した。
動物園でふらふらとどっかいきそうになっていた妹を追いかけたら巻き込まれて迷子になってしまった。不安で仕方なかったが、泣いている妹を守ろうという使命感の方が強く妹を励ましているうちに不安なんて消えていた。
子どもに滅多にスナック菓子などを与えない母であったので、大好きなポテトチップス「からしーふーど」を食べられる機会は貴重だったが、妹が望めば喜んで譲った。妹が美味しそうにお菓子を食べ、満足そうにしている顔を見られる方が嬉しかった。
妹が親と言い争いをしていたり、怒られたりしていれば、積極的に間に入った。
妹が聞き分けがないために発生しているケースもないではなかったが、母の価値観の押し付けによるものがやはり比較的多い。ただそのまま意見や考えが圧し潰されてしまったら、妹の成長や人格形成に良くはない。例え母を折伏できなくても、その後スムーズに妹のケアに入れる。
無理をしている?
仮面を被っている?
本当の自分はこんなんじゃないって叫んでる?
いわゆる優等生キャラに当て嵌められがちな内面だ。
そういう人もいるのかもしれないけれど、私には該当しない。
妹の面倒を見ることは好きでやっていたことだから無理などあろうはずない。
では、それ以外の要素は?
別に勉強は嫌いではないし、授業を集中して聴き、最低限の予習復習宿題をこなせば、成績は上がる。
ちょっとした習い事程度の頻度の塾通いを同じ集中力で望めば、優秀と言われるに足る成績を収めるのに無理は無かった。
さすがに一位というものはなかなか獲り難かったが、無理せず、部活や友だちとの時間などを充分に取っている立場の人間としては、かなりの成績優秀者と言えた。
これには母は喜んだ。
母の価値観では、がりがりと勉強のみに励んで一位を取るよりも、優雅さと社交性を保ち、勉強以外も充実した生活を送りながら、尚成績優秀というのがお気に召したようだ。