2章8 怯える義弟と飛ばされた義兄。
義兄と義弟に下る鉄槌。
翌日。深雪は崇正と一緒に、式の会場へと向かった。すると、義母の藤と義父の源之助が出迎えてくれた。
「おお、久しぶりだね」
「……久しぶりという程でも無いでしょう、あなた。全く」
「義父さまにそれに義母さまも……」
「……さて深雪さん。それでは、衣装合わせとお化粧をしましょうか。私がやりますよ」
白無垢の準備や化粧を藤が手伝ってくれるとのことだった。
恐らく、深雪が狐憑きであるからだろう。
他の人には頼めないのだ。
深雪もそれは察したので、「お願いします」とこくこくと頷く。藤は優しく笑うと、奥の部屋へと深雪を案内した。
ちらりと崇正を見ると、「いってらっしゃい」と言われた。
☆
「ふふっ、本当に可愛いお耳だこと」
藤は、白無垢を合わせている最中に、頻繁に深雪の狐耳を触って来た。こそばゆい気持ちにはなるものの、相手は義母さまであるし、それに衣装合わせもして貰っている手前どうにも断り辛い。
なされるがままに、深雪は仕方なしに自由に狐耳を触らせる。すると、ふいに藤が眉尻を下げた。
「……ところで、深雪さん、あなたには感謝しませんとね」
「え……っと?」
「あなたがいなければ、今の崇正はいないのですから。……小さい頃のお話は、私も聞いたことがありましてよ」
どうやら、義父の源之助だけではなく、藤も知っているようだ。そういえば、と深雪はあることを思い出した。
崇正は父と母には色々と言っているかも知れない、的なことを善弥が言っていたな、と。
「……願わくば、崇正が、あなたにとっての良き夫であることを祈ります」
「も、もう十分過ぎるほど良い旦那さまです」
藤の言葉に深雪は本音を返した。
崇正の妻になれたことを後悔したことなどただの一度も無いのだ、と。
「ふふっ。なら良かったわ」
藤はとても嬉しそうだった。
衣装合わせは、まもなくして終わった。頭には釣鐘帽の代わりに、綿帽子が被せられる。深雪は鏡に映った自分を見て、自身も気づかないうちに笑顔になった。
☆
式場に入ると、紋付き袴に装いを変えた崇正が待っていた。
深雪は崇正の隣に座ると、ぐるりと周囲を見回す。
こじんまりとした小さな式場で、参列者は義父と義母……それと、怯えるような目で崇正の様子を窺う善弥のみだ。
「……ちゃんとおしおきをしておいたからね」
怯える善弥に冷たい視線を送りつつ、崇正が深雪に聞こえるようにぼそりと言った。どうやら、以前に深雪を迫ろうとした罰を、いつの間にか与えていたらしい。
びくつく善弥は、一向にこちらを見ようとはして来なかった。
「な、何をされたのですか……?」
「……二度と変なことが考えられないくらいに、徹底的にやったよ」
何やったのかは、詳しく聞かない方が良いのかも知れない。深雪は若干額に汗を浮かべる。すると、「それと」と崇正が続けた。
「兄さんも絶対に来ないから、安心して良いよ。昨日、父に書簡を送ったと僕は言ったよね?」
「……は、はい」
「それの内容は兄さんについてなんだ。簡潔に何が起きたのかを記して、そもそも近くには絶対に来れないようにして欲しい、と頼んだんだよ。父は将官だから、人事にも手を入れられる。兄さんの人事に手を入れて、大陸にある居留地に駐屯させている部隊に送ることにしたってさ。……昨日付けでの異動で、今頃は船の中で海の上」
深雪は思わず源之助を見る。
すると、源之助は笑顔でウィンクをして来た。
義父の思わぬ協力に、深雪はしばし言葉を失う。けれども、思い返して見れば、それは何もおかしな行動では無かった。
以前に崇正が過去の話を深雪にしてくれた時に、源之助についても僅かに触れていた。確か、最初の頃から崇正と深雪の仲を応援してくれていた、という話であり、だからこそ動いