4,6月10日(水)②
「大人と子供の境ってどこにあると思いますか?」
「成人式じゃないですか? ・・・・・・嘘です冗談です。当たり屋堪忍。あなたはどう思うんですか?」
決して大きくはないけれど、黒の占める割合の多い女生徒の目が、一瞬見開かれて細まる。次の瞬間には頬の肉が元の位置に落ち着いていた。
抜け落ちる愛想。表情に使っていた労力までも奪い去って、全てを脳に集中させる。
口元を覆った指先。その人差し指がとがった鼻先を一度だけタップする。
起動。それはスイッチ。
志堂槙は再生紙の答案用紙からペリペリと手を離した。
「私は大人とは『何かを決定するとき、他の誰かの意思を優先させられる人』のことを指すと思います。例えば親から子へ。先生から生徒へ。男性から女性へ。その逆もしかり」
「・・・・・・一応ですが本来先生は生徒を優先しませんからね」
「はい。先生が優先するのはその実、直接的な利益をもたらす生徒の両親」
「やめなさい。何て恐ろしいことを言い出すんだこの子は」
「とにかく本当は別に行きたい方向があるにもかかわらず、利他的な行動をする人。そしてそのこと自体、ある一定の金銭的、あるいは精神的な余裕を必要とします」
「幼子が忙しい母親に代わって料理をつくるというのは、この場合どうなるんですか?」
「その場限りではなく毎日だとしたら、例え十歳だとしても、それは立派な大人と認めざるを得ません。けれど本来その年代は自己形成期。感情を押し殺して成り立った無理な利他は、育つはずの器の成長を妨げ、他者依存を生みます。結果、後々見返りを要求すれば、その段階で過去の功績は消失します」
「すると『全ての利他行為は己の欲求が満たされた場合のみ発生するもの』と定義してよろしいでしょうか」
「その通りです。子供は見ています。どうしたらもっと自分を見てもらえるのか。そのためには何をすべきか。好意的に思われるために、優先されるために必死で考えているんです」
志堂は、桶を両手に見上げる生徒を思い出していた。
そうか。あれは注目されることに飢えた幼子の、年月だけ重ねた姿だと思えばいいのか。だとしたら彼にとってそれは、その先行き止まりと分かっていながら、選ばざるを得ない行為だったのかもしれない。
どこか無邪気で、伏し目がちなまつげ。
「だから私は自身をしっかり確立した上で、誰かの手を取り、育て、守る。それを当然として日常を送る人のことを総じて大人、その他を子供と定義します」
「なるほど。集団生活を営む以上、与える側と与えられる側の割合は非常に重要になりますしね。建設的に物事を進めていく上でも実社会に基づいていると思います。
大人と子供の境・・・・・・ですか。そうしましたら私は個人対個人ではなく、個人対社会について同じ事を論じましょう。
大人とは『己を社会の一部と認識できる者』それ以外を子供と設定します。
その人個人に期待される役割を全うすることで、社会の一端を担う。それは経済活動であり、家庭の柱であり、はたまた割り振られた地域の役割であり、それぞれの場所で頑丈な建物を構築する煉瓦の一つになるということです。
個々に仕事量こそ異なりますが、必要不可欠な案件です。それこそ個人の感情を持ち込みません。己ではなく、社会全体で完結できるような、総じて帳尻が合うような生き方を、自覚しようとしまいと結果的に担っている人のことを大人と呼ぶのだと思います。
子供が育つ共同体。市民を思って施行される政策すべて、たくさんの大人によって成立しています。そのことに早く気づくべきですね」
「私たちは私たちで、子供は子供なりに日々懸命に生きています」
「別に小言を言ったつもりはありません。ただ、大町先生はあなたがいつも授業開始五分後に現れると嘆いておられました」
「・・・・・・家を出て少ししてからケータイ忘れたことに気づくタイプなんです」
「オヤ、いつも忘れるというのは、学習能力のなさと認識してよろしいんでしょうか。ちょっとくらい、というのは本人が思っている以上に他人によって厳しく評価されているものですよ。頭でっかちになる前に、自身の行動を見直すことですね」
「・・・・・・さもありなん」