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私の脳裏には初夏にも似た五月の、それも運動会がけざやかであった。首尾よく私と彼女が同じ紅組に存している幸福は、校庭に吹いた薫風の運ぶ若々しい匂いの遍満をどこか小説的に感じさせる程に私を酩酊させた。
とはいえ校庭には必ずしも幸せが跋扈しているとは言い難かった。というのも、運動の苦手な生徒の暗鬱が一劃に準備されているからである。無論、私も暗鬱に一役を買っていたので、元来私は運動会という行事に幸福を見出す事は毫もなかった。一見すると前言との間に撞着がある私の問わず語りは、彼女によって――彼女へ執着させたトルソーの衝撃によって正当になったのであった。それどころか彼女の高くもなければ低くもなく、一輪挿しのような気品で戦いだ声援を知っている私であるから幸福の方こそ濃厚であった。
声援は、まるで何かに調教されたように紙雷管の発音に伴って一斉に馳駆した少年の稚拙な足音と、踵から横溢せんばかりの砂埃の舞踏に艶やかさを添えた。とはいえ声援は実のところ自分の組を応援するように仕組まれた一生徒の業務的な発声に過ぎなかった。同じ組の人間が走っているから取り敢えず声を出す。同じ組の人間が順位を上下しそうなので声を出す。声援を送る知人に絆されてついでのように声を出す。校庭に隠顕する応援なぞはそんなものの集合であった。それなのに私を確かに鼓舞したのは、錯雑の中に高尚であり舌たるくもある声を見つけては何の証跡も未所持のままに彼女を想い、耳朶を打ったそれを彼女の声援であると決めつけて私事に捉えたからであった。
ここまでの問わず語りの列挙の前では、私がトルソーの蠱惑でも水着の繊美でもなく彼女に魅了されていたと解釈されても不思議は無かった。それでも私としては亢進する恋慕は彼女に向いているという錯覚に過ぎず、私のいつかの可能を示した思い出の一つが彼女に由来しているとのなまじ事実が記憶に彼女が多い理由であると納得していた。それは一種の瞞着であった。それも自らに阿る瞞着であって、あくまで一般でありたかったように、せめて佯狂でありたかったように、生来の人間的な齟齬を肯う為に性愛に彼女を利していた貪婪であったと決めつけておくに留めた。惜しむらくはそれ自体が奇矯を極めるのに、私は彼女を強か欲した。
修学旅行の季節になると、その冀求は確かなものになった。寝物語の話題でもあった不純異性交遊への憧憬が私を至極の空想へ誘引した事も一因を担った。
余人が己がじし意中の相手を手籠めにする妄想を握りながら編まれる息遣いの荒い会話の間、私はあれ程冀っていたにも拘らず、やはりと言うべきか最初は生動しない絶対的な美の腰付きを思い描いていた。肉体美を宛らの灰白色の造形は果たして美しく、私を恍惚で報いた。とはいえ私はトルソーを手籠めにできた訳ではなく、むしろ物質との情交に至る手立てが不明瞭であった為に、瑰麗の艶冶を眺めるばかりであった。一方周囲は会話によって精緻を極める秀抜な想像力に猛り立っていて、てっきり受験勉強へ変換されてしまったとばかり思っていた肉欲の一片が今手元に年相応の性欲として顕現している様に私は進級してからようやく愁眉を開く思いがした。また、それ故に私の生来の異常――彼らが思い描く異性には毫も興味の起きない極めて狭小な偏愛という異常も再確認されたのである。
私の脳裏にはトルソーがある。彼らの脳裏には幾人の女性がいる。私はトルソーと情交できないでいる。彼らは女性を手籠めにしている。これらの強な径庭は私を傷つけるはずだった。……私が『彼女であれば情交に至れる』と思うことがなければ酷く傷つくばかりで終わるはずだったのだ。
いつか私の脳裏の美は彼女に挿げ替えられていた。それも、腰付きをスクール水着の紺青で飾った瑰麗を宛らの婀娜であって、それはやはり眼福なのである。トルソー程に柔靭な曲線と人間味を忘れさせてくれる紺青色を纏った彼女の想い出は、まさに私が求めていた性交渉の可能なトルソーに他ならなかった。
そのトルソーは触ると物質のように魁偉な触感で報いて、かと思えば幼弱な弾力で報いてくれるような気がした。交接すれば物質的な冷淡さで身躯を動かし、動物らしい情熱を以て喘ぐ気もした。想えば想う程に美は私に都合良く報いて色欲の昇るのを助けた。高鳴りの要領で面映ゆく加速する一種の愛情を息苦しさと見紛う頃には肉欲は体内を這うようであった。
私は妄想に性的快楽を付随させる為の自涜を渇望するあまり、いつかの服屋でのようにまるで痛まない腹痛を口走っていた。例えば私に極自然に勃起が起こるものならば、発言と共に下腹部に手を当て前屈みをし、せめてもの腹痛らしさを示せたのだろうけれども、私にはその概念が毫もなかったので、呼気は荒くも態度は健康的であった。すると異様な腹痛を弁疏にトイレへ急ぐ背には自涜を匂わせる茶化しが向けられるのも仕方がなかった。私は彼等が思っている女性像によって突き動かされたのではないとの事実を内意に留め、彼等の茶化しには応じず半ば早駆けでさえあった。
トイレに駆け込み施錠すると、体の芯から火照るような安心感と高揚が私を魅了した。とはいえトイレは浴槽と共に設置されている一室であったので、何かそれらしい理由で開錠を迫られたり、あるいは強引に施錠を解かれたり、とかくこれから痴態になる人間はあらゆる危機に敏感になってしまうので、思えば既に施錠による安心感は堕していた。
私は下半身を露呈してから三拍ほど待った。すると微かな生活音に怖気づき再度一、二拍待った。するうちに私がトイレで確固たる高揚と向き合おうとしている背景には腹痛を小楯にした脆弱な嘘がある事を思い出し、長時間の滞在は腹痛でない事の証跡か、あるいは啻に心配されるか、いずれにしても此処に誰かしら訪ねてくるだろう事が気になった。行動する恐怖と行動せねばならぬ焦燥の不安定な駆け引きに決定を下す制限時間は手の届く位置に存していた。
……気もそぞろに私はとうとう肩幅程に股を広げて、それから掌に乗せるようにした恥部を覆うように握りながら特定の行為を粗暴に反芻するに至った。時に力み時に敏速に時に愛撫の手付きで擦過したそれは、私をどれ程の時間高鳴りで応じていたかは明瞭でない。ただ私には無窮に存するような、しかるに寸時でしかないといった得も言われぬ時間間隔が魅せた趨勢に従って感興を昇らせた。
その際、脳裏で彼女は乱れていた。前戯も何もなく、始まりから機械的な運動と恣意的な運動を思いのままに使いこなして乱れた。あるいは私が乱れさせたと考えるのが心地が良かった。機械程の冷淡さは私の太腿と彼女の太腿が密着する度毎に火照ってきて、弾くような肉の音が少しばかり粘着的になった頃には最早人間らしい体温を魅せていたように、私の不能が立派に可能を示して乱れさせたと信じる事を好んだ。そして彼女の悲鳴のような喘ぎを受けて何か人助けをしたように誇らしく、そして一掬の罪の意識がそれを快楽であると解釈させた。
五分と閲しただろうか。私が可能の気持ちで絶頂を迎えたのは、彼女の喘ぎが肉と肉が密着しては剥離するあの規則的な愛情表現の性的な動作を云わば表現次第で愛にも性にも変化するという単一の行為である事を証明した頃であった。もっとも、性行為の可能なトルソーというロマネスクと彼女という現実が錯雑している時点で彼女が何かしらの調和を魅せるというのは至当であったのかもしれなかった。
どれだけ語っても、どれだけ記憶を曲解しても、私が可能であったという事実が存在しない現実は変えられなかった。それは得てして私の瑕瑾の程度を増すようであったのに、しかるに私は迸りの激甚たる余韻に酩酊して決して不能や欠落に眼を向けようとはしなかった。むしろ、可能であったのだと捉える方を好んだ。絶対的な美から連想された彼女を手籠めにした感覚に私は従いたかった。とはいえ現実は酩酊を齎す事もなければ私には強か刺激が強いので、今しの抱懐が誤謬であると自覚するまで時間は要らなかった。
余韻の薄れた白眼視の先には可能を示していた素振りの無い徹して魁偉を湛えぬ怠惰さがあり、私はそれを信じたくはなかった。もっとも昔から馴染んできた身躯の構造なので信じたくなかったという表現は適しておらず、相変わらずの陋劣な反応であると睨めていたと表現する方が正しいはずであった。
この、可能の気持ちであった実のところの不能に納得できないでいるかのような環境は、三拍四日の日程の深更に自涜という義務を与えた。実際は毎夜のさもしい寝物語が私を澎湃たる妄想に導く為に、欲動に嗾けられた私が決して痛まない腹痛を訴えていたという方が信憑性が高かった。いずれの動機にもせよ間違いの無い点は、自涜の最中に於いては確かな可能を示している気がしてならなかった事実が、惜しむらくは脳神経を犯す性的快楽が私を幻影で抱擁していた云わば虚妄に過ぎないという事だった。
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性にかまけていた私の修学旅行も残すところ帰路ばかりとなると、思い出したかのように行われる御土産の選別に私も存していた。御土産と言えどこの頃となっては駅の構内で購入するしか選択肢が存在していないので、己がじし購入するであろう物品は似通い誰が誰の為の御土産を選別してるのか定かでないような気がした。
私も人気の箱菓子を三箱手に取りながら会計を待った。待つ間他の商品を視線で品定めしていると数点の小物売り場に眼が止まった。私の脳裏には茫々と彼女が侵してきていた。
まず私は遠目にあるストラップが彼女に適していると考えた。それから彼女に着用して欲しいと願望を抱いた。その実それらは渡しもしない彼女への御土産を購入する為の託言であったが最早私には動機なぞ末梢的であり、彼女への御土産を購入するという決定事項に興奮し、その頃にはお菓子を購入している他生徒の背中に、恋人のいる男子生徒が纏わらせているような嫌味を重ねた眼差しを向けていたのである。
私は隊伍を崩し、箱菓子一箱を陳列棚に置き捨ててから小物売り場へ急いだ。そして、数日の自慰行為の余韻が未だ濃厚な手で小さなマスコットのストラップを握った。何故小さなそれであったのかと言えば、惜しむらくは倒錯的な理由は存しておらず、単に値段が箱菓子と同程度であったからのことであった。
いずれにもせよ、三日間の自涜で汚穢を得た私の掌が一つの清潔な物に触れる行為に涜神且つ背徳的な至高の沖するのを覚えた。ましてや背景には彼女がけざやかであったのだから、その冒涜は強かであった。その為であったろうか。猛り立つ私には汚穢の手でストラップを握り締めながら購入へ踏み切る勇気があった。
店員の面差しはきっと蔑視であった。初対面で一体何への蔑視を私に向ける謂れがあるのか、あるはずがないそれを思惟しながらも、生じた被害妄想は彼女へ届かない贈り物を彼女の為に汚した手で持ち寄った異質さを自覚していたからであったとも理解していた。しかるに私には似気無い商品を今に購入しようとしている厚顔無恥に向けられた蔑視であったのだとの考えを尊重した。
とはいえ有るか無きかの蔑視は実に末梢的であった。先に述べたように彼女へのお土産の購入に私は一入の興奮に至っていた為に実のところ考えはせども意に介す事は無かったのである。それどころか英雄的行為を遂行でもしたように誇らしく思える瞬間もあって、その情は店員の態度が一つの嫉妬を以て形成されているような勘違いを引き起こした。敗者が勝者へ向けるような嫉視に少しばかり見栄を張って蔑視のふりをしていたはずの店員が事務的な手際で会計を済ませると、私の耳朶を打ったのは結局朗らかな有難うございましただった。