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先生あのね  作者: 速水詩穂
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8、7月8日(水)②



「付き合うってどういうことだと思いますか?」

「そうですね。あなたはどう思うんですか?」

「私は」

 抜け落ちる愛想。表情に使っていた労力までも奪い去って、全てを脳に集中させる。

 口元を覆った指先。その人差し指がとがった鼻先を一度だけタップする。

 起動。それはスイッチ。

 今日は随分聞き分けがいい。

 志堂槙は再生紙の答案用紙からペリペリと手を離した。


「私は付き合うというのは『付属し合う』の意だと思います。自分以上に大切にしたいと感じる相手がいて初めて成り立つ関係であり、そんな理想的な関係が続くのは、もはや奇跡に近いかと。ねぇ先生、」

 遠距離恋愛って成立すると思いますか? と女生徒は聞いた。その目は切に答えを求めているようだった。

「・・・・・・サァ。どうでしょう。私自身、語れる程の経験はしていないので」

 しまった、と思ったその後の反応は、思っていたものと随分違った。水彩透は「そうでした」と眉を下げると、視軸を下げる。

 文月初旬。薄い上着をかけた肩は頼りない。志堂はため息一つ、言葉を続けた。

「付き合うとはどういうこと、ですか。では私は語源から辿りましょう。

 時は江戸初期。俳諧の世界において『附合(つけあい)』という言葉がありました。元はと言えば同音異義語で『付合(つけあい)』というものがあり、こちらは「連歌や俳諧で前句につける付句をつくること」や「前句、付句の一組。例えば五七五なら七七、七七なら五七五をつけたもの」を指しました。

 俳諧は談林以前の文化社会では滑稽なものであり、その滑稽の中身が、粗野な戦国時代を経由することによって、聞き苦しいほど下品なものに成り下がっていました。だから当然女性は参加しません。

 異性のいない状態で既に『付合』という言葉は存在していたので、語源としては今で言う「酒の付き合い」の方が古いのでしょう。

 では元に戻ります。

 俳諧の世界における『附合』は「変化が目的で寄り集まった催し」を指します。元々決まった形の中で自由に言葉を発し、つなげていくもの。「中途に誰かが才能を閃かせて、更に一段とをかしいことを言ひ出して、笑はせてくれるだらうという予期」の元、附け続ける所に楽しみを見出していた。故に内々で楽しむもので、周りにとっては退屈なものでもありました。

 その後「さび」を含む蕉風俳諧によって下品な滑稽を脱して、ようやく女性が俳諧の世界に足を踏み入れましたのは江戸前期。元々小野小町や清少納言など、機転の利く聡明な女性が歴史上にも残っている以上、御簾を隔ててやりとりする上で、たびたび身体の大きな殿方がやり込められることもあったと言います。それも含めて、当時の人々は歌を通じたやりとりを楽しんでいたのでしょう。

 それが即ち今で言う『付き合う』です。その昔、男性が女性に近づきたいと思った時、歌を詠みましたが、それが下手だと相手にもしてもらえませんでした。平生昌ほど愚直な男もある意味好感はもてますが、基本は歌が上手いかどうかで種を残せるか決まるというのは、人類とて動物の一種でありながら、非常に高尚だと思いませんか? 間違っても『できちゃった』というような間柄を『付き合う』とは定義しません」

 志堂はその頬にまつげの影が落ちるのを見たまま言った。

「・・・・・・だから、遠距離恋愛は成立すると思いますよ。おおよそ理想的なお付き合いをしているのでしょう」

「全然会えなくても平気なんですか?」

「知りませんよ。ただ、恋人だけが全てじゃない。互いに同じ方向を向いていればこそ続く関係もあるのではないでしょうか」

「・・・・・・先生はそれを『愛』と定義しましたね」

「あなたは『心地よいと感じる温度を保つのが難しい』と言いました。難しいんですよ。口で言うよりきっと。ずっと」

 私にはよく分かりませんが、と付け足すと、水彩透は再びうつむいた。

 その後「そうですよね」とだけつぶやいた。





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