生に解ける
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
みんなはどうして、寒い日には身体が縮こまるのか、知っているかな?
人間は他の多くの動物と違い、毛がさほど多くない。よって、元からある熱の発散を防ぐために、身体の表面積を少なくしようとしているんだ。
以前にも話したと思うけど、物体で一番表面積が小さい形は球だ。私たちの身体は、それに近づこうとして、身体を少しでも小さくしようと躍起になっているのさ。
……というのが、科学的な見解だね。
先生も小さいころ、どうして寒い日に、身体をぎゅっとすぼめるようにしてしまうのか、大人たちに聞いて回ったことがある。だいたいが、いま話したようなことなんだけど、先生のおじさんがひとつ、不思議な話をしてくれてね。
その話、少しみんなにも聞いてもらいたいと思うんだ。
「震え立つ風の吹くときは、むやみやたらに動かない」
おじさんが昔、先生の祖父母から聞いた戒めは、そのようなものだった。
おじさんの兄にあたる、先生の父親はこのことを知らなかったらしい。父親と違う点といえば、おじさんが未熟児だったこと。産まれてしばらく、生死の境をさまよったことがあるということだったとか。
祖父母がいうには、おじさんはその経験のおかげで、まだこの世にしっかり「命」が定着していない恐れがある。普通の風に混じって、「向こう側」へ誘おうとするものが、現れるかもしれないから、用心しろと聞いたんだ。
おじさんは、できる限りその言いつけを守り続けた。
実際に、暑い夏のさかりでも、不意に冷たい風が吹きつけて、おじさんを震わせることがあったらしい。
とっさに言いつけを守って、じっとその場で体を縮こまらせるおじさん。極力、動かないように努めているはずなのに、身体の内側からふつふつと熱が湧き上がってきて、顔いっぱいにも広がっていく。
ぬらりと額をてからせる汗を拭うと、どこか焼ける肉の臭いが漂ってきたほどだったとか。
それも、おじさんの身体が大きくなるにつれて、その頻度を減らしていったそうだ。
小学生あたりまでは、おじさんもまだ気張っていたらしいのだけどね。中学生になって、部活動などの身体を動かす機会があっても、あの妙な風に襲われることはなかったそうだ。
回数を重ねるうちに、普通の風との違いも分かってくる。どうもあの風は自分以外に、感じることができる人が、極端に少ないようだった。せいぜいクラスに二人、三人といったところ。おそらくは、自分のような未熟児として生まれた子じゃないかと思われた。
そして中学校卒業後には、もはや年に一、二度訪れるかというところで、高校生活を送る間では一度もなし。いよいよ親のいう、命が定着したのかと胸をなでおろすとともに、どんどん警戒心を頭の隅へ追いやってしまっていたとか。
やがておじさんが大学生になったころ。
その日は新入生歓迎のコンパがあって、いつもより帰りが遅くなっていた。一次会で抜けてきたから、まだ終電までは時間が残っている。
おじさんは駅の改札を降りると、自分の家方面への踏切に向かうも、折悪しく遮断機が下り始めてしまい、舌打ちとともにストップ。ここの踏切は一度閉まってしまうと、数分間は開かない可能性もある、開かずの踏切だった。
待っている間にも、おじさんの周りにちらほらと仕事帰りの人たちが集まってくる。みんな口を利くことなく、靴をトントンと履きなおしたり、首を回したりとくたびれ気味だった。
そしてようやく踏切があがり、いの一番に駆けすぎようとしたところで。
ぞわぞわと、総毛立つような冷たい風が、思い切り体をなでていった。もう春を迎えて久しいのに、季節外れもいいところだった。
すぐに周りを確認する。自分以外の大半の大人がおじさんを知らんぷりし、あるいは突然足を止めたのを、怪訝そうな表情でチラ見して、追い抜いていった。
久々とはいえ、身体は一気にスイッチが入って、すぐさま縮こまる体勢。顔だけ動かして周りの様子をうかがうと、ただ一人だけ。おじさんと同じように、自分の身体を抱きしめながら、動けずにいる女性がいた。
おじさんよりわずかに年上と思われる。男のようにぴっちりとしたスーツ姿と、短い髪が印象的だったとか。
風はなかなか止まない。おじさんは体を震わせながらひたすら待つけど、やがて来る遮断機の音が、それを許さなかった。
カンカンカン……。
無情に響き続ける音。やがては黄色と黒色のバーが下りてきて、完全にこの線路をせき止めてしまう。機械の矢印は右手を指していて、そちらを向くと、すでに彼方から近づく列車のライトが見えた。
たたた、とおじさんの後ろから足音がする。
あのスーツの女性が、駆けだしたんだ。おじさんよりも後ろにいた彼女は、踏切の手前側の方が近いにもかかわらず、おじさんを追い抜く方向へ。よほど焦っていたんだろうか。
その光景を、おじさんはいまだに忘れられずにいるようだ。
おじさんを追い越すかどうかというところまできて、女性のスーツからはみ出す顔や手足に変化があったんだ。
それは後ろから引っ張られ、長く糸引くチーズのようだった。彼女の肌と同じ色の細い糸が、幾筋も幾筋も後ろへ流れていき……数秒後にはすべてを体を失った彼女のスーツと靴だけがそこに残されたんだ。
同時に、風が止む。おじさんは慌てて走り出し、辛うじてバーの下を潜り抜けることができた。
振り返るも、やはり彼女の姿はなく、ほどなく線路全体を覆いつくす列車の通過があった。それを見届け終えた後、彼女のスーツも靴も消えてしまっていた。
電車に轢かれた上に、風に流されてどこかへ行ってしまったのだろうか。人身事故とも違うその日のことは、新聞をはじめとしたいかなるメディアにも、うわさにものぼることはなかったのだとか。