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彼女の水着の逢着爾来、私は煩悶とした起き伏しに徹していた。というのも、彼のトルソーを認める機縁が乏しく、また、例えば洋服を探すといった銀流しの動機の、それも私が思うはずもない理由を弁祖に服屋に赴いても着膨れし繊美の腰部の存在しないトルソーしか凝立しておらず、その風采は酷烈なまでに理想とは乖離していて、ともすればトルソーへの偏愛を瓦解する一因になりかねなかったものだから、いつか疎遠になっていたのであった。そればかりか小学校のプールにも縁が無かった。もっとも公共プールには一再ならず赴きはしたものの、目路の水着姿は陽気な壮丁や、乳房の発育を自慢するようにした女性、摂生し作り上げた肉体を自慢するように面積の小さな水着を着用した男女ばかりが存し、私を幸福を以って抱擁した姿は皆目生存していなかったので、それは徒労と伴った悄然が応じたばかりであった。そうして私の夏休みは不完全に終わり、始まった二学期、年越し、それから三学期を迎えた頃には最早瑰麗を探そうともしなくなって啻に意気阻喪を以て時間を潰すようになった。
意気阻喪というものは現前を極めて退屈に、それでいて正確に描画する為に、進級後の教室に私という一種の夾雑物をけざやかにした。面々の大々的な変化が訪れなかった教室は、それでもしっかりと中学二年生程の多感を消失させ、云わば青年を据えたいわけない高尚が毒さんとする中、私という決して毒されずに確かに存在する現状維持の、それも酔狂という逸脱があったからである。
未だの奇矯というものは径庭を深めた。彼等の異性に対する欲望が――勿論全ての肉欲を手放したとは考えないが、それでも確かに受験への意欲へ整形された現実に私は置いて行かれてしまったのだ。とはいえ、彼らでも二、三日の間隔で女体の肉感と白皙に春情を催してはいたのだろう。その二、三日。青年であれば丁度いいような間隔で行われる自涜の回数であったのに、まるで過少であると示さんばかりに私が美を想う回数は多かった。その泥濘の如き多感は陥れば陥るほど差異を示して、やがて切先の鋭利さを以て私を否定するようであった。私はトルソーと出会い水着姿と邂逅した往時以来不能を極める奇態な身躯を虐めることでしか否定に耐える事が難しかった。快楽が魅せる一つの幸福状態は得てしてより深く泥濘に脚を沈ませ否定を強め、今度は反駁するように事務的で能動的な自涜を増さざるを得なくなるのである。でもそれらを美や彼女は肯ってくれるような感じがするのは、きっと附会の所以であった。
進級から旬日程あって、私はスクールバスの車内に彼女を見出した。今月初めて訪れた雨天は、彼女との遭遇という恵みを付随するものであったので黒雲に似気無く私を悦に入れた。
思えば往時の雨は日付を跨いで間もなく降った。寝入る頃には小雨であったそれは起床と共に沛然を見せ、結局滂沱と降った。しかしながら不断の雨が降っていなければ私は当座に彼女を認めてはいなかったので、私は沛然のいつか滂沱を破廉恥にも今頃になって欣喜した。さりとて旬日を迎えて初対面であったのは、私は日頃自転車通学をしているからであり、また雨天時には自転車の搭乗を禁じられる為でもあり、それから入学式での目撃という些末を嫌い、正に邂逅といった風の逢着を好むからでもあった。その為に私は雨天の折に彼女が新入生であると知った事を記憶しているのである。
雨天の邂逅は応護のような感じがした。目に見えぬ何かが、悶々としていた私を見兼ねて意図した鉢合わせと思えた。しかしながら酷く涜神に満ちた私へ応護など存在しないことは自明であり、しかるに私は応護を覚えているのは、蓋し彼女の顕現と佇まいとが神聖さと見紛う光芒であったからなのだと決めつけた。
車内後方の長椅子に彼女は嫋やかな居住まいで存していた。しめやかな端座は彼女を挟むようにして座っていた女生徒のしどけなさを著しくし、また彼女の高尚さを定かにした。幸か不幸か彼女は左右の同性と談笑する場面があったので、今考えれば夙に花盛りを宛らの美は生動という突風に吹かれて落英していたかもしれない。
さればとて彼女の端麗というものは存していた。左右と参酌して白皙な様はきっと生来の魅力であるのだろうし、挙止の手弱女の感じというものも端倪すべからざる妙麗を担っていたはずである。ただ彼女の美というものは面貌に納まっていて、私が可能を示した絶対的な美の風采というものは思えば佩していなかった。至当ながら艶冶な水着姿を纏っているはずもなく、啻に制服姿であったそれは、さも成長を見据えたように幼弱を感じさせぬ大きさの、それでいて居丈高にも神妙な、極めて隊伍的な風采だったのである。故に制服に身を包むばかりでいわけなさの醸成は終了し、奇しき大人らしさで、プールに映えた欣喜の面差しを物堅そうな冷艶に整えられた。一年前の緩慢にもうねる頭髪が校則の圧制によって謹直にも流麗な引っ詰めに調整されたこともおしゃまを匂わせていた。私が先にバスを降りる際、彼女は決して私を見てなどいなかった。
とかく彼女という僥倖を経験してからというもの、私は頻繁にバス通学を志した。とはいえお小遣いの濫費は看過できないので雨天以外にバスを用いるのは精々週に一度が際限であったものだから、惜しむらくは当座に於いて彼女は私の存在を認知していないはずであるのは今しの下車の仕草にも如実であった。延いては昵懇への端緒を築くことさえ無縁であるはずだった。
しかしながら私の記憶は彼女との会話を覚えているのである。しかるに私は彼女と言葉を交わした事実など持ち合わせていなかった。この言下に否定されるような齟齬は、同じ日に二度三度鉢合わせた人間がそうするような末梢的な会釈に懇ろを見出す異質さの要領で、先の彼女の様子を材料に作られた附会なのであろう。あるいは私の回顧癖とでも称すべき過去への耽溺が、繰り返される往時に身勝手な注釈を添え、それには彼女との会話が暗示されているからなのかもしれなかった。
その暗示の効力は凄まじく、彼女の施す何気ない仕草でさえ一つの手管のように整形してみせた。酷い時には、彼女が存在しているばかりで誘引を思った。
……この啻にトルソーの面影を彼女に重ね、勝手に何かを期待するに他ならない私の行為を岡惚れと形容すれば少しは美談に聞こえるだろうか。岡惚れであれば正当に思えるだろうか。たとえ本当に岡惚れであったとしても、それは極めて一方的である為に間もなく凶悪性を宛らに不逞へと嗾け、奇しくも私の半生の趨勢を知悉していたように一再ならず侵食を、そして纏綿の輪郭を構築し始めるのに違いなかった。