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先生あのね  作者: 速水詩穂
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2,5月27日(水)②

 


「本当に大切にされるべき読み物ってどんなものだと思いますか?」

「見聞を拡げてくれるものではないですか?」

「ううわ最低。片手間。頭ポンポン。ヤリ捨てそのもの」

「表現。

『まともに向き合う気がない』という意味で言ってるんでしょうけど、たった一言で一体どれだけの罪を着せられるんですか。もはや当たり屋と言いますか・・・・・・」

「たった一言で片付けようとするところに誠意が見られないと言っているんです」

「あなたには通訳が必要ですね・・・・・・。分かってますよ。あなたはどう思うんですか」

 決して大きくはないけれど、黒の占める割合の多い女生徒の目が、一瞬見開かれて細まる。次の瞬間には頬の肉が元の位置に落ち着いていた。

 抜け落ちる愛想。表情に使っていた労力までも奪い去って、全てを脳に集中させる。

 口元を覆った指先。その人差し指がとがった鼻先を一度だけタップする。

 起動。それはスイッチ。

 志堂槙は再生紙の答案用紙からペリペリと手を離した。


「私にとっての本当に大切にされるべき読み物は『深い共感を可能にするもの』です。

 そのために最も重要視するのは、例えが的確で読みやすいこと。一方、本当に聞かせたいサビの部分は、真理故、読者側が経験と照合するため、読むスピードが極端に落ちる。・・・・・・いえ、スピードが落ちる、というのは語弊があります。咀嚼が必要なので、一つの塊を飲み込むのに時間がかかると言いますか。その作品を通じて過去に感じた思いの正体をつかめたり、見えなかったものが見えるようになったり、そうすることで自分という生き物の輪郭を知っていきます。

 他にも繰り返し読むことによって異なる引っかかりを発見したり、音読することで空中に舞う音を楽しんだり。だから読了後はふっくら満ち足りた気分になる。友人はその感覚を「豊か」と称していました」

「『葡萄食ふ一語一語の如くにて』『舌頭に千転』ですか。いいじゃないですか。それで。異論はありませんよ」

「・・・・・・。・・・・・・どうして『本当に』とつけたのか聞かないんですか?」

「察せますよ。偽物は逆を行くものなのでしょう『例えが的確とは言えず、読みづらい。故に本来聴かせたいはずのサビが入ってこない』作品に相対(あいたい)した時に感じた憤り」

 あなたは。

 傷ついたのでしょう。と志堂は静かに口にした。

 あどけなさの残る頬がわずかに動く。

「・・・・・・商売なのは分かっています。ただでさえ今、出版業界は厳しい。電子書籍への移行期だとしても、画面を通じると、何だかんだ目に負荷がかかる。無意識のうちに飛ばす。結果、本当に没入するためには紙である必要があると考えたとき、実体を伴った書籍の衰退は、直接的に深さに影響すると考えます。

 選択させるよりも押しつけに近い、スポットの大規模な宣伝。打つのは『名の知れた作家』による『低コストで実写化可能』な、ある程度の収益を見込める作品で、帯の宣伝文句につり合わない作品が多く、レビューさえ情報操作されてるんじゃないかとうがった見方をしてしまうこともあります。ただそれは、本物によって満たされた経験があるからであって、一度でもこの感覚を味わったことのある人は『愛読者』になります。私が恐れているのは」

 偽物を本物と勘違いすることで、言葉そのものを軽んじられることです。

 つぶやくようにそう言うと、水彩透はうつむいた。

「・・・・・・個々の感性に依る所はありますが、少なくともあなたにとって『それ』は宣伝に見合った作品ではなかった、と」

「本物は、もっと深い。色だけでも二千種類以上ある日本語は、特に繊細な表現を可能にします。当時は『与えられたものをまっすぐ受け取ること』を自意識を阻害するものとして倦厭しがちでしたが、今になってようやく教科書こそ精鋭部隊であると気づきました。当然ですよね。教育のために選び抜かれた作品群に、相応の価値がない訳がない。しかし解き放たれた私たちは、既に手の内にあるものに興味はありません。おのおの自ら手を伸ばします。興味を引きやすい、分かりやすいキャッチコピー、過剰なあおり文句に引き寄せられて。その戦法はもはや」

 噛みしめた下唇。にじむ感情。

 志堂はその握りしめたこぶし、小さな親指の先端が赤くなるのを見た。

「・・・・・・充分です。それくらいにしておきましょう。

 あなたの話を聞いて「病める俳人への手紙」の一節『人を楽しませるものが芸術だといふことを、思ひ出さずには居られない時世になりました』を思い出しました。

 本当に大切にされるべき本、ですか。ならば私は『次の学びを促すもの』とでも答えておきましょうか。

 まず定義する上で、私は単純に影響力でその価値判断を統一することにします。

 本当に価値あるものは、どんな形であれ、その人の行動を変える。例えば、さほど大した事でなくても、作中においしそうなものが出てきたからそれを食べた、とか、楽しそうな場所が出てきたからそこに行ってみた、とか。ただそうさせるだけの臨場感、描写、表現力は問われます。

 私の出会った『とある作家』は、歴史上の人物を登場人物にして、さも同時間軸(げんだい)に存在するかのような書き方をします。言文一致体の先駆けとして、文語を脱却してこと細やかな心理描写を可能にしたのは二葉亭四迷ですが、この『とある作家』は言文どころか時代一致、時代統一・・・・・・うーん、上手い言い方が見つからないのですが、とにかく不可逆の時間軸には決して架かることのない橋渡しをやって見せました。

 ひどく曖昧模糊とした説明になってしまいましたが、要はその作家によって『歴史上、名前と出来事を一致させるだけで知った気になっていた、写真上の縁のないお偉いさん』の裾を掴む事で、その人間くささ、考え方に、共感ないし尊敬の念を抱いて、一人の血の通った生き物として眼前に『光源で照らすことによって浮かび上がる虚像(ほろぐらむ)』で出現させられると同時に、その人の事をもっと知りたいと、その人が『間違っていると分かっていながら、破滅に向かわざるを得なかった』その理由を、その人の生きた時代そのものを知りたいと思わせる事。さらには同じ時代を生きた、影響し合った人物に興味を持たせたり、そのために思わぬ沼にはまってしまい、何とか抜け出せたと思ったら、また別の沼にはまったり。

 そうしてその読書と呼ばれる行為そのものが新たな欲を生み、拡がる見聞によって、日常に作用し、爆発的に連鎖する事によって、結果的に見ている世界の色味を変えられてしまう事。

 影響力、その最上は習慣です。半永続的にその人の時間を奪い続けること。私が柳田國男を読もうと田山花袋を読もうと、こと歴史上の有名人を冠した作品に没入するとき、その先どれだけ分岐しようと、得られた恩恵は必ずやその作家に帰属する。

 この功績は、計り知れません。先程の教科書の例もそうですが、考えてみれば価値あるものでなければ後世に残りやしない。そんな真の王者達を一斉に率いるのは、私にとってただ一人、その『とある作家』なんです。本人のあずかり知らぬ所で、私はこれからもその人に依る時間を生産し続ける訳です」

「ふぅん。そうなんだ。先生なんだからそんな影響受けるまでもなく、当然たしなんでるものだと思ってました」

「・・・・・・。・・・・・・アア。さもありなん(ですよねー)



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