【短編版】殿下、婚約破棄は分かりましたが、それより来賓の「皇太子」の横で地味眼鏡のふりをしている本物に気づいてくださいっ!
「アイリーン・セラーズ公爵令嬢! 私は、お前との婚約を破棄し、このエリザと婚約する!」
「はい分かりました! すみません退出してよろしいですか!?」
今は婚約破棄どころではないのだ。もっと大変な、災厄の塊のようなものが、来賓席でわざとらしい笑顔を貼り付けてこちらを見ているのだから。
「な……っお前は! 平民でありながら極めて優秀な成績を収めているエリザに嫉妬し! その」
そんなのどうでもいい!
まさかそう叫ぶわけにもいかないけれど、本当にどうでもいい。一切心当たりはないのだから、どうせ嘘だろうし、それでもこの国の王太子がそうだといえばまかり通ってしまうのだ。
それより今すぐ黙ってほしい。そして振り返って来賓席の方を見てほしい。
そうしたら、驚いたようにこちらを見ている、今日訪れた帝国の「皇太子」の顔が、どこからどう見ても本物の皇太子ではないことに気づくだろうから。
「その醜い感情から、エリザに散々な嫌がらせを」
そのままつらつらと、私のやった嫌がらせとやらの内容を語る殿下。その横で殿下の腕にしがみ付く平民の少女。
けれどその言葉はほぼ全て通り抜け、私の視線は遥か後方、「皇太子」の一歩後ろに下がったところにいる、地味なくすんだ色合いの髪をして、その顔に不釣り合いな大きさの眼鏡をかけた1人の男性に注がれていた。
何やってんですかヴィクター殿下!
その気持ちを込めて睨みつけると、その薄い唇が楽しげに上がったのが遠目でも分かった。
その視線を誤解したのか、今はもう元婚約者となった王太子殿下の勢いが増す。
「分かったか! したがって私はそなたとの婚約を破棄する!」
「分かりました! 後日両家を交えてお話させていただければと存じます! 失礼します!」
叫ぶように言って、ホールを飛び出した。あの男に、外に出るように目線で促すことも忘れない。
数年ぶりの再会。最初に抱いた感情は間違いなく、何をやってくれたんだという殺意だった。
◇
私の暮らす国、スレニア王国は、北方の隅にある小さな王国だ。大きな利益をあげる特産品もなく、特に裕福なわけでもなく、必要最低限の外交をしながらひっそりと存在していた。
そして、南の帝国、エルサイド帝国の支配を、真っ先に受け入れた王国でもある。最初は散々に非難されたと聞いているが、抵抗した隣国が圧倒的な国力差で叩き潰されているのを目の当たりにし、今では英断と称えられるようになった。
その温情として、スレニア王国はかろうじて自治を許されている。と言っても、実際は放置に近いのだが。
何度も繰り返すようだが、特に国防の要でもなく、経済の要でもなく、ただ単にひっそりと存在するだけの王国なのである。気楽でいいとも言う。
とはいえ完全な放置でもなく、時折、帝都から視察と称して役人がくる。そのはずだったのだが、最近いきなり、皇太子その人が来ると知らされて国内は大騒ぎになった。
そしてさらに。
「まさかその皇太子まで偽物なんて、普通思わないでしょうが!」
「相変わらず騒がしいな、アイリーン」
「うえっ!?」
急に後ろから声をかけられ、淑女にあるまじき声を上げた私を、楽しそうに見るこの男。
水色と言うか、灰色と言うか、なんとも言えないくすんだ色の髪。高くもなく低くもない身長と、やや長めの前髪。顔の多くを覆うのは、明らかに不釣り合いな大きさの眼鏡。
エルサイド帝国皇太子、ヴィクター・エルサイドその人である。ただし、変身後の姿。
「お、お久しぶりですわ殿下」
「ん? 俺は、ただのしがない下級役人だが?」
「私相手に惚けても無駄だと存じますが」
「お前も俺相手に取り繕っても無駄だろうが」
「……」
そして口の減らないこの男は、私の留学時代の友人でもある。大変に、不本意だが。気に入らないが。認めたくはないが。
私が、王太子妃教育と称してエルサイド帝国に留学したのは数年ほど前のことだった。私としては現地の学園に通い、趣味の研究に没頭しつつ社交をしつつ、平穏に留学を終えるはずだったのだが。
この地味眼鏡に絡まれ、さらにひょんなことからその正体を知ってしまい、友人と呼べなくもない関係になった後に帰国した。そして、もう二度と言葉を交わすことはおろか会うこともないと思っていたのだが。
「久しいな」
「しれっと挨拶する前に、なぜこんなことになっているのかご説明願えますか!?」
「落ち着け。禿げるぞ」
「禿げっ」
まさかないとは思うが、咄嗟に髪の毛を押さえた私を見て、いつの間にか瀟洒なベンチに偉そうに腰掛けていた殿下は、揶揄うように笑った。
とはいえ、いい加減落ち着いた方がいいかもしれない。大きく息を吸って、面倒になってその隣に腰を下ろした。庭園はしんと静まり返っており、人気はない。それもそうだ、ホールでの混乱を抑えるのに必死なのだろう。
「殿下、なんでまた、変身して視察など滅茶苦茶なことを。変身薬の乱用はやめてくださいと留学時代に散々申し上げましたよね?」
「お前は母親か」
「主治医みたいなものでしょうが。私は、純粋に殿下のお身体を心配して」
「分かっている」
ため息をひとつついて、大きく足を組む。その地味な造形に似合わない姿に、思わず眉を寄せた。ものすごく偉そうな下級役人がいる。あと、素直に感謝してほしい。
「だがこれには、重大な理由があってだな」
「……はい」
「俺は、本気でこの国を見極めにきたんだ」
「と仰いますと?」
「スレニアの人間、この時点で皇太子が偽物だと、アイリーンを除いて誰1人気づいてないだろう? 偽皇太子は、確かに変身薬で簡単な背丈と髪色くらいは俺に合わせてあるが、顔はほぼ変えていない。と言うか、変身薬にそこまでの効能がないのは、お前も知っている通りだ」
私の専門は変身薬だ。言われなくても、よく分かっている。きっと殿下よりも詳しいだろう。
身体のつくりを根本的に変化させる変身薬には、もともと激烈な効能を持つものは使用できない。使用者への身体の負担が大きすぎるからだ。
ほんの少し、身長を高くしたり。髪を伸ばしてみたり、色を変えてみたり。少しだけ、鼻を高くしたり、輪郭をふっくらさせたり。できるのはせいぜいその程度だ。
しかも、数種類の同時服用は基本的に不可能だ。薬同士が反応して、拒否反応を起こすことがある。それで死に至ったケースがあることも、過去に確認されていた。
そこまで考えたところで、まさか、と殿下に確認する。
「まさか、ライアン様にも変身薬を飲ませたんですか?」
「ああ。と言うか、よくライアンだと分かったな」
「いや、ライアン様以外の何者でもありませんでしたよね?」
ライアン様は、殿下の側近だ。腐れ縁と本人はよく嘆いている。そうして、こういう時に犠牲になるのは、大抵彼だ。不憫で仕方がない。とびきりの面倒を背負った彼に、心の中で手を合わせる。
「話をそらさないでください。殿下が変身薬を複数乱用するのはもう諦めましたが、側近にまで身体的負担をかけるのはどうかと思うのですが」
「アイリーンが調合した拒否反応の解毒薬を渡しているさ。それなら無害だ」
「まだ持ってたんですか?! 正式な権利は帝国の研究所に渡しているんですから、そちらから新しいものを買ってください! 改良もされているはずです!」
「お前が作ったやつの方が効きが良いんだよ。ああ、そうだ、追加注文。身長調整と髪色と――」
「ですから、待ってください。私の調合はあくまでも趣味です。帝国の皇太子様に気軽に飲ませることなどできるわけがありません。そんなことより、ライアン様にどれを飲ませました? 組み合わせによっては、解毒薬が」
「問題ない、お前の残した辞書には目を通してある」
辞書。
一瞬訳が分からなかったが、すぐに思い出す。変身薬の効能と、各組み合わせごとに発生する拒否反応、その解毒薬をまとめた私のレポートだ。複数の研究所にも認められたもので、訳あって私の名前で発表こそできなかったが、少なくとも正しいことに自信はある。
確かに分厚くなったが、辞書とまではいかない。辞書の、せいぜい3分の2くらいだ。いや、4分の3かもしれない。
「それなら、大丈夫かもしれませんが。なんでそんな面倒なこと……」
「そういえば話が逸れたな。俺は試すために来たんだよ。この王国を、な。偽の皇太子に気づくか、気づいた後どうするか、皇太子ではない一介の役人として見にきたというわけだ。何度も言っただろう、皇太子とそれ以外で露骨に態度変える奴にろくな人間はいない」
