人神の憂鬱
眼下に高校の校舎を見下ろせる高台の上。
風に男物のブレザーの裾が揺れる。
「なぁ、ニニギ。これから世の中はどうなるんだろうな」
人間の友人であるヤマトが言った。
「今より改善されてほしいっていうのが僕の思いかな」
僕とヤマトが見ているのは、のどかな街並みだ。
世界は平和に見える。だけど、その実、この世界はいつ壊れもおかしくはなかった。
今、僕たち神とヤマトたち人間は、かつてないほど緊迫しているからだ。
「そりゃ、理想論だ。結構無茶を言った人間側の主導者だけど、そっちもトップがアマテラス様のままじゃあな」
「それは言えてる。お婆様、おっかないから。……だから、決めたんだよ、ヤマト。僕は次の大神になって人と神の安定した世の中にするって」
「そいつは楽しみだ。応援してるぜ。そうだな、次に会うときにはそうなっているといいな」
そういうとヤマトは脱力して背を地につけた。反対に僕は立ち上がって高い、高い空を見上げて短く、決意の言葉を小さく声にした。
「……必ず」
「よっと、そろそろ戻るか」
「そうだね」
ややあってヤマトが背中に付いた草を払いながら立ち上がる。眼下に見える校庭ではまだ、同級生たちが別れを惜しんで、卒業式が終わった後も長いこと話す姿が見える。
僕とヤマトは校庭ではなく、校舎から離れた高台にある一本の木の下まで来ていたが、やっていることは彼らと同じだ。
会おうと思えば会えないことはない彼らと違って、この後、僕は高天原に帰らないといけないため、僕とヤマトはしばらくは会えない。
神と人間の間の緊張状態もあるしね。
そうして、高台から校庭に戻ってすぐのことだ。
背中の中程まである薄紅色の髪が、舞い散っている桜の中に映える。その髪を揺らして一人の美しい少女が、若干の怒りをはらませ髪と同じ色の瞳を、僕とヤマトに向けて現れた。
「あ、二人ともどこ行ってたの? 探しても全然見つからなかったんだから」
「サクヤ」
「や、いつもの場所で語り合ってたんだよ」
「いつもの場所……あ、校舎から離れたあの高台の? じゃなくて、それを言ったら私とニニギも同じよ。なんで誘ってくれなかったの?」
「人数が増えたら目立つだろ。そしたらニニギ目当ての女子たちが、な? こいつモテるから」
「いや、そんなことは……」
「大ありだっての。爽やかイケメン野郎め。オレンジ色の髪が似合うってのがイケメン過ぎるだろ。体格もいいし背も高い。おまけに性格までいいと来た。大神、アマテラス様の孫っていうのもあるしな。チート野郎だよ」
「確かに大勢が探してたわね。今は落ち着いたから大丈夫だけど」
「サクヤには悪かったと思ってる。だけど、ごめん、もう時間みたいだから」
僕が言い終わるとほぼ同時に、予想通り彼は現れた。太陽の光をクセのついた金髪でまぶしく反射させながら。
「ニニギ様、そろそろ。ご友人の方、失礼。お時間ですので」
「サルタヒコ、もう少しだけダメかな?」
サルタヒコは僕の側近である。
「手前ではアマテラス様を説得できませんので。申し訳ありませんが」
服装だけでなく、従者然とした口調と態度が相まってより側近さを強調している。
「そっか。わかった。ごめんね、サクヤ」
「ううん、仕方ないよ」
「ま、またいつか再会するって約束したからな」
「そうだね、時間はかかるかもしれないけど絶対に」
「うん、待ってる」
友人たちと別れ、サルタヒコとともに僕は葦原ノ中国を後にした。
高天原に続く道の中、今後のことについて考えてしまう。
これから、僕たち神と人間の関係はどんどん悪化していくんだと思う。そして、戦いになる。そうなったら葦原ノ中国―—人間界は終わりだ。戦力が違いすぎる。
これまで、欺瞞に満ち溢れてはいたけど友好な関係が築けていたのが奇跡だと思うよ。お婆様が大神でいる限り、いつこうなってもおかしくはなかった。元々思うところはあったけど、人間界で大切な友人たちができて、益々思うようになった。
僕が大神になってこの体制を変えなければ、と。
僕たちは神なんて呼ばれているけど、実は根本は人間と変わらないんじゃあないかって思う。今、存在する神も人間も全てイザナギ様から産み出されたもの。
