満たすもの
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
情けは人のためならず。
人に情けをかけると、めぐりめぐって自分に良い報いがやってくることを、あらわした言葉だという。
これは自分が確認できるものばかりじゃない。思わぬところで、助けた誰かにより、自分が救われているケースもしばしばある。
昔話などで出てくる、たまたま助けた人が神様か、やんごとなきお方で、そのお礼がやってくる……などというのが、最たる例だろう。
しかし、人でないもの相手に行う場合、それは情けなのだろうか? 報いはあるのだろうか?
これに関して、以前に妙な体験をしたことがあってさ。
お前、ネタを探しているっていってただろ? 役に立つといいんだがなあ。
小さいころ、俺は日記を書いていた時期がある。
当時は電子機器には、あまり触れない生活をしていたからな。もっぱら、紙に字を書いていた。
ご多分に漏れず、やり始めというのは勢いがある。
最初の一カ月あたりは、一日一ページいっぱいに、内容を書いていた。
だが、それ以降はどんどんとおっくうになっていく。文量が目減りしていくんだ。
理由ははっきりと覚えていない。やりたいゲームが出てきたのかもしれないし、新しくものを買って、日記帳そのものが奥へ追いやられがちになったせいかもしれない。
ついには一行、「楽しかった」「むかついた」「しんどい」みたいな、いかにも小学生並みの感想を述べるにとどまるのもしばしば。
一ページは一日分から、二日、三日、一週間分と積み込まれていき、ついには26行分に26日分が突っ込まれてほどなく、俺の日記書きは頓挫することになる。
大学ノート2冊目。その残り20ページ程度の空白を残して、のはずだ。
――じかに確かめたであろうに「程度」とか「はずだ」とか、不確定なのはおかしいだろ?
ああ、だろうな。その件が、今回の話のキモなんだよ。
それ以来、日記から遠ざかった俺が、再びそれを目にしたのは8年後。大学生になった年のことだった。
講義を受けるとき、担当する教授の本を買うことが多かったからな。それらを自分の部屋に置いとくのに、棚の整理が必要だったんだ。
古い本たちを棚から出していく中、出てきたのがその2冊の日記帳だった。
懐かしさを覚えた俺は、まず1冊目を手に取る。
いまだ高いモチベーションを維持していた時期のもの。筆圧の強さと、他の本たちにサンドイッチされ続けた時間の長さゆえに、鉛粉まみれのページがたくさんあった。もともと書かれてあっただろう字は、数えるほどしか判読できない。
かつての自分の、熱の入れように苦笑いを浮かべながら、他の本たちと同じように自分の脇へ。続いて、2冊目を取り上げたんだ。
2冊目の冒頭から、1ページの半分にも満たない、一日分の日記。それがめくるたび、少なくなっていくのを眺めながら、今度は別の意味で苦笑い。
そして先に話したような、一日一行にしか満たない文たち。そして残る20ページあまりの紙たち。
この時の俺は、、そこから先が空白だと覚えていなかった。どんなあほなことが書いてあるかとページを手繰り、開いてみてつい目が点となってしまう。
めくったページの見開き。左側ページの一番上の行に、たったひとこと。
「見せてください」
なぜ日記で丁寧語になる? なぜ日付などを書いていない?
とっさに突っ込みたくなるも、もっとも目を見張るのは、その筆跡だった。
日記を書いていた時の俺は、非常な悪筆。書いた本人ですら、判読にとまどうことだってままあるくらいだ。
親に言われて矯正にかかり、いまでは人並みのタッチで書けるようになっている。この字はその、最近書いた俺の字に近く感じられた。
右側のページも同じような有様。一番上にただワンフレーズ、「見せてください」ときていた。
書くどころか、本に触れるのすら数年ぶりの俺に、書けるわけがない。かといって、家の人がわざわざ俺の部屋に入り、棚から選んで他人様の日記に書き足すことなど、するだろうか。
首を傾げながら、俺は更にそのページをめくる。
今度は打って変わって、ページいっぱいに文字が書かれている。
どこかほっとしたのもつかの間、「見せてください」と同じタッチで紡がれるその文字たちは、いずれも見覚えのあるものばかりだった。
書いた記憶があるからじゃない。ただ、読んだことがあるだけだ。
日記の中じゃない。同じ棚の中にある、小説や漫画の地の文、セリフ、モノローグなどからランダムに、雑多に埋めつくされていたんだ。
こうして棚に埋めて放っておくほど、飽きるまで読んだ言葉たちだ。
最初はつい懐かしさを覚えて、のんきに紙を手繰っていたが、何ページもぎっちり埋め尽くされるその執拗さに、怖さと一緒にある考えが頭をよぎる。
日記のすぐ近く、一緒に棚へ入って久しい本たちを手に取った。それを開いてみて、つい顔に手を当てて、天をあおいじゃったよ。
本からは文字が消えていた。あの日記に写された部分が、まるまるだ。
日記の終わりのページまで休むことなく、びっしりと文字が埋められ、その被害は甚大。
それを確かめようと、ページを逆走して、さらに気づいてしまった。
「見せてください」しかなかったページ。
その空白だったはずの部分が、この短時間で同じタッチの文字により、埋められている。
これは今までの蔵書たちのものじゃない。僕が今まさに棚の仲間入りを検討している、大学の本たちのものだ。
案の状、教授の本の該当部分は、きれいに文字が削り取られている。それらすべてを、ほぼ把握したのに前後して。
いきなり日記帳に火がついたんだ。
閉じ合わせてあった本の角、手元に近い部分で、ついぱっと放り投げちまった。
本来なら大惨事だろう。だが、それが壁に叩きつけられるまでの、一秒にも満たない時間。空中で火だるまになったノートは、壁にぶつかるより早く、いくらかの黒い粉だけを床にまぶして、すっかりなくなってしまったのさ。
ちょうど1冊目の中身をほぼ潰していた、鉛粉と同じような格好でな。
途中で仕事を止めさせられたあのノートは、満たされない状態。まさに「不満」だったのだろう。
そして俺に捨て置かれている間、それを満たすすべを身に着けたんだ。
途中でやめず、きっちり書ききってあいつの本懐を遂げさせてやること。
それが今回の報いを避け得ることができる、俺なりの情けだったんじゃないかと思うのさ。