ジュノー博士は夢見が悪い
社会人になり、久しぶりに書きました。
まだまだリハビリ段階ですが、読んでくださると幸いです。
はっと浅い眠りから、男は目を覚ました。
額には汗が滲み、髪をはりつけて気持ちが悪い。
ベッド横の窓から外を見ると、まだ太陽は昇りきれておらず、空には星が光っている。
起床時刻には随分早いが、目覚めた理由は簡単だ。
「またあの夢か……。」
悪夢だ。
ここ最近、ジュノー博士はいつも決まって同じ夢を見ていた。
ジュノー博士は、王立研究所で働く優秀な研究者だ。
安価で使いやすい魔道具を研究する彼は、偉大な成果をあげ、若くして魔道具の第一人者となった。
彼のおかげで王国は100年分の発展を遂げたと言っても過言では無い。
ーーーしかし、そんな天才博士も、夢の中では無力だった。
「……さて、この論文雑誌だったか。
心理学研究室の論文は……、
あった。137ページ、夢診断だ。」
ジュノー博士はサイドテーブルから論文雑誌を手に取ると、読む前に先程まで見た夢を順を追って整理した。
夢の中のジュノー博士は、職場である王立研究所の屋上にいるところから始まる。
柵に手をかけて、無意識に身体を乗り出し、ゆっくりと落ちていく。
「あっ……。」
悲鳴に似た声が漏れ出る。
すると、自分の意識がはっきりと出てくる。
後戻りができない状態では、最悪以外の何物でもないというのに。
ーーー落ちる。
下は底が見えないほどに真っ暗で、何かを掴もうと、手のひらは上を向いている。
嫌に現実的だ。
実際に屋上から落ちたことはないが、そう違わないだろう。徐々に落ちる速度が上がっていき、等加速度運動、つまり自由落下する。
落ちて、落ちて、空気抵抗で等速運動、つまり終端速度になって。底にぶつかる瞬間、目が覚める。
現実では、研究所はそれほど高い建物ではないため、夢らしくもあるのだが。
毎回、同じ夢を見るモノだから、すぐに夢だと分かる。
だが、頭ではわかっても、得体が知れぬ不安、焦燥感に、身も心も情けなくもがき、何も出来ずにいた。
「……研究室にでも行くか。」
ジュノー博士は読み終えた論文を、投げ捨てるようにサイドテーブルに戻した。
◇◇◇
早朝、研究室は論文のインクと実験用の薬品に混じり、コーヒーの匂いで満たされていた。
「ほらよ、コーヒー。」
助手、といっても、ジュノー博士より幾分か年上の男は、そう言ってマグカップを手渡した。
「ひでぇ顔だな。」
「お前が言えた口かよ。」
「ハハッ、それだけ悪態がつけるなら大丈夫か。」
朝、やっと日が昇った頃だと言うのに、助手の男はジュノー博士を差し置いて、既に実験を始めている。
目元の隈を見るに、昨日の夜から寝ずに続けているのだと予測できた。
「すまんな。今の実験は、一度始めたら最後まで止められないんだ。あと半日は使うぞ。」
「いや、構わない。
今日は調査研究の予定だ。実験はしない。」
「なんだ。
調査研究なら、遅くまで論文でも読んでいたのか?」
「そんなんじゃない……。」
「テーマは?
その様子だと納得のいく結果じゃなかったんだろう。
他に良さげな論文を探しているなら手伝うぞ。」
一応、俺は助手だからな。と、男は笑う。
年上の助手は自由勝手だが、わりと面倒見のいい兄貴分のような性格で、意地を張るだけ馬鹿らしくなってくる。
二人だけの研究室で、今更、隠し通せるはずもないと、ジュノー博士は半ば諦めたように口を割った。
「テーマは、夢診断について、だ。」
「夢診断? ……ってことは、たしか、心理学の一種だな。
お前にしては珍しいテーマだが、他所との共同研究か?」
「いいや、個人的な興味だ。」
「へぇ、詳しく話を聞こうか。」
助手は、白衣から懐中時計を出すと、残りの休憩時間を確認した。
今、やっている実験手順を考えるに、試薬を混ぜて、1時間恒温槽に浸け、反応させている段階だろう。
コーヒーを淹れて今までの時間を差し引くと、あと30分といったところだ。
「それで、一体どうしたんだ?」
「……最近、夢見が悪い。そのせいで寝不足気味だ。
研究に影響するまえに、対処したいと思っている。」
「どんな夢だ?」
「研究所の屋上から飛び降りる夢。
……おい、そんな顔するな。俺に自殺願望はない。」
ジュノー博士は男の視線を遮るように、ぬるくなったコーヒーを一気に飲み込んだ。
「……ちなみに、診断結果は?」
「職場の夢は、仕事に対しての思い。
高いところからの落下は、将来に対して、不安・焦りがあるんだと。」
「つまり仕事。お前の場合は研究に対して、将来性を見込めず絶望している、というワケか。」
「天才博士がそんな事思い悩むか?」
「それ自分で言うのかよ。
……他に心当たりは?」
「別に何もない。
だが、今日は実際に屋上へ行ってみようと思っている。」
ジュノーがそこまで話すと、助手の男は眉間の皺を揉むようにを押さえた。
なんでもない、彼が考え事をするときの癖だった。
「……間違っても、夢みたいに落ちるんじゃねぇぞ。
また昼にコーヒーを淹れるから飲みに来い。」
分かったか? と重要な約束でもするように、助手は言った。
本心、心配しているのだろう。この兄貴分の男の、お節介なところは、何度経験してもむず痒い。
「分かった分かった。
……すまんな、迷惑をかける。」
「コーヒーは2杯分淹れた方が美味い。
お前の分はオマケだ。」
デスクの上には、空になったマグカップが2つあった。
ジュノー博士が屋上への階段を上ると、人がちらほらと見え始めた。一般的な始業時間にはまだ早いが、王立研究所ではよくあることだ。
記録用紙を持つ者、望遠鏡を運ぶ者……、顔馴染みはいないため、皆、研究者以下の見習いだろう。
やっと見知った顔に出会えたのは、屋上へ入ってからだった。
「ああ。屋上は、今、天文学研究室が使用しているのか。」
「あら? ジュノー博士。」
若手の研究者・フラン研究員は、挨拶をするようにジュノー博士へと手を振った。
フランは王立研究所でも数少ない女性研究員だ。王立学園を卒業後、教授の推薦により天文学研究室へ配属された。
今年、見習い期間が終わったばかりで、ようやく自分の研究ができるのだと張り切っている。
「さっきまで金星の観測をしていましたの。」
「朝早くから、きみもなかなかタフだな。」
「研究員になってから、ずっと昼夜逆転生活です。
ジュノー博士は、どうしてこちらに?」
「個人的な用事だ。」
「では、屋上の鍵をお渡しますね。返却は事務室へお願いします。
私たちは、もう撤収しますから、ご自由にどうぞ。」
この後、観察記録をまとめるのだろう。
鍵を手渡したフランは、やりがいに満ちた表情で降りて行った。
屋上から天文学研究員がいなくなったところで、ジュノー博士も調査を始めた。
「手すりは結構頑丈だな。地面までの高さは……。」
下を覗き込むと、さすが王立と名を冠するだけのことはあり、建物は高く、地上を行き交う人々が蟻のように見えた。
「だいたい30メートルといったところか。」
終端速度には到達しないが、ここから落ちたら確実に死ぬ高さだ。
もちろん、死ぬ気はないので、手すりを乗り越えることはしないが。
(一体何が原因なんだ、自分は何を思い悩んでいるんだ。)
ジュノー博士は手すりに肘を置き、ぼんやりと考え事をしはじめた。
物事を整理するときは、いつ、どこで、だれが、何を、なぜ、どのように、が基本だ。
(「いつ」。……そういえば、あの夢を見出したのは、天文学研究室との共同研究が終わってからだな。)
天文学研究室は、先ほど会った研究員フランが所属している。
共同研究自体は、天文学研究室からの申出だった。
あちらの博士に宇宙まで飛べる魔道具が欲しいと言われ、ジュノー博士も興味が湧いた。
はじめは、専門外のことで基礎知識が足りず苦労したが、地球の公転周期、引力を振り切れるほどの速度、気流の影響に耐久性…と、知っていく様々なことが新鮮だった。
楽しかったのだと思う。
見習いのフランの手を借りて、実際に魔道具を飛ばし、遅くまで夜空を仰いだ。
この屋上は、その際によく使った場所だ。
(「誰が」は、彼女は関係ないだろう。
あの頃はまだ見習いで、器具の片付けをしていた。
記録用紙すら待たされていなかったんだ。)
そういえば、あの頃に比べて、今日は顔色が悪かった。
ようやく研究員になれたとは言え、まだまだ新人だ。実験に構ってばかりで、寝食を疎かにしているんじゃないか。
共同研究でお互いの好みは把握していることだし、あとで何か持っていってやろう。
「ははっ、俺が他人の心配している場合かよ……。」
ジュノー博士は苦笑した。
先程から、考えても、考えても、フランのことばかり思い浮かべている。
寝不足の頭では理論的な推察は無理かと、諦めたように頭を掻き、ジュノー博士は研究室へと戻った。
◇◇◇
「結局、何も分からず仕舞いだ。」
「それ、わざと言っているのか?」
目の前の助手は、呆れた様子でマグカップにコーヒーを注いだ。
「わざととは何だ? 俺は至って真剣だ。」
「ほぅ、無自覚なのか。
じゃあ、教えてやるよ。お前は、ーーー」
ガチャンと音を立て、ジュノー博士からマグカップが滑り落ちる。
熱いコーヒーが無遠慮に白衣を染めていくが、ジュノー博士が取り乱した理由は別にある。
「いや、待て待て!
それは、論理的じゃない! それに根拠が不純だし、証拠も不十分で、
だから、その、…………明日からどんな顔して会えば良いんだ……。」
顔を赤くした天才博士は、その場にうずくまると、悶えるように独り言ちた。