「……面白がってるのが何割ですか」
「俺は至って真剣だが?」
今更、わざとらしく真剣な表情を作って見せる殿下を、一発殴りたい衝動を抑える。
「今更、私相手に取り繕っても無駄だと思いますよ」
「さすが、俺のことをよく分かっている。3割だな」
「本当のところはどうですか」
「……半分と言ったところだ」
「だと思いました」
「ああそうだ、俺の正体を誰かに明かしたら、俺の計画を台無しにしたということで、不敬だからな?」
「っ都合よく不敬を乱用しないでください!」
こういう人だ。
もともと、変身薬を乱用し、視察と称して市井に潜り込むのが趣味のような男だ。一応視察もしているようだが、前は肉屋の主人と意気投合したと聞いている。酒場の妖艶なお姉さんと良い仲になったとも。
ふらふらと歩き回って、周囲を困らせる天才。だが、本人も皇帝になるまでの期限付きだと言っているし、公務はしっかりとこなしているから周囲も何も言えないのだという。
私の元婚約者と言い、どこか頭がおかしくないと国の頂点には立てないのだろうか。
そう考えた瞬間に一瞬揺らいだ顔を、殿下は見逃してはくれなかったようだった。
「それで、大丈夫か」
「私ですか」
「他に誰がいる」
「別に、あまり気にしてません」
「強がるなよ」
「別に」
ぐっと、腰を引き寄せられた。急な密着状態に驚いて強張った私の身体を安心させるように、殿下の手が背中を軽く叩き、私の頭に乗る。どうやら、慰めようとしてくれているらしい。
留学時代も、面白がりながら何かと理由をつけて私に触れようとしてくる殿下を、婚約者がいるからと断っていたのだが、今はもうその必要もない。拒否するのも面倒で、私は殿下の触れるままに任せた。
「情とかは、ないですよ。もともと王太子妃なんて望んでませんでしたし。私がやりたいのは変身薬の研究で、一番楽しかったのは留学時代でした。だから解放されてすっきりはしているんですが」
「ああ」
「……まあ、一応、一生かけて身につけてきた色々が認められなかったのと、無駄になった悔しさはありますね」
「無駄ではないと思うが?」
ふっと笑った殿下が、私の顔を覗き込む。本来の透き通るような美貌には似合う表情だが、地味眼鏡下級役人には似合わない。違和感で落ち着かない。
「今からでも、王太子妃になれば良い」
「何を仰るんですか、婚約破棄されたばかりですよ」
「継承権を持つ婚約者のいない男は、世界に1人だけというわけでもないだろう?」
段々とその言葉の意味が沁みてくる。つまり、この男は。
「ご冗談を。いつも通りで安心します。……慰めてくださって、ありがとうございます」
「俺は至って本気なんだが?」
「私相手に取り繕っても無駄です。もう一度やりますか? ……まあこれでも、それなりに本気で感謝してるんですよ?」
王太子妃の座に拘りはなくても、公衆の面前でのあれはさすがに堪えていたようだった。ふっと身体の力が抜ける。器用に私を支えた殿下の表情は見えないけれど、その手つきは優しかった。
「それにしても、来賓の皇太子の前で婚約破棄なんて、何を考えているんでしょうね」
「後で覆されないようにしたかった、と言ったところか。あの女よりはアイリーンを慕う人間の方が多いだろうし、最大の証人が欲しかったんだろうさ」
「それで、帝国の皇太子の目の前で婚約破棄なんてしますか? 神経を疑います」
「誤解するなよ? 俺も心底軽蔑したし腹が立っている」
「すみません、お見苦しいところを」
「いや、そういう話ではないんだが」
ゆっくりと、殿下の身体から身を起こした。随分と甘えてしまったようだ。少しばかり、予定外だった。
「そういえば、解毒薬の注文を聞かせてください。研究所の方につてがありますから、どうにかします。効果についても、私の方から働きかけてみますよ。郵送なり手紙なり、後で連絡を取りますから」
「……断る」
「なぜですか」
「アイリーンはもう俺に会わないつもりか?」
「明日にも、私は公爵家に戻されると思いますので。殿下は城に滞在されるでしょう? それにそもそも、会いたくても、普通お目にかかれるような方ではないでしょう」
「会えるとしたら、会いたいのか?」
「……まあ、そうですね」
渋々だが、肯定した。この人は放っておくと変身薬を乱用する。いつ身体に限界が来るか分からない。会っていなかった数年の間に私の薬も使ったというし、一応責任を持って身体の状態を見ておきたかった。
そう説明した途端に不機嫌な表情を隠さなくなった殿下。この人は私が殿下の身体を心配するといつだって嫌そうな顔をする。だがこちらとしても、自分の身体そっちのけで暴走しているところをただ黙って見ていることはできないのだ。我ながら甘い性格をしていると思う。
苛立ったような様子のまま、殿下が告げる。
「それなら、俺の世話係でもやってくれ。滞在期間中だけだ」
「……世話係?」
「世話係でも接待役でもなんでも良いが、大抵人を出すだろう。俺の方でアイリーンを指名するから、受けろ」
「いや、私婚約破棄されたばかりなんですが」
「帝国の皇太子が良いと言えば、大抵のことは通るだろう」
「……分かりました。引き受けます。その代わり、健康観察だけですから。そういう世話はしませんよ」
「何、期待したのか?」
「っしてません!」
真っ赤になった頬を隠すように、俯く。
大抵こういう時につけられる世話係というのは、夜のお相手をする女性であることがほとんどだ。もちろん婚約者や妃がいれば遠慮されるが、殿下にはどちらもいない。噂によると、ずっと本人が逃げ回っているのだとか。相変わらず自由な人だ。
「なら、明日から頼むぞ」
もう少しここに残るという殿下と別れて、馬車を呼ぶように連絡を出す。まだパーティーは終わっていないが、私が戻っても空気が死ぬだけだろう。ただでさえ、重鎮たちは婚約破棄で滅茶苦茶になった場を立て直すので必死のはずだ。
家に帰った時の反応を考えて今から気が重いが、仕方がない。書類関係も膨大になるだろうが、その程度で解放されるなら構わない。家族への迷惑に関しては申し訳ないとしか言いようがないが、今更嘆いたところで変わらないのだ。
叶うなら、帝国に行きたいと思った。文化の発展したあの国は、ここよりもずっと学びが充実しているし、私のような研究に熱中する女性も受け入れられるかもしれない。
ようやく到着した馬車に揺られながら、ゆっくりと窓の外を見つめていた。
◇
「あのアイリーン様、婚約破棄された後に他の男性とお話されていたんですって」
「え、どなたと?」
「それが、なんでしたっけ……名前も覚えておけないような、なんだか冴えない感じの、少々いまいちな男性だったので」
「そんなことありませんよ!」
殿下の宣言通り世話係なるものに任命され、渋々城に上がった翌日。早速噂になっているのを見かけ、本当は素通りしようと思ったのだが、聞き捨てならない発言を耳にしてしまった。自分の噂に乱入するのは居た堪れないが、背に腹は代えられない。
「あの方は、確かに印象は地味ですが! よく見ると綺麗なお顔をしてらっしゃいますし、思慮に満ち溢れた方ですし!」
「あ、アイリーン様?」
本気で戸惑った声を向けられ、私は慌てて弁明する。
「い、いえ。彼は体調を崩した私を介抱してくださっただけで、そういう仲ではございませんわ」
よく、考えれば。
殿下の正体を明かすことは、殿下自身に口止めされてしまった。しかも、話せば不敬とまで脅された。半分くらいふざけてはいるのだろうが、殿下の正体を明かすと終わり。
とはいえ、そんな重要な情報を隠し続けていたことが知られたら、私がこの国で裏切り者扱いをされるかもしれない。だから、私が殿下の正体を知っていると知られたら終わり。
しかし、このまま正体を知られぬまま行くと、この国に対する殿下の評価が底辺を彷徨うことになる。この国に深い愛着があるわけではないが、一応家族もいるし、友人もいる。だからそれは、見逃せない。
しかも、普通に殿下(仮の姿)の悪口を言っているので、一歩間違えたら、不敬。つまり、殿下の正体に誰も気づかなくても、終わり。
私、詰んでない?
そう思いつき、昨夜、散々考えた作戦がこれだ。
「素敵な方でしたよ? まるで、皇太子のヴィクター様のような」
私が正体を知っていると悟られないようにしながら、不敬を防ぎつつ、彼の正体に気づいてもらう。これしかない。
「何をおっしゃってるのですか? ヴィクター様はもっと素敵な方ですわ」
お願い、やめて、不敬。他ならぬヴィクター様の話をしているの私は!
「いえ! そういう言い方はあまりよくないと思いますわ!」
普通に会話が成立していることに、少し驚く。
婚約破棄された公爵令嬢、かつ帝国の皇太子の世話係となれば、どれだけ奇異の目で見られるかと思っていた。もともと世話係というのは、もしかしたら玉の輿もありうるということで人気の役割だったが、私自身には婚約破棄という汚点がある。嫉妬されるか、軽蔑されるか、遠巻きにされるか。
そんなことを想像していたのだけれど、想像以上に、普段と変わらない態度に驚いた。けれど様子を見るにつれて、納得した。
皆、なかったことにしたいのだ。究極の来賓がいる中で自国の王太子がやらかした過ちを、見て見ぬ振りをしている。
さらにいえば、こんな死ぬほど忙しい時期に、さらに王太子の婚約者の変更などという面倒な手続きをしたくないのだろう。今は、王太子の婚約者の座は宙に浮いていると言ったところか。きっと本人たちだけが、新婚気分で楽しんでいるのだろう。
そして帝国側も、面倒を避けるためにその芝居に乗ってやっているのだろうか。殿下の真意はよくわからない。
けれどそれは気にすることもない。今私がしたいことはただ一つ。
私は、できるだけ穏便に帝国へ逃げたい。だからそのために、自国からも帝国からも、不敬を、何がなんでも回避しなければならないのだ。
「すみません、つい興奮してしまいました。あの方を地味眼鏡と仰らないことだけ、お願いいたしますわ」
「……まさか、アイリーン様はその話をなさるために私に?」
「ええ。どうしても聞き流せなくて、失礼とは存じましたが。申し訳ありません」
「い、え……」
これで1人目。こうして少しずつ、不敬の芽を摘んでいくしかない。その途中で誰か、気づいて欲しい。私1人が背負うには重すぎる。
彼女の元を離れ、ゆっくりと客間に歩いていく。その途中で、再び殿下が話題になっているところを見つけた。
「だって、地味眼鏡で」
「違いますわ! 一見そのように見えますが、深く関わっていくにつれて、あの方の懐の深さや、思慮深き皇太子と謳われるヴィクター様のようなそのお考えの深さにお気づきになるに違いませんことよ! 浅慮によって彼を悪く言うのは、得策ではないと存じます!」
「アイリーン様?! は、はい」
「ご理解いただけました?!」
「……っはい!」
呆然と私を見る2人の令嬢に背を向けて、私は城を歩く。
◇
そうして、冷や冷やしながらもなんとか乗り切っていた数日後。
噂をしている様子の令嬢数人を見かけた私は、大股で近寄った。私と殿下が会っていた姿は、一応介抱してもらっていたという設定にはなっているが、色々な人に目撃されていたらしく。なんであんな地味眼鏡なんだとか、あのアイリーン様と地味眼鏡は釣り合わないだとか、ちょっと信じられないレベルの不敬が飛び交っているのだ。本当に、心の底から、やめてほしい。怖い。寿命が何年あっても足りない。
そもそも殿下の変装だって、変身薬を使っているとはいえ、顔はほぼ変わっていないのだ。
私が初めて会った時には顔まで変えていたが、拒否反応が恐ろしくて無理矢理やめさせた。だから、見る人が見れば彼の正体には気づくと思ったのだが。今のところ、気づいている人には出会えていない。
そういうところも含めて、きっと殿下は試しているのだろう。
風に乗って、彼女達の話し声が届いてくる。
「アイリーン様、もしかしなくてもあの方のことを慕っていらっしゃるのでしょうか?」
「あれだけ必死に噂を訂正なさっているんですもの、きっとそうですわ!」
「婚約破棄された日に介抱された方に恋に落ちる……まるで物語のようで素敵ではありませんこと!」
ちょっと待ってほしい。私が言いたかったのは、断じてそういうことではないのだ。
「違いますわ!」
「あら、アイリーン様。ごきげんよう」
「ごきげんよう。なんだか、違いますわ、と聞くとアイリーン様を思い出すようになってしまいました。最近で何回聴いたかしら」
「ごきげんよう。ではなく、どうして私があの方を慕っているという話になるのです?!」
「違いますの? あれだけ必死に庇ってらしたのですから」
「違いますわ! ただ私はあの方の本当の姿をお伝えしようと」
そこまで言いかけて、黙る。流石にこれ以上言及すると終わりか。正体を明かした扱いになるのか。
「素敵ですわ! きっとアイリーン様の瞳の中に映るあの方の姿は、さぞ美しくていらっしゃるに違いありません」
「別に、お慕いしているわけでは」
「あら、照れていらっしゃるのですか?」
そうじゃない!
内心の全力の否定を顔に出さないように気をつけながら、曖昧に笑う。色々と不本意な方向に噂が広がってしまった。殿下の機嫌を損ねたらまずい。即不敬コースだ。それだけは避けたい。
けれど、今の私が否定したところで、彼女たちは聞く耳を持たないだろう。
「今度、お会いしたいですわ」
あなたが会いたがってるのはヴィクター殿下だよ!
全力で言ってやりたい気持ちを抑え、微笑みながら、2人から離れた。それから殿下の部屋に行くまでの間、耳にすること何十件。
「アイリーン様、すっかりあの地味な方を慕っておられるのね?」
「アイリーン様があんなに頬を紅潮させてお話になられるの、初めて見ましたわ」
「ベタ惚れ、ですのね?」
うふふ、と楽しそうな笑い声が聞こえて来る。
いつの間にか、私は地味眼鏡のことが好きで好きでしょうがない公爵令嬢になっていた。どうして。本当にどうしてこうなった。
殿下の部屋に辿り着き、軽く扉を叩いて様子を窺ってから入室する。
「おー、アイリーン」
「殿下」
今日は公務はまだらしい。変身薬を飲むことなく、だらりとソファに身体を投げ出した殿下が、こちらにゆるりと手を振った。
すらりとした長身。眼鏡で覆われていた目は美しい青。髪と同じ銀糸の睫毛が、その瞳に深い影を落としている。相変わらずの美貌と、それを無駄使いするようなだらしない姿勢に、変わっていないなと苦笑する。
「殿下。先ほどから信じられない噂を耳にしているのですが」
「俺とアイリーンが恋仲というやつか?」
「色々と語弊があるようですが、殿下ではなく地味眼鏡の姿の殿下です。そして恋仲ではなく私の一方的な片想いです」
「揶揄っただけだろうが。それくらいは分かっている」
「でしたら、少しくらい慌てたらどうでしょうか」
「なぜ?」
なぜも何も、婚約破棄された公爵令嬢に想いを寄せられているなんて噂が広がったら、それこそ面倒なことになるだろう。彼の望んでいた視察も、目的とは異なった形になるはずだ。
私はこれでも、一人歩きした噂を申し訳なく思っているのに。
何か問題でも、という顔をして寛ぐ殿下に、申し訳なさを通り越して腹が立ってくる。
「なぜも何も」
「アイリーン」
ほら、というふうに手招きする殿下に、呆れた。
いつもこの人はそうだ。こちらの感情を掻き乱すだけ掻き乱して、本人は飄々としたもの。強引な話題転換と、それを可能にしてしまう何かが、この人の腹が立つところですごいところでもある。
「失礼します」
ゆっくりと近寄って、前のように彼の手を取った。
皮膚の色、心拍数、水分量、その他色々。
触れたり眺めたり、時には耳を押し当てたりしながら、簡単な健康観察をしていく。国にとって大切な身であるだろうに、いつだってこの人は自分の健康に無頓着だ。それでいてどうにか生活を送れていたのだから丈夫ではあるのだろうが、見ている方は気が気ではない。
留学時代、そうして構ってしまったのがいけなかった。完全に、主治医のような扱いをされている。私は変身薬には強いとはいえ、あくまでも趣味の研究に過ぎないのに。
目を上げれば、静かに目を閉じた殿下の綺麗な顔。黙って目を閉じていればこんなに綺麗なのにと、腹が立ったので軽く肌をつついた。うっすら開けられてこちらを見た瞳も、すぐに閉じられる。
こんなふうに、全てを私に預け切って。身体の力を抜いて、完全に信頼しているというように目を閉じて。時折、悪戯な手が私に触れて。
こういう触れ合いを、なんとも思わずにできてしまうのも、この人の凄いところなのだろう。
少しだけ熱を持った頬を冷ますように、殿下の身体から離れた。
「まあ、今のところは特に変身薬に関する不調はないようです。ですが、私が分かるのはあくまでも変身薬の部分だけですので、その他は――」
ぐっと腕を引かれ、私はバランスを崩す。為す術もなく殿下の上に倒れ込んだ私をあっさりと腕の中に抱きとめて、殿下は私の肩に顔を埋める。
「疲れた」
「なっ、離してください?!」
「良いだろう、世話係なんだから」
「そういう世話はしないと最初にお伝えしました!」
「何、そういう展開になると思ったのか」
「っ違います!」
「俺のことが好きで好きで堪らないのでは?」
「た、ただの噂ですし、本当の殿下じゃありませんから!」
「そのくせ顔が赤いが」
「これは、その、とにかく違うんです! 疲れたなら休んでください!」
最初は全力で抵抗したが、決して腕の力を緩めようとしない殿下に、抜け出すのは無理だと悟った。
今は婚約者もいないし、抵抗するだけ無駄だと身体の力を抜けば、満足したようにふっと微笑む気配がした。そのまま腰に手が回される。
唖然とした顔でこちらを見る側近の人に申し訳なくなる。留学時代の同級生だったと、説明しておかなければ。それも知らなければ、本気で不貞を疑われかねない。
ゆっくりと規則正しい寝息が伝わってきた。かつてのように、本気で寝てしまったようだった。
こうなった殿下は、本当に起きない。何をしても起きない。私の研究所のソファで爆睡する殿下の対処に、酷く困ったのを今でも覚えている。
そして私も、それが変身薬の副作用のせいだと分かっているから、何もできない。何もできないことを知っている殿下は、さも当然のように私の近くに陣取って寝始めるのだ。
そうして、こうして何もかもを私に預けている彼の姿が、満更でもないなんて、本人には口が裂けても言えないけれど。
なんだか本当に接待係のようなものになってしまったと思いながら、私は置いてあった本を手に取る。完全に私の趣味の本で、笑ってしまった。ここまでこの人は、計算済みらしい。
熱を持った頬を冷ますように、そしてその理由を考えないように、私は手に持った本に視線を落とした。
◇
「アイリーン様!」
「……エリザ様。ごきげんよう」
朝からとんだ災害に当たってしまったと、心の中でため息をついた。
彼女の周りには、数人の令嬢と騎士。一部の令嬢の間では、エリザ親衛隊、なんて呼ばれている。
その皮肉な名前が指す通り、多くの令嬢は彼女を良く思っていない。どちらかと言えば、まだ私の方が信頼されている。最近は、なんだか地味眼鏡が好きすぎる令嬢だと思われているらしいけれど。
「あら、アイリーン様? 今日はお一人ですのね?」
「ええ」
曖昧な笑顔で笑っておく。余計なことは言わない方がいい。
どの令嬢もしていることだ。この婚約が本気で成立するかどうか、前例がないことで誰も見極めきれていない。そのため、必要以上にエリザを高めることもなく、もちろん私を貶すこともなく、様子を見ながらどちらも丁重に扱っていると言ったところか。それくらいの常識はあるのに、なぜ殿下の正体に気づかない。そんなに強いか地味眼鏡。
「あの、なんでしたっけ……影が薄い殿方は、一緒ではないのかしら? 殿下の次に仲良くなられたと聞いておりますが」
待ってやめて。王太子妃になりたいなら殿下を貶さないで。本当に。あの人は適当に見えてなんだかんだで真面目に国のことを考えているから、無能認定されたら消される。あと不敬。本当に不敬。
どうやら私が男を乗り換える尻軽だと貶したいらしいが、もっと重大な悪口を言っていることに気づいて欲しい。
「彼とお話しさせていただいたのは、一度だけですわ。そして、影が薄いというのは、いささか失礼ではありませんこと?」
「あら、庇うのかしら? 好いていらっしゃるという噂は本当なのかしら」
「そんなことはありませんが、失礼な振る舞いは好みませんわ! きちんと彼と言葉を交わされまして? 人を判断するのは、その人となりを知ってからというのが良いのではないでしょうか」
「……あのぱっとしない地味眼鏡が?」
やめて本気の悪口。
そう思った瞬間に、後ろで信じられない声が聞こえて、私はぴたりと動きを止めた。
「こんにちは、セラーズ公爵令嬢」
「……ご、ごきげんよう」
「それと、お初にお目にかかります。エリザ様、とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「そうね、許すわ」
いかにも実直で、真面目そうな顔をした地味眼鏡。
殿下ご本人の登場に、慌てる以外の何ができる。
「へえ、あなたがアイリーン様の想い人」
「恐れ入ります」
恐れ入るな! 誰だお前!
そこにいるのはいかにも実直な、地味な下級役人で、普段の適当さや強引さはかけらもない。確かにこの演技力だと、あの皇太子だと気がつかないのも無理はないのかもしれない。
けれど、そんなことも言っていられない。なんとかして、できるだけ早く、その正体に気がついてもらわなくては。
「素敵な方ですよね」
「……はい」
一瞬顔を顰めた彼女も、私の圧力に屈したように渋々肯定した。流石に本人の目の前で貶すようなことはしない精神を持っていてよかった。
そう安堵した瞬間に、彼女が次の爆弾を投下する。
「でも私は、ヴィクター殿下の方が好みだわ」
「っ」
咄嗟に吹き出しかけた殿下を、小さく睨む。駄目だ、この人完全に楽しんでいる。
「どんなところをお好みなのでしょう? ぜひ参考にさせていただきたく」
「まずは、お顔ですわね」
「顔」
「ええ。整った美しいお顔をなさっていますもの」
「差し支えなければ、私の顔の感想を聞かせていただけますか?」
その時初めて、彼女がゆっくりと殿下の顔を見る。お願いだからそのまま気づいて。事前に姿絵とか見てるでしょうあなた。
「悪くはありませんが、地味ですわ」
駄目だ、これ以上話させては。
適当な言い訳を述べながら会話の途中で退出することを謝り、どさくさに紛れて殿下を引きずっていく。
部屋に戻った瞬間、殿下が爆発するように笑い出した。
「あっ、あんな強烈な悪口、久しぶりだ」
息も絶え絶えと言った様子の殿下を、冷たく見つめる。
「途中から楽しんでましたよね」
「ああ?」
「こちらとしては気が気でないので、やめてください……」
「断る」
ひとしきり笑った後、殿下がようやく一息ついたというように座り込んだ。無言で手を伸ばされ、用意しておいたお茶を渡す。
「この味も久しぶりだな」
ずいっとおかわりを要求してくる殿下に、既に用意してあったそれを渡す。さすがだ、と殿下は楽しげに笑った。
殿下の考えていることは大抵分かる。分かるようになってしまった。あの、留学時代に。
留学時代、私はずっと変身薬について研究をしていた。
公表こそできなかったが、複数の種類の変身薬を同時服用することが目標だった。と言っても、拒否反応を防ぐことは不可能なので、発生する拒否反応を分析し、それを解毒するための薬を開発することが主だったけれど。
仲の良い教授に指導してもらい、教授のつてを頼ってとある研究所に持ち込み、実はほぼ実用化まで漕ぎ着けたのだが、私の名前での公表は教授に止められた。
もともと、悪用されることを考えれば、危険な技術なのだ。それを、なんの後ろ盾も持たない、属国の留学生、しかも女性が公表するのは、あまりにも危ないと。
悔しかったけれど、それもそうだと思って公表は諦めた。利益については私の方に多少は入っているが、ほとんどの権利を研究所に渡した。聞いた話では、そこそこ売れているらしい。
残念ではあるけれど、名声が欲しかったというわけでもない。
もともと私が私自身の興味のためにやっていた研究だったが、ある日突然見せてほしいと言って1人の男子生徒がやってきたのだ。
それが、変装した姿の殿下だった。
「こんにちは。突然申し訳ありません、あなたの研究を見せていただきたくて参りました」
そう言って高級そうな菓子まで手渡してきた、あの時の好青年が、こんな傍若無人な殿下だったとは誰が思うだろうか。
そもそもあの時の彼は滅茶苦茶な変身薬の飲み方をしていた。顔まで完全に変えて、完全に別人となって学園に入ってきていた。それで生まれた拒否反応を、また別の市販の薬で押さえつけるという無茶苦茶ぶりである。普通に生活できていたことが信じられない。
しばらくして、当然のごとく、拒否反応は訪れた。そしてそれが偶然、私の目の前で起きた。
口元を押さえて蹲る彼の、指先にできた発疹を見た瞬間に、私はそれが変身薬によるものだと確信した。何度もいうが、私は変身薬に関しては詳しかったのだ。
変身薬の研究は、強い危険を伴う。物によっては皮膚にかかっただけで効果があるのだから、解除薬は当然用意してあった。
具体的に拒否反応を起こしている変身薬同士が分かれば、それを中和するための解毒薬も使えるのだが、それが分からないときは変身ごと解除する解除薬を使うしかない。
研究室に常備しておいた市販の解除薬を飲ませるが、効果は無かった。それもそのはずで、もともと一種類しか飲むことのない変身薬のための解除薬だ。そう強い成分が入っているわけもない。
それを知らなかった当時の私は、それはもう焦った。そして、私が研究のために自作した、強い効能を持つものを飲ませたのである。
今思うと恐ろしくなるような思い上がりだが、当時の私は教授に認められた私の薬が安全だと信じて疑わなかった。結果として、複数の研究所にも安全だと認められたのだから、良かったのだが。もう二度とやるまいと思っている。
結論から言うと、解毒はできた。しかし、解除薬なのだから当然だが、同時に、その変身も解けた。
そうして目の前に立っていたのが、エルサイド帝国皇太子こと、ヴィクター・エルサイドだったのである。
あの時は死ぬかと思った。同級生だと思って、気軽な口を利いてしまったのだ。けれど、明らかに顔色の悪い彼が心配になって、なんだかんだと世話を焼いてしまった。止めても変身薬は使うと言うから、彼が常用していた身長と髪色を変えるものを研究して、その拒否反応に対応する薬を作った。渡す前は怖すぎて、ありとあらゆる研究所に確認してもらったが。
絶対の安全を確信するまで研究所に面倒がられながらも迫り、さらには殿下やその周囲にも確認を取ったあと、それを渡してしまったのが、よくなかったのだと思う。見事に、気に入られてしまった。
「アイリーン」
しれっと後ろにいて、私の研究を覗き込んで色々と議論して。
常に私の研究は1人だったから、誰かと議論をすると言うことそのものがとても新鮮で、楽しくて。
気がつけば、殿下の私物が研究室に転がっているようになった。健康観察が始まり、主治医のような存在になっていた。きちんとした医者にかかってください、と言っても殿下は頑として首を縦に振らないので、しないよりはましかと私が始めたのが良くなかった。
そして結局私は、色々と文句を言いつつも、殿下の隣で過ごす時間を、それなりに楽しんでしまっていたのだ。
帰国するときは流石に寂しかったが、それでも何もなく帰国して、もう会うことはないと思っていたのだが。
満足そうにお茶を飲む殿下を見つめる。その銀糸の髪が、さらりと揺れた。
「もったいないですね」
「何が?」
「髪ですよ。綺麗なのに、あんな色にしてしまうの、もったいなくないです?」
「……」
返事が返ってこないのが心配になって、殿下の方を見た。けれど、ちょうど彼は向こうを向いていて、その表情が見えない。
「そんなことを言うのはお前だけ」
「そうですか? 誰の目から見ても、綺麗な色だと思いますけどね」
「……誰もが、皇太子しか見ていないからな」
そう呟く殿下の声が、少しだけ沈んでいるように聞こえた。
その声に今までにない空気を感じ取って、私はゆっくりと近づく。その気配を感じたのか、殿下がこちらを向いた。
真っ直ぐに私を見るその瞳に、見たことのない色が宿っていて、少しだけ驚く。
「顔は何も変えていないのに、軽く弄っただけで、誰も俺だと分からなくなる。周りが見ているのはヴィクターではなく、エルサイド帝国皇太子なんだろうな」
「……」
「別に、それが悪いとか言うつもりはないからな? それが普通で、当然だろう。……あー、悪い、辛気臭くなったな」
ぐしゃり、とかき回された髪が、柔らかく光を反射した。
その手を、捕まえた。驚いたような瞳が、こちらを射抜く。
「私が見てるのは、変わらずヴィクター様ですよ」
「……励ましはいらないぞ」
「素直じゃない人ですね」
やっと、殿下の本心を少しだけ覗くことができたのだ。
殿下は基本的に、国のことを大切に思っている人だ。皇太子としての覚悟も自覚もある、申し分のない人だろう。そんな彼が、自分の身体を思わない無茶な変身薬の飲み方をしていたことに、ずっと違和感があったのだ。
その一端を、ようやく、覗いている気がした。
「良いですか。殿下たちが入ってきた時、私は旧友に会えるかと思って皇太子殿下の顔を見ました。そして、明らかに別人だと察し、やったなこいつと思いながら地味眼鏡を探しました。分かります?」
「さらっと失礼だな」
「今更でしょう。皇太子として扱って欲しいならそうしますが」
「いや」
深くため息をついた殿下が、苦笑した。
「俺の負けでいいから、ヴィクターとして接してくれ」
「言われなくても」
微笑んだ。少しだけ弱みを見せてくれたような気がして、嬉しかった。
それが良くなかった。ぽろり、と言葉が零れ落ちた。
「――どうして、私が変身薬に手を出したか、話したことはありましたっけ?」
「いや、ない」
「女は、生まれた瞬間から、子供を産む道具なんですよ」
「……」
「ああ、殿下と一緒で、それが悪いと言うつもりもありませんし普通だと思いますよ。でも私は、それが嫌だったんです」
懐かしい思い出だった。男になれる薬を扱っているという怪しげな魔女の元に、使いをやったこともあった。
「けれど、男になれる薬なんてありませんでしたから。自分で、作ってやろうと思いました」
「お前らしいな」
「ええ。それに一番近かったのが、変身薬です。まあ、研究するにつれて、流石に無理だと悟りました。色々と、身体の構造が違いすぎます。そこから後は、半分趣味ですね」
あとは、放っておくとすぐに身体を顧みない飲み方をする、この人のため。それを言うつもりはないけれど。
「……ここは、残念だったなと言うべきかもしれないが、俺はお前が女でよかったと思ってるぞ?」
「どういうことです?」
ぐいと、身体を引かれた。ソファに座っていた殿下の膝の上に無理やり座らされる。本気の殿下に抵抗しても無駄であることは、この前悟ったばかりだ。諦めて、力を抜く。
「心地良いだろ、こうしてると。柔らかいし、可愛いし、良い匂いするし」
「……っあの」
「なんだ、お互いに婚約者もいないし、良いだろう」
「いい加減言おうと思ってましたが、年頃の男女に許される距離ではないと思うのですが」
「問題ない、誰もいないからな」
「いなくはないですが」
「側近はいないようなものだろう? 口外もしないだろうし」
だろう、と言っているけれど、その口調は有無を言わせぬもので。確かにこれなら、口外の心配はないだろう。私が側近だったら、怖すぎて無理だ。
「もう少しだけ、こうさせていろ」
そう言う殿下の声音に、かつてない縋るような響きを感じ取って、私は黙る。
なんとも言えない、甘い空気が、そこにはあった。なんとなく、口を開くのを躊躇って、結局黙ってその体温を感じている。
かつては、私には婚約者がいた。けれど、今はいない。
その事実が胸に染み込むにつれ、少しだけ体温が上がる。
この関係に、名前がついてしまうのが怖かった。
私の望む名前は一つだけれど、それは到底気軽に望めるようなことでもなく、私から乞うことが許されるようなものでもない。嫌われていないと思ってはいるけれど、殿下の感情を履き違えて、思い上がるようなことはしたくない。
だから、この感情にそっと蓋をして、今のままの関係で。
温かな体温を感じながら、私は体重をふっと後ろに預けた。
◇
渡された華やかな美しい花束を、静かに見下ろした。
今日で、殿下たちはここを出立することになる。その記念のパーティーが、始まろうとしていた。
世話係だった私に任されたのは、「皇太子」に花束を渡す役。本物の皇太子ではないが、特に目立ったトラブルもなく、切り抜けられたようだった。
結局私の必死の努力も意味がなく、誰も皇太子の正体には気が付かなかった。ただただ、私が地味眼鏡が好きすぎる令嬢になっただけだった。辛い。
などと茶化しているが、本当は、少しだけ察していた。
殿下がこの国を試しているのは、間違いなく帝国としてこの国を評価するためで、本人もきっとそう思っている。
けれど、きっと心のどこかでは、気がついて欲しかったのではないだろうか。ヴィクターがいない、という事実に気づいてくれる人を、欲していたのではないだろうか。本人に言ったらきっと否定されるに違いないけれど、あの人は根本的なところで、寂しがり屋だ。
きっと今度こそ、もう二度と、会うことはないのだろう。
叶うならばこの先帝国に住みたいけれど、住んだところで気軽に会えるような方ではない。よくて、式典の時にちらりと姿を見ることがあるくらいだろう。
好き、だった。
最初は純粋な心配からだった。母性に近かったのかもしれない。ほっとけない、という気持ちは、気がつけば、ほっときたくない、に変化していた。
傲慢でわがままで、人を試すような真似をして、誰よりも人を信頼していなくて、信頼できないような境遇で生きてきて、けれど根本的なところでは、寂しがり屋なのだ。
そして、そのそばにいるのは、私でありたかった。
頭を振って、重い気持ちを払う。関係ない。何があろうとも、私から愛を乞えるような方ではない。
今までの気安い関係は、あくまでも殿下が望んでいてくれたからできたことだ。もともとの立場を忘れるわけにはいかない。
控室は、驚くほど静かだった。壁越しに、パーティーの喧騒が聞こえてくる。
誰もがパーティーを楽しんでいるのだろう。ここにも、珍しく誰もいない。
すぐに私の出番だ。「皇太子」に花束を渡して、それで帰るだけ。私がパーティーにいても皆対処に困るだろうし、すぐに帰った方がいい。殿下たちが帰れば、すぐにでも次の王太子の婚約者の準備が始まるだろう。
がちゃ、と音がした。
「アイリーン様、ごきげんよう」
扉を背にして立っていたのは、エリザ様だった。
「ごきげんよう。……パーティーは、どうされたのです?」
「いえ。アイリーン様に、こちらをお届けしようと思いまして」
そう言って、グラスを渡された。
深い葡萄色の液体が満たされたグラスを、軽く振る。あの彼女が、私に。明らかな悪意を感じる。十中八九、何か盛られているだろう。
「とある男性の方から、アイリーン様に届けて欲しいとのことでしたわ」
「どんな方ですの?」
「私は知らない方でした。身長の高い、赤髪の方でしたが」
全く、心当たりはなかった。そもそも、私に飲み物を届けさせるような物好きがいるはずもない。
「……本当ですの?」
「あら、疑うのですか? 証拠と言われても困りますから、私を信頼していただかなくては」
「私から婚約者の座を奪ったあなたを、信頼しろとおっしゃるのですか?」
もう外聞も何もない。どうせ2人きりだ。
どうせ嘘だろう。自分自身に嫌疑がかからないように、人を雇って人前でこの飲み物を渡させたか。もしくはその人の存在そのものが真っ赤な嘘か。
逆に、なぜこの稚拙な手段で私を騙せると思ったのだろうか。私が倒れた後は、どうするつもりだったのだ。
「奪った、なんて人聞きの悪い。ただ、殿下が私を選んだというだけのお話でしょう?」
「そうかもしれません。ですが、私が立場上、エリザ様を完全に信頼するのが難しい、ということは、ご理解いただけますね?」
「どうしても、飲んでいただけませんの?」
「ええ。残念ですが」
「そう、ですか」
そう言う彼女の瞳に、強烈な色が乗った。
まずい、と思った時にはもう、彼女の手が振りかぶられていて。そのグラスから深紅の液体が飛び散るのが、ひどく遅く見えた。咄嗟に、目を瞑った。
「……っすみません、手が滑ってしまいました!」
わざとらしい言葉と共に、降りかかる液体を想像したのだが。その感触は、いつまで経ってもやってこない。その代わりにのしかかったのが、重みだった。
立っていられず、押しつぶされるようにして崩れ落ちる。
訳がわからず、とりあえずその重みから這い出た。そうして、心臓が止まった。
「殿下!?」
私を庇ったらしいということだけはわかった。けれど、その表情は苦悶に歪み、血の気がなかった。ひゅう、と一瞬、息の音がした。殿下、と呼びかけるも、反応はなく。身体を折り曲げ、ただ虚ろに床を見つめるその瞳に、心が冷えた。
「あなた!? 何を盛ったの、今すぐ吐きなさい!」
これほど強い薬を、どこで手に入れたのか。
いや、違う。この症状は、まさか。
「そ、そんなはずは!」
「何! 今すぐ吐きなさい!」
「そんな! 大したものではないの、変身薬! ちょっと肌の色が緑がかるくらいの、本当に害のないものだって聞いて!」
「は!?」
拒否反応、だ。
一瞬で悟った。きっと彼女にとっては嫌がらせくらいのつもりだったのだろう。注目の中人前に出ていく私の、肌の色を悪くしてやろうと。小物くさい嫌がらせだが、私にかかったら嫌がらせ程度で済むはずだった。
しかし、すでに変身薬を同時服用している殿下にとっては、これは猛毒だ。どんどんと血の気が失われていくその顔に、全身に鳥肌が立つ。
「何をしている!?」
私の絶叫を聞いたのか、人が集まってきた。けれど、そんなことも構っていられない。
無理やりその口を開いて、持ち歩いていた解除薬を飲ませた。留学時代に作ってそのままになっていた、私特製のものだ。
何か、殿下の変装を急遽解かなければいけない機会が来た時のためにと、ずっと持ち歩いていたのだが。こんな、最悪の形で使うことになるとは思っていなかった。
ゆっくりと彼の形が揺らぎ、その造形が変わっていく。さらりと銀糸が揺れる。現れた姿を見て、誰もが息を止めた。
「ヴィクター殿下……」
誰かが、囁く声が聞こえた。
そこからは、大騒ぎになった。その中で、私は絶叫する。
「誰か! 今すぐ公爵家に連絡して、私の研究道具を持ってこさせて! 侍女に言えば分かるから!」
「セラーズ公爵令嬢、医者を呼んでまいりましたので、交代を」
「医者です。交代をお願いいた」
「この国のどこに、変身薬の専門家がいるのよ!」
溢れてくる涙を必死で抑え、冷静さを取り戻そうと息をつく。まだ、手遅れではない。
「変身薬……?」
「この明らかな副反応の状況を見て、一目で変身薬の副作用を疑わない人に殿下は任せられないわ」
「セラーズ公爵令嬢」
「変身薬の効能についてこの場で誰よりも理解しているのは私よ。殿下の飲まれていた変身薬を知っているのも、その解毒薬を開発したのも私。変身が解けたのも、私が携帯していた解除薬を飲ませたから。あなたのところに、変身薬の解除薬はあるの?」
「……」
「ないでしょうね。使い勝手が悪すぎて、滅多に使われない薬だもの。……私に任せた方がいいと、理解したかしら?」
「……理解しましたが、隣で見ることはお許しください」
「好きにして」
時間が惜しい。研究道具が届くまでの時間が、永遠のように感じられる。
このまま床に転がしておくのもよくない。もともと、あまり綺麗な部屋ではないし、変身薬がそこらじゅうに飛び散っているのだ。近くにある清潔な部屋に、できるだけ刺激しないように移動させるように指示を出す。
その夜は、今まで生きてきた中で、一番長い夜だった。
殿下のそばに寄り添い、その容体を観察する。少しでも苦しむ様子があれば、どの成分同士が干渉しているのかを必死で分析し、その解毒薬を飲ませる。学生時代に無駄に作っていた様々な解毒薬が、こんなところで役立つとは思っていなかった。
失敗は許されない。震える手を握りしめて、ただひたすらに殿下を見つめる。
そうして、日が昇り、少しだけ部屋が明るくなってきた頃。
その長い睫毛が震え、その目が、私を捉えた。
しばし、焦点が合わなかったその目も、やがて、真っ直ぐに私を射抜く。薄い唇が、ゆるく、弧を描いた。
「アイリーンが泣いている姿を見るのは初めてだな」
「そんな話をしている場合ですか?!」
止まらなくなった涙を拭おうとするも、無駄で。みっともなく溢れ出る涙を、億劫そうにのばされた殿下の指が拭った。
「これもこれで悪くないが、俺が泣かせたかと思うと複雑だな」
「ふざけないでください!」
「じゃあ至って真剣に。ありがとう、アイリーン。おかげで、俺はまだ生きている」
「どうして、私を庇ったんですか。私なら、大事にはならなかったのに。ちょっと皮膚の色が気持ち悪くなるくらいで終わったのに」
「それが、身体が勝手に」
「こんな時まで冗談はやめてください」
しゃくり上げながら必死で笑う私を、ぐっと殿下が引き寄せようとした。その力はいつもより弱く、私の身体は動かない。
初めて、自分の意思で殿下に近づいた。
「冗談じゃない。……好きな女くらい、庇えなくてどうする」
「……え」
「お前のそんな顔、初めて見たな」
楽しそうに笑った殿下が、億劫げに上半身を起こす。
「婚約者がいると思って諦めていたんだが、もうその必要もなさそうだからな」
ゆるりと伸ばされた指先が、そっと私の濡れた頬をなぞる。
「で、返事は」
「……分かってますよね」
「ああ。だが、俺は聞きたい」
「………………好きです」
どうにか絞り出した言葉は、聞いたことがないくらいに掠れていた。恥ずかしさに顔を覆う。照れ隠しのように、言葉を続けた。
「……どうしてこんなに情緒がないんですか」
「情緒をお望みだったか?」
楽しげに笑った殿下が、引き寄せた私の手を取った。そのまま、ふ、と微笑んで唇を寄せる。
「アイリーン。愛してる」
彼の瞳が蕩け、上目遣いに私を見つめる。
「……殿下のくせに」
「お前が情緒を壊してどうするんだよ」
そう文句を垂れている殿下の頬が、うっすらと染まっていることを私は見逃さない。
そっと身を寄せた。至近距離で、ふっと微笑む。
「私も、愛してます」
「……アイリーンのくせに」
「やられてわかりましたが、なかなかに腹立ちますねこれ」
笑ってみせるけれど、きっと照れ隠しなのは悟られているだろう。
「殿下!」
凄まじい絶叫に、思わず飛びのいた。見れば、扉が大きく開け放たれていて、わらわらと人が集まっているのが見えた。どうやら、殿下が目を覚ましたことに気がついたようだ。
そのまま勢いよくこちらに来ようとする集団を押しとどめる。これでも、この人は病み上がりなのだ。病室では静かにと、習わなかったのだろうか。
すごすごと下がっていく集団を横目で見ながら、丁寧に彼の容体を確認した。体力を激しく消耗しているくらいで、目立った異変はない。一応、医者を呼んで確認してみるも、判断に変わりはないようだった。
ようやく、息をつけた。目を閉じて、崩れ落ちるように座り込む。医者には大口を叩いたけれど、私だって、人間相手に、ここまで重大な症状を出した人の治療はしたことがないのだ。
あの場においては、私が適任だった。けれど、私で十分だったかと問われると、その自信はない。全てうまく行ったからよかったと、無責任にも安堵するしかないのだ。
できるだけ早くつてを辿って、きちんとした専門家を呼んだ方が良い。
突然、出入り口の周りがざわめいた。
ゆっくりと人が左右に分かれ、その間から1人の女性が早足に歩み出てくる。
「エリザ様」
「……」
呼びかけても、返事はない。
「この女なのよ!」
金切り声を上げ、突然に私を指さす。いくつもの視線が、私につきささった。
「この女が、変身薬を私に飲ませようとしたの! それでもみ合いになって、偶然殿下に!」
「エリザ嬢、と言ったか?」
その目が大きく見開かれ、いつの間にか上半身を起こしていた殿下へと注がれる。その驚愕の表情から察するに、殿下が回復していたことは知らなかったようだ。
「な、なっ……」
「先程から、聞き捨てならないことばかり聞かされているようだが」
「だって、助からないって聞いてたわ!? なんで生きてるのよ!?」
「失礼な。まあ、アイリーンがいなかったら死んでいただろうがな」
不敬がすぎる。失礼極まりない言葉遣いと態度に、肝が冷えたが、当の本人が楽しそうにしているのでどうでも良くなった。はらはらするのも面倒だ。
「普通の人間だったら、あの量の変身薬を同時に浴びた人間の解毒などできないだろうさ。色々あって公開できなかったが、アイリーンはこの道にかけては最強だと知らなかったか?」
まあ知っていたら、こんな暴挙には出なかっただろうが。
そう言って楽しそうに笑う殿下を見て、確信する。この人、楽しんでいるのではなく怒っている。しかも、結構、私の見たことがないくらいの怒り方だ。
「そ、そもそも! 殿下はなぜ変身薬など元から服用されていたんですか?」
無理やりに口を挟めば、じろりと冷たい視線を向けられた。しまった、これは火に油を注いだかもしれない。何をしらじらしく、という声が聞こえてきそうだ。
「試すため、だな」
「どういうことでしょう?」
「俺の正体に気づいたら合格。気づかないまま終わったら不合格。これからの執政の参考にする。それだけだ。一応、これでもそれなりの手がかりは与えていたからな? 基本的に偽の皇太子の独断は禁じているから、必ず俺に一度話が通ることになる。どんなに些細なことであっても、皇太子がその場で即断しなかったことに気づかなかったか? そもそもあいつ、時折俺の方を見てくるからな。おいアイリーン、白々しい芝居はやめろ」
「…………すみません」
ざわり、と動揺が走る。
「ではアイリーン様は、殿下だと気づいてらしたのですか!?」
「ええ、まあ。一応、留学時代の友人ではありますので」
「恋人と言ってほしいものだな」
再びの、動揺。
やめて、場を掻き乱さないで。いい感じにまとまりかけていたところを、再び混乱に叩き落とすのはやめてほしい。
「誤解するなよ、アイリーンが黙っていたのは俺が口止めしたからだ。むしろ、王国のために頑張っていた方だと思うが?」
「も、しかして。アイリーン様が必死で地味眼鏡を訂正して回っていたのは、我々に殿下の正体を気づかせるためですか?」
「……ええ、そうですわね」
「では、アイリーン様が慕っていらっしゃるという噂は」
「それは間違っていない」
殿下は黙っていてほしい。何もしていなくても、場を滅茶苦茶にする天才なのだ。
「そして、この国は俺の正体に最後まで気づかなかったどころか、王太子の婚約者に毒殺されかけた、と」
そう言った瞬間、空気が凍った。
私もだ。正直、殿下がどう動くか想像がつかない。ずっと私の隣にいたのはヴィクター様であって、為政者としての皇太子殿下ではないのだ。そして彼は今、そうして動こうとしている。
「まあ、それはここでする話でもない。政治的云々は、そちらの責任者とさせてもらおう。大声で言うようなことでもないからな。俺自身皇太子ではあるが、全ての権限を持っているわけではない。そもそも俺が変身して入っていた時点でこちらにも非があるし、情状酌量の余地はあると思っているが。そちらの責任者と話し合って、なんらかの結論を出すさ」
ふっと、身体の力が抜けた。とりあえず、今すぐに彼が罪を問うつもりはないということだろう。
周りにいる人もそうだったようで、皆安堵の表情を隠さない。
「ああだが、アイリーンに感謝しろよ? もし俺が死んでいたら、そんなことも言っていられなくなっていただろうからな」
「はい。寛大な御処置、感謝いたします」