この世界を創造して消えていった三人の神様やイザナギ様、イザナミ様に比べればお婆様をはじめ、神たちは何もしていないに等しい。
人間を下に見ているようだけど、ほとんど不変な僕たちよりも、変化をし続ける人間たちの方が素晴らしいと思わないかい。僕はそう思うよ。
「今、ニニギ様が考えていること、当てましょうか」
「顔に出てた?」
「はい、少しだけ。アマテラス様の前では気を付けてください」
「分かってるよ。サルタヒコは……」
その続きを言う前にサルタヒコが口を開いた。
「はい、ニニギ様のある所に手前あり。例え、どのような選択をされようとも、手前はニニギ様についていくつもりです」
サルタヒコは、僕が確認しようとしたことに対する答えを言った。
「頼りにしてる」
「は」
さして長くもない道のりだ。サルタヒコとのやり取りの間に、神の住む世界――高天原に到着した。
数年ぶりの、寸分の狂いもない黄金比で造られた社が立ち並ぶ美しき世界。人間界とは違い完成した世界、完成してしまっている世界だ。
憂鬱だな。お婆様、怖いから。できればあまり会いたくはないんだよな。けど、乗り越えなければならないものでもある。
いつまでも逃げているわけにはいかない。
「サルタヒコ、戻ったか。ニニギ様、アマテラス様がお待ちです」
高天原に戻った僕を出迎えたのは、背丈が二メートルを超える大男。筋骨隆々とした体格、常に研ぎ澄まされた武を感じさせる存在感。渋い声。
大神以外の神では一番有名と言っても過言ではない男神だ。
彼の名はタケミカヅチ。武神の名で通っている。
かつての反逆した神アマツミカボシとの戦いにおいて、その武を発揮し勝利を収めたことは有名で、誰もが一目を置く神だ。
「さぁ、ニニギ様、こちらへ」
サルタヒコに代わり、タケミカヅチに導かれお婆様の元へ向かう。
高天原の中でも、特に巨大な社がお婆様のいる場所だ。
人間界にある伊勢神宮はそれを模して造られたと聞いているが、はっきり言って規模が違う。
今の神殿はそのことを見せつけるかのように、伊勢神宮が建てられた後、さらに高く、大きく増設された。
人間が高天原に来ることはないためお婆様の自己満足でしかない。
天高くそびえる神殿はどこからでも見える。
いや、全貌は雲に隠れてしまって見えないが。まぁ、それほどまでに巨大なのだ。
それはまるで自分の力を誇示しているお婆様そのもののようで、僕はどうにも好きになれなかった。
長い、長い階段を上り終えて、ようやくはるか上空にある社に到着する。
周囲の景色はほとんど雲だ。
「アマテラス様。ニニギ様がお戻りになられました」
「ご苦労。さて、ニニギ。お主なら妾がお前を高天原に戻したのは、何を意図してのことかもう分かるな?」
太陽を模した黄金の被り物、何重にも重ねられた豪勢な緋色の着物。その他装飾品を身に着けて、相変わらず権威を示している。
そんなお婆様の後ろにはいつも、大神のみが使用することを許される漆黒の霊魂騎士が圧倒的存在感を誇り鎮座している。
「返事はどうした?」
威圧的な視線も声音も変わっていない。
「……友好の証として人間界に行っていた僕を帰還させたということは、争いを始めるつもりですか?」
「左様。一年後にはな。その際には、お主にも妾の孫として参戦してもらう。言いたいことはそれだけじゃ、下がってよいぞ」
有無も言わせない完全な決定事項ということらしい。昔は仕方ないと従っていたが、今はそういうわけにもいかないんだ。
今までのようにお婆様に従っていては、僕の大切なものは守れない。
「はい」
表面上は頷いておくけどね。
お婆様との終わり、外に出るとサルタヒコが待っていた。
「早かったですね」
「いつも通りだよ。お婆様は言いたいことだけ言ったらそれで終わるんだ」
「ニニギ様は変わりましたね。よいことです」
「サルタヒコ、その時が来たら、僕はやるぞ」
「仰せのままに」
僕はもう、お婆様が知っている僕じゃあない。
悔しいけど、今の僕じゃあ戦いを止めることはできない。僕だけじゃなくて誰にも。このまま始まってしまうだろう。それはどうしようもないこと。
それは一旦受け入れよう。
だけど、その間にできることはある。開戦までに準備を進めておくんだ。僕が戦いを終わらせるための準備を。