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先生あのね  作者: 速水詩穂
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6、6月24日(水)②



「愛と恋の違いって何ですか?」

「漢字のつくりから、真心と下心で有名なやつですか? 先に聞きましょう。あなたはどう思うんですか?」

「はしょった。このやりとり自体面倒になった」

「どうせ行き着く先は同じでしょう」

「最低。セックスレスになって捨てられろ」

「どうしてこうも口が悪いんでしょうね。はいはい、ちゃんと聞きますから、あなたの考えを教えて下さい」

 不満を残した女生徒の目が、一瞬見開かれて細まる。それでも次の瞬間には、頬の肉が元の位置に落ち着いていた。

 抜け落ちる愛想。表情に使っていた労力までも奪い去って、全てを脳に集中させる。

 口元を覆った指先。その人差し指がとがった鼻先を一度だけタップする。

 起動。それはスイッチ。

 志堂槙は再生紙の答案用紙からペリペリと手を離した。


「私は愛と恋の違いは温度だと思います。

 愛はぬるま湯。恋は煮え湯。ただ、いくら水自体が熱しにくく冷めにくいとしても、それでも経時的変化は起こるわけで、愛は心地よいと感じる温度を保つのが難しく、恋はそもそも使用するエネルギー量が非常に大きい。だから刹那的な恋に比べて、愛の方が長い時間を要する。

 そうして一般に愛と恋がぶつかった場合、恋の持つ熱量にあおられて、狩猟本能や生殖本能に火がつくことがある。どれだけ失敗の前例を見ても懲りないのは、本能故でしょうか。先生は」

 恋は罪悪だと思いますか? と女生徒は言った。その目は切に答えを求めているようだった。

「・・・・・・サァ。どうでしょう。私自身、語れるほどの経験はしていないので」

「もしかして妖精さんですか?」

「失礼な。まだ二十九です」

「妖精さんに限りなく近い童貞さんですか?」

「やめなさい。私は恋を罪悪とは思いませんよ。これは時代に合わせた考え方の変化に依るもので『命までかける価値が恋から失われた』という考えの元で、です。

 例え美談で存在したとしても、現実命まで落とす大義などないと、殉職などあり得ないとう前提が根付いた結果、恋とて同じく、今時心中などほとんど聞かないでしょう。

 人が死ねばその理由を追及しなければなりませんが、そこまで至らない以上、問われる罪などたかが知れています。それ以前に恋自体に興味ありなしで分かれる時代じゃないですか。その考え方はありだと思いますけどね『増えすぎた人類による無意識下での抑制力』は働いているのでしょうし、少子化うんぬんよりも人類の存続理由自体存在しない」

「ひがみ根性すごいですね。さすが近未来の妖精さん」

「・・・・・・その代わり、度を超した怒りは罪悪だと思いますけどね」

 女生徒は沈黙すると、少ししてから「そっか、罪悪とつり合わなくなっちゃったんだ」とつぶやいた。

 志堂は一生徒の悩みに付き合うつもりはない。ここは義務教育の現場ではないのだ。故に講師の側にも義務はない。早々、本題に帰還した。

「愛と恋の違い、でしたね。私は『当事者の見ているものの違い』だと思います。恋はその人だけを見る。その人の好きなもの嫌いなもの。その人の動向。自分にとって、その人が行動基準になり、他のことが手につかなくなる。一方で愛は二人で同じ方向を見る。同じものを見て笑い合う。だから愛はゆとりがあり、恋は独りよがりな印象を受ける。ですが、

 本来人は独立した一生命体です。他者と完全に通じ合うことなど不可能。偶然一致した感情のやりとりによって夢見ることはあっても、実現することはありません。だから、

 恋は一個の生命体が、一つの要素に集中する。あなたの言葉を借りるなら煮え湯ほどの力をもって。それは生命維持活動以外にかけられる労力としては異常に大きい。本能故として、異性はそのほかにも数多く存在しているにも関わらず、たった一人に恋をする。

 恋をすると魂が身体から抜け出て、その人の元へ行ってしまう。だから残された本体はぼうっとしてしまう。そのことを万葉集では「魂合ひ」と言いましたね。結構じゃありませんか。愛と比較されることで軽んじられがちな恋。けれども全て己の中で起こる以上、一切の不純物を交えない。最もひたむきな生き物になれる唯一の事象と言えなくもありません。

 よく『恋をするように仕事をしろ』と言いますが、それができるなら苦労はしないんでしょうね」

「ふぅん。先生ってほんと、机の上だと無敵ですよね。ところで私たちのやりとりは、帰納法、演繹法どっちになるんですか?」

「ただのおしゃべりです。そんな小難しいものに分類したところで、このやりとりが価値あるものに昇華される訳ではありませんよ。用が済んだらさっさとお帰り下さい」

「はぁい。セックスレスとか言って、大変失礼しましたー」

 



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