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先生あのね  作者: 速水詩穂
41/43

38、4月25日(日)②

 




「ねぇ、もずくって名前、どうやってつけられたと思う?」

 ウソだろ。マジかよ。

 この俺様がスーパーミラクルシュートを決めた後だってのに、ひんやりとしたベンチに深々と腰を下ろして発する第一声がコレとか、絶対頭おかしいと恒星は思った。

 時刻は十八時四十五分。BOX最上階のベランダにて。

 透と一緒に試合を見ていた真梨は、試合が終わると同時に姿を消した。満足したような顔は、何かを見届けたかのようだった。

 恒星は持って来たビニール袋から毛染めの箱を取り出すと、透に押しつける。その眉間にシワが寄る前に「頼まぁ」と言う。

「葬式だ」

 ベンチに腰掛けて腕を組む。本当は「すごかったねーカッコよかったねー」とか言われながらやってもらうテンションだったが、そこは透だ。我慢しようと思う。

「今日から生まれ変わる」

 そう言うと、透は「ふぅん」と目を細めた。パッケージ片手に恒星の後ろに回り込む。

 その後少しすると、薬剤のツンとしたにおいが辺りに漂い始めた。

「このまま塗っていいの? 汚れてない?」

「シャワー浴びたから大丈夫」

 黙って小突かれる。自分だけずるい、ということなのだろう。

「・・・・・・。・・・・・・で、もずくが何だって?」

 大人しくケープに巻かれて、てるてる坊主になった恒星が、前を向いたまま聞く。

「んー。ホラ、もずくって聞いたとき、何かちょっと心が緩むっていうか、言葉選ばないとちょっと小馬鹿にするっていうか・・・・・・何かこの三文字の組み合わせによって生み出される絶妙なバランスがあるっていうか・・・・・・。やっぱり頭の『も』が利いてるのかなぁ。

『ず』も『く』もそうでもないけど『も』から始まるってだけで、もっさりするっていうか・・・・・・。あ、もっさりも『も』だ。あはは」

 好き放題まき散らして自分で笑って完結するなんて、なんてハッピーな脳みそしてやがる。俺のシュートの『し』の字も出てきやしない。

「意味以前に、パッと見つけたときに名付けるその感覚って感性だよね。それが『もずく』を見つけたとき、すぐ『もずく』って名前が浮かんだのかなって。だってあれに『さくら』とか絶対つけないでしょ?

『く』は入ってるのに。さわやか過ぎてイメージ合わない。そう考えると、名付け親ってすごいなぁと思って」

「・・・・・・。・・・・・・そうだな」

 いやいや絶対別に由来あるから、と思うが黙っておく。そもそもごきげんに繰り広げられる「もずく談義」なんて、一体誰が好んで聞くんだよ。俺今てるてる坊主だから聞かざるを得ないけど、苦行以外の何ものでもない。もっとこう、俺は。

「恒星」

「何」

「違う『恒星』」

 呼びかけた訳じゃない、ということなのだろう。口をつぐむと透は続けた。

 それはいつか聞いた、子守歌を謳うような声。

 やわらかい手のひらが頭をなでた。

〈恒星〉

「意味は『太陽と同じく自ら発光する天体』」

「・・・・・・」

 BOX最上階のベランダは吹き抜け。山の頂上にそびえているだけあって、グラウンドはもちろん、市と名のつく一体はゆうゆう見渡せる。

 それは夜景。まるでキラキラまたたく、夜空そのもの。

「太陽は、お父さん」

 まばゆい光を放つ、絶対無二の存在。自ら道を切り開き、山に囲われた村に渡した一筋の光。

 気づく。もっと広い世界があると。もっとたくさんのことを知りたいと。自分の中にある欲に、気づく。


〈私は、アノ人の横顔を好きになったの〉

〈恒星。あなたもお父さんのようにまっすぐ育つのよ〉

〈お前「アイツ」に似てきたなぁ〉

〈自信を持てって。お前は俺の息子なんだから〉


「太陽と同じく、だって。名前負けもいいトコ」

「勝てるかよ。それはつけたヤツが悪い」

「親って、そういうものなんじゃない? どこまでも際限なく伸びて欲しいって」

 透の笑う気配がした。

「親バカってやつね。愛されてるー」

 そうしてうれしそうに鼻歌を口ずさみ始める。

 穏やかな、やさしい歌声。それは確かに。

「・・・・・・。・・・・・・ソト、オリ、ヒメだっけ?」

「切るとこ違う。ソ、トオリ、ヒメ。漢字だと(ころも)に透明の透に姫。私の漢字をぶった切らないで」

「どっちでも変わんねぇよ。オリ姫の方が有名だし」

 どっちにしても。

 見えてねぇよ。全然分かってねぇ。

 姫なんてガラじゃない。待ってるなんて性に合わない。だから、そんな穏やかなやさしい歌声なんて似合わない。透は。

「・・・・・・おい、何だその不抜けた歌。歌ってのは誰のために歌うんだ。自分のためだろうが。誰のための葬式だと思ってんだ」

 そんな上品じゃない。そんな生き物なんかじゃない。お前は、

 生粋の槍使い(プレイヤー)だろうが。

「吐き出せ。もう一度立ち上がるために」

「・・・・・・」

 その後、止まっていた手が再び動き出すと同時に出された声。おずおずとかすれて裏返る。咳払い。

 出す声が大きくなる。たどたどしい歩調。

 それでももっと出そうとする。安定感皆無の歌声、が、

 ようやくのどをこじ開ける。必死で吐き出す音。それは、のどだけでなく、腹の底を洗うようにして次々とあふれ始めた。

「もっと」

「あの人」への思いが溢れる。頼りなく震える声。それでも恒星は手を貸さない。

「もっと」

 一つ一つ確かな輪郭をもって生まれ出る音。いや、生まれ出るなんてキレイなものじゃない。これは血反吐。血反吐の塊が転がり出て、目の前に赤黒い死体の山ができていく。

「もっと」

 声が枯れる。切れそうなのどの痛みを自分のことのように感じる。それは共鳴。

 透は身体が、恒星は心が等しく痛む。想いが、シンクロする。

 火州さん、大好きだった。あんたみたいになりたかった。でも。

 心が震える。深い共感。(ソコ)を通るからこそ押し上げられる。内側から。

 もう、憧れない。もう、あんたは必要ない。


 前触れはなかった。突然落ちた水分は涙。恒星の頭に吸い込まれていく。

 あわてた透は薬剤のついた手袋で顔をぬぐってしまう。

「バカ! お前何か拭くもん持ってねぇの?」

 困ったようにまばたきするだけ。コイツに女子力求めた俺の方こそバカだったと、恒星は思った。仕方なくてるてるケープの裾でその頬をこする。

「痛い」

 うるせぇ。

 一応とれたことを確認して座り直す。

「・・・・・・。・・・・・・続き」

 早くも染めた部分が乾き始めていた。

「次、透の番だかんな」

 静けさ。ひんやりとした空気。

「・・・・・・。・・・・・・何呆けてんだよ。似合わねぇんだよ。そんな海苔みてぇな色した頭。いくら頑張ったってニセモンはホンモンになれねぇ。でもな」

 最上階から見える景色。その秘めたポテンシャル。何だっていい。これが今の俺だ。

 だから、いいか。焼き付けろ。

「そもそもなる必要なんかねぇんだよ。お前はお前のままでいいんだ。勝手に汚すな」

 下手な野郎より男前な戦い方をする背中。その身軽さを活かすのは、何より、アッシュじみたショートのウルフカット。

〈『姫』〉

 直接聞いたことのない呼び方。その声を辿る。

「あの、さ」

 ひんやりとした空気。呼吸を通じて頭が冴える。

 地上の光を反射して明るい夜空。どこまでも続く光の粒。

「火州さんのこと・・・・・・俺なりに考えてみたんだけど」

 透の起こしたイレギュラー。それは、一つの謎の一つの答え。

「・・・・・・姫って、特別なもんだよな」

 静けさ。透の視線が頬を焼く。

「よく分かんねぇけど、ほら、キレイなとこにいて、何より大事にされるような。それも、ただ大事にされるってんじゃなくて、ケイイ? をもって向かい合うみたいな。火州さんは『自身の意思とは関係なく群がる女』と線引きをするためにそんな言い方したんじゃねぇ?」

 運動部の習性か知らない。女性だからといくらやさしくされても、透は頑なに上下関係を守り続けていた。そんな姿を俺より一年長く見ていて、だからそれは火州さんなりの距離感であり、それこそが

「一瞬でもお前が拒絶されなかったイレギュラーの正体。火州飛鳥にとっての水彩透は、間違いなく特別だったんだよ」

 静けさ。またたく眼下。たった数十センチ後ろで息をのむ気配がした。

「・・・・・・。・・・・・・『たった一人理解者がいる。それだけで見える世界は変わるものかもしれない』ね」

 その後透は「そっか」とだけ答えると、再び手を動かし始めた。その声はもう震えてはいなかった。

 静けさ。

 眼前に浮かぶ背中。何故だか今、自分は透と同じ絵を見ている気がした。熱いグラウンドと打ちっぱなしのコンクリートのBOX。そんな風に、太陽に愛されながら、同時にこの静けさもまた「あの人」の持つ空気だった。

 髪染めを全部塗りおえて片付けが済むと、透は「そろそろ行く?」と尋ねた。

「俺もう少しいるわ」と応える。応えながら恒星はてるてるケープをビニール袋に詰めた。

「風邪ひくよ」

「いや、何となく」

 月が見たい気分だった。

「うっわ、ロマンチストー」

 うるせぇ。

「帰れ」と言うと、透のニヤけた顔が視界いっぱいに映し出された。

「それ、本気で言ってる?」

「・・・・・・最低だなお前」

 あはは、という笑い声が吹き抜けに反響する。涙ぐんだ目尻。

「何か恒星に『最低だな』って言われると安心する。何でだろ。最低な自分でも受け入れられてるって思うからかな?」

 やさしくされるほど卑屈になる。やさしくされるほど不安になる。

 ののしられて初めて「そんなことない」と自分を守ることが出来る。透は罰を与えられる程に自己肯定感の増す、珍しいタイプの生き物だった。


 だから、これは(あい)だ。


「知るか」と返す。

 月が見えた。

 地上の光を反射して明るい夜空。その中でもそれは

 ひときわ、明るい。








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