代表して頭を下げたのは、偶然居合わせたのだろう、この国の宰相だった。
ゆるりと場が解け、解散の空気になり始めたのだが。
「ああ、エリザ、だったか。残ってくれ」
そう殿下が言った瞬間に、ぴたりと、空気が凍った。ゆっくりと人が退出していく中、蒼白な顔で震えるエリザ様だけが残る。
「なあ、アイリーンに何をしようとした?」
「そ、そんな危害を加えようなどとは、しておりません。ただ、少しだけ自分の身分を理解していただこうと」
「公爵令嬢という身分をか?」
「い、いえ、婚約破棄された、令嬢という」
「へえ」
すっかり萎縮し切った様子の彼女を、目を細めた殿下がじっと見る。怖い。私だったら倒れているかもしれない。
「で、何をしようとしたんだ?」
「変身薬を、その、少しだけ」
「効能は」
「は、肌の色が少し変わる程度のもので、大したものでは」
「俺はそれで死にかけたんだが」
「……」
震える彼女を、冷たい目で見つめる横顔を、じっと見ていた。私が口を出すような場面でもないだろう。ただ、成り行きを見守る。
「罪に関しては後から決める。俺が変装していた以上、大きな罪にはならないとは思うが、俺個人の評価としては別だ」
「……」
「ああ誤解するなよ。俺は、殺されかけたことに怒っているわけではない。そのつもりがなかったことは理解しているからな。俺は、アイリーンを害そうとしたことに怒っているんだ」
すっと、腰を引き寄せられた。見せつけるように、私の髪をとって口付ける。
「理解したか?」
「は、はい」
「何か、アイリーンに言うことは?」
ぐっと強く唇を噛んだ彼女が、こちらを向く。
「も、申し訳ありませんでした」
蚊の鳴くような声に、内心笑ってしまった。あの時の自信はどこへいったのか。
できるだけ真面目な顔を作って、それを受ける。
調べたところによると、彼女の使った変身薬は、本当に僅かな効能しか持たないもので。皮膚の色が変わるといっても、薬とすら気づかれないレベルだった。体調不良か、肌荒れか、と思われる程度の。
それで恥をかくと思うところに、彼女の価値観があるのだろう。
正直、私としては、そんな薬を盛られた程度で怒るつもりはなかったのだが。殿下が害されたとなれば、話は別だ。
言いたいことはあったはずなのだが、それも全て殿下が言ってしまった。私にできることはただ一つ。
殿下の寝るベッドに上がり、両手を伸ばして、ゆっくりと殿下に縋った。するり、と頬を擦り付けて、殿下の手が私の腰に回ったのを確認する。
そして、彼女に視線を送り、微笑んでみせた。
一瞬にして、彼女の顔が強張る。
もともと、私の婚約者を奪ったのも、身分と、財産が欲しかったからだという。それ以上の優良物件にしなだれかかる私は、さぞや気分を害するものだろう。
楽しげに、殿下が笑った。さすが、容赦がない、と耳元に吹き込まれる。その吐息に頬を染めれば、ぐっとエリザ様が手を握った。
その瞬間、勢いよく扉が開く。
「エリザ!」
王太子殿下の絶叫と、それを制する周囲の声。息を切らした様子の彼は、唇を噛み締めて震えるエリザ様を見てふっと微笑みかけ、ベッドの上に半身を起こした殿下を見て凍りついた。
「久しいな」
「?! お、お久しぶりですヴィクター様」
「この女が、今のあなたの婚約者だということで間違いはないな?」
「は、はいっ」
「これで、気兼ねなくアイリーンをもらっていける。もう俺のものだから、手を出すなよ」
ふっと、殿下、いやヴィクター様が笑った。ぐっと私の腰を抱き寄せて、挑戦的に微笑む。
「え、は、ちょ」
「どうした? 婚約は破棄された、アイリーンも同意している。どこに問題がある?」
同意した記憶はないけれど、断る理由もないので黙っていることにする。
どちらも同じ継承権を持つ王子だが、その貫禄と実力の差は明らかだった。もともと国力に差があるのだから当然とも言えるが、それでも、あの時に私に婚約破棄を突きつけたあの人の表情だとは思えなくて。すっと胸のすく心地がした。
「や、あのっ……少し前まで、アイリーンは私の婚約者でして」
「知っているが? ……婚約破棄して捨てたお前のような男がアイリーンの名を呼ぶな」
「す、すみませんっ! ですから、こちらとしても、その、アイ、いえ、セラーズ公爵令嬢が以前からあなたと親しくしていた可能性を捨てきれないと言いますか」
「は?」
笑顔の仮面をかなぐり捨てたヴィクター様が、低い声で思わずと言った調子で声を漏らす。
「お前が? そこの女と堂々と浮気をしてアイリーンを捨てた他ならぬお前が、アイリーンの不貞を疑うのか?」
「……っ」
「俺とアイリーンは確かに帝国での友人だが、決して恋仲ではなかった。それどころか、軽く触れることさえ婚約者がいると拒まれたよ。アイリーンはどこまでも、お前に尽くしていたんだが」
「……」
「都合が悪くなるとだんまりか?」
心底苛立っている様子のヴィクター様の腕に、そっと触れた。その苛立ちを隠さない瞳が私に流れ、思わずびくりと震えた。それを認めたヴィクター様が、少しだけ表情を緩める。
「それくらいで、大丈夫です」
「だが」
「国交問題になったら、面倒です。あの人はどうでもいいですけど、私は、余計なものに殿下の時間を奪われたくはないので」
「……分かったよ」
不満げに顰められた眉。渋々と言った様子で、ヴィクター様は2人に向き直った。
「アイリーンに感謝するんだな。そこの女から俺の命を救ったのは、間違いなくアイリーンだ」
「……」
「変身薬についてここまで詳しい人は、帝国中探してもいないだろうさ。俺がもらっていくが、相当な才能の損失だろうよ。俺が知ったことではないが」
まだまだ言い足りない、と言った様子のヴィクター様だけれど、彼もこれ以上は国交的にもよくないと分かっているのだろう。何も言えなくなった2人を冷たく一瞥したあと、一言吐き捨てた。
「ああ、下がっていいぞ」
邪魔者を払うように、ヴィクター様が手を振る。そうして、彼の言う2人きり、側近だけがいる状態になった。
「長かったな」
「え」
「……留学時代から、ずっと好きだったんだよ」
ぼそりと耳元で呟かれる。それが落ち着かなくて、染まる頬が恥ずかしくて身を捩るも、その力が緩まることはない。
「ようやく、手に入れた」
満足そうに呟いて、私を無理やりに横にする。そのままぐっと私を抱きしめた彼から、やがて緩やかな寝息が聞こえてきた。
あの時のような光景。ただ違うのは、私たちの関係に恋人という名前がついたこと。
私を抱きしめ、全てを委ね切って眠る彼の姿は、少しの優越感と、圧倒的な多幸感を呼び覚ます。
願わくば。
この人が、皇太子という重圧の中で生きるこの人が、ヴィクター様であれる場所が、いつまでも、私の隣であればいい。
その穏やかな寝顔を見て、小さく微笑んだ。
◇
「失礼しま……」
口にしかけた入室の挨拶は、室内の様相を見てぴたりと止まる。
恐る恐る後ろを振り返ると、心底満足そうな表情のヴィクター様。
「どうして殿下の私室なんですか?!」
「もうヴィクターとは呼んでくれないのか?」
「あれはあくまでも、王太子殿下とややこしかったが故の応急措置です! そうではなく! 普通、初めて城に来た人を応接室や執務室ではなく私室に通しますか?!」
「俺が良いんだから別に問題ないだろう」
「問題しかないですが?!」
そのまま、部屋の中央に備え付けられた大きな革張りのソファを手で示される。
きっとヴィクター様がいつものように適当に座っているのだろう。不自然に凹んだような跡が残っているそれから体温が感じられるようで、少しだけ心臓が跳ねた。
エルサイド帝国、帝都。
ヴィクター様が回復した後、大騒ぎになり、当然のごとくその帰還は延期された。それどころか、帝国側からさらに役人がやって来て、話し合いも始まり、それが終わったかと思えば帝国に向けて馬車での長旅。
どうにか大きな問題もなく到着し、やっと一息つけた、という所だったのだが。
まさか、なんの心構えもないままに、ヴィクター様の私室に通されるなどと、思ってもみなかったのだ。というか、普通思わない。誰も想像できる訳がない。
「まあ、座れ」
「…………分かりました」
不本意極まりないが、このまま騒いだところで応接室に行ける訳でもない。
それに、この人が、意味もなく私室に通すとは思えない、という気持ちも、少しだけあった。
案の定、思案するように顎に指先を当てたヴィクター様が、ゆっくりと口を開く。
「エリザという女についてだが、両国の話し合いの結果、賠償金の支払いと数年間の謹慎処分という形になった。というのも、あの時も少し言ったが、状況には情状酌量の余地が大きい。そもそも俺は王国に変身して入っていたし、エリザが狙ったのも俺ではない。加えて、俺は自らあの薬を被りにいったしな。あまり大きな罪には問わないということにした。……不服か?」
「いえ。……私の、ためなのでしょう?」
そう問いかけた瞬間に、楽しげにヴィクター様の口元が持ち上がる。どうやら、正解だったようだ。
そのまま無言で続きを促され、私は説明する。
「私の母国の評判は、少なからず私自身の評判にも影響しますから。ただでさえ存在も知られていない小国出身ですから、良くは思われていないでしょうが、皇太子の毒殺騒ぎを起こした国だと大々的に発表してしまったら、さらに評判は下がっていきます。もしかしたらそれを体のいい言い訳に、私が婚約者となることに反対する人が現れるかもしれません。これはあくまでも予想ですが、ほとんど全てが秘密裏に処理されたのではないでしょうか?」
「……お前が王になれば良かったんじゃないか?」
「冗談でしょう。私の想像でしたが、合っていますか?」
そう確認のために問い掛ければ、正解だ、と呟いたヴィクター様がふっと微笑んだ。けれど、その目は笑っていない。
「だがこれはあくまでも、帝国として公式にやりとりした結果、だ。俺個人の感情としては別なんでな、色々と王国側にも話をしてきた」
「……何をしたんですか」
「いや? 別に、帝国側としては許す方向で行くとはいえ、王国がそれに倣う必要はないと言ってきたまでだ」
「それ、実質命令ですよね?」
「非公式の場だ、問題ない。何をしろとも言っていない。むしろ、王国としてもありがたかったと思っているんだが?」
「厄介払いができたということで、ですか?」
「お前の国も婚約破棄関係で迷惑を被っていただろうからな。むしろ堂々と王太子は廃嫡、エリザは社交界追放できてよかったと思うぞ」
「……そこまでやらせたんですか」
「俺は何も言っていない。王国が勝手に決めたことだ。帝国が絡むと面倒なことになるが、国内で揉め事があるのは別に珍しいことでもないだろう?」
あっさりと言い放ったヴィクター様が、ソファの上でだらりと姿勢を崩す。
「やはり、帝国からは反対されますか」
婚約について、と言外に含ませた意味を、ヴィクター様は正確に受け取ったようだった。崩したばかりの姿勢をすぐに戻し、その瞳が真っ直ぐに私を射抜く。
「隠しても仕方がないから言うが、想像通りそういう輩もいる。帝国も一枚岩ではない、仕方ないさ。……とはいえ、きっとお前が思っている以上に、歓迎されると思うぞ」
「と言いますと?」
「なんせ、留学時代の想い人を理由にありとあらゆる婚約話を蹴り続けた手のかかる皇太子が、ついに婚約を決めたんだからな」
「……え」
「しかもその相手がまさにその想い人となれば、もう大騒ぎだ」
「ま、待ってください?! そんな話、聞いてませんが!」
「言っただろう? 留学時代から好きだったと」
「そっちではなく! どうしてそんな話が帝国中に広まってるんですか!」
城を歩いている間に妙に生温かい視線を向けられていると思ったが、まさかそれが理由か。
「仕方ないだろう。お前以外は考えられなかったから、婚約などしたくはなかったんだよ」
「……っ皇太子ですよね!」
照れ隠しに放った一言は、あっさりとそうと見抜かれ。
思わず顔を覆いかけた手を、ヴィクター様の手が絡めとる。
「どうしようもなくなったら諦めるかもしれなかったが。俺はお前も知っているように、相当に諦めの悪い男でな」
「……」
「私室にアイリーンを通すと重鎮に言ったら、既に作らせている結婚式用のドレスを作り直すようなことがないようにしてくれ、と言われた」
楽しそうに笑ったヴィクター様を見つめる。ゆっくりとその意味が染み込み、理解した瞬間、一瞬で頬が熱くなった。
咄嗟に引きかけた身体が、すかさずヴィクター様に囚われる。もはや定位置になりかけたヴィクター様の腕の中に閉じ込められ、じわじわと熱を持つ頬を隠しきれない。
ヴィクター様の足の間にすっぽりと埋まるような格好。後ろから回ってきた手が、暴れる私の腰をしっかりと抑える。
「安心しろ。俺もさすがにそこまで非常識なことはしない」
「そ、存在そのものが非常識な殿下の言葉は信用できません!」
「失礼な」
ふう、と首筋にかかった吐息に、全身にぞわりとした感覚が広がる。そのまま肩に重みが乗った。
「アイリーン」
耳元で囁くように名前を呼ばれる。
限界だった。もう無理。羞恥で死んでしまう。
「殿下!」
「だから、ヴィクターと呼んでくれないのか」
「ところで、ここに来るまでに幾つか帝国の馬車とすれ違いましたが」
「……気のせいだろう」
「いえ、確かに見ました。あそこに乗っていた役人は、まさか役人のふりをした皇太子ではありませんよね?」
「……こんな時に色気のない話するか?」
「流石にいきなり完全支配というわけにはいきませんが、少しずつそういう体制を整えていくおつもりなのでしょう?」
強引に言葉を重ねれば、ヴィクター様が諦めたようにため息をついた。渋々と言った風に、口を開く。
「……なぜ」
「今までは何の取り柄もない小国でしたが、これからは話が違います。なんせ、皇太子妃、いずれは皇妃の母国であり、その家族の住む国です。今までのような、良く言えば平和、悪く言えば適当で緩み切った政治をし続けるわけにもいきませんよね? そして王国に、そういうしっかりした政治ができる人材がいないということも、殿下がその目で、見てきたことでしょう?」
「……お前、生まれる国を間違えたんじゃないか?」
「少しずつ役人を送り込んでいるところなのでは? 私たちがすれ違ったのは、その馬車かと」
「……分かった、その通りだよ。お前には悪いが、帝国としてはそうせざるを得ない。さらに言えば、エリザと例の王太子についてはアイリーンに大きな私怨を持つ最大の不穏分子と伝えてあるから、それなりの待遇を受けていると思うぞ?」
開き直ったように不敵な笑みを浮かべたヴィクター様が、喉の奥で笑い声を立てる。
「俺が、アイリーンを傷つけた相手に罰を与えることを、他人に任せるとでも思ったのか?」
「……」
「俺は、お前が思っている以上に、恨みを溜め込む性格なんでな」
「……廃嫡だなんだと、あえて国内を掻き乱したと聞いた時から、違和感はあったんですよ。私のために穏便に済ませるつもりなら、余計としか言いようのないことですから。全て、帝国の支配を安定させるためですね?」
「そんなところだ。……ところで、すっかり話を逸らされてしまったが」
笑みをふっと消し、今度は悪戯っぽく口元を歪めたヴィクター様が、私の顔を後ろから覗き込む。
「ヴィクターと、呼んでくれないのか?」
「あれは、応急措」
「それはもう聞いた。俺としては、皇太子ではなく、ただのヴィクターとして接してほしいんだが」
「その言葉に私が弱いと確信した上で言ってますよね」
「さあ?」
ふっと、ヴィクター様が身を引いた。そのまま、耳元に口を寄せられる。
「アイリーン?」
蕩けるような甘さを持った声。悪戯でいて、同時に強引さを持つその響き。ゆるゆると首筋を撫でる、その指先。
熱に浮かされたように、酔ったようになって、気づけば口にしていた。
「……ヴィクター、さま」
ぐっと腰が引き寄せられた。ぐりぐりと肩口に顔を埋められる。
「……アイリーン、そういう時にだけ声変えるの、禁止」
「別に、何も変えてません! 殿下こそ」
「ヴィクター」
「っいつもと声変えましたよね!?」
「ヴィクター」
「……っ!」
このままだと、どんな話をしても、ヴィクター、とだけ返ってきそうだ。
もういい。開き直るしかない。
「ヴィクター様!!」
「そんな勢いよく言うか? 怒られている気分になるんだが」
「今回の騒ぎといい、やましいところがあるからそう聞こえるんじゃないんですか!?」
「俺にやましいところ? 何のことだか」
悪びれもなく言い放ったヴィクター様に反論しようとして、大きく息をついた。
やめたほうがいい。話せば話すほど、疲れるだけだ。こうやって人を揶揄うのが趣味のような人なのだから。
「急に静かになったな」
「……疲れました」
「なら寝るか」
その一言と同時に、ぐっと身体が引かれる。気がつけば、ソファに倒れ込むような体勢になっていて。
背中側から抱きしめられた格好のまま、ぴたりと固まる。もしや、この流れは。
爆発しそうな心臓の音が聞こえないように必死で息をつめていた時、聞こえて来たのは、穏やかな寝息。
そんな気はしていた。この人のことだから、間違いなく抱き枕にされるとは思った。けれど。
私はこんな状況で眠れるほど、鈍感ではないのだ。頬が熱い。心臓が痛い。そして後ろでは、気持ちよく睡眠を謳歌しているヴィクター様。私ばかり意識しているようで、どうにも腹が立つ。
けれど、その規則正しい寝息を聞いているうちに、その半ば八つ当たりのような怒りはおさまっていき。ふっと身体の力を抜いた瞬間、睡魔が押し寄せてきた。
なんだかんだで疲れていたのだろう。ゆらゆらと浮き沈みする意識は、やがて途切れた。
数刻後。皇太子の私室を訪れた、とある巻き込まれ体質の男は、柔らかく幸せそうな微笑みを浮かべて眠る未来の皇太子妃と、真っ赤に染まった頬を隠さないまま、必死で口元に指を当てる皇太子の姿を見ることになる。
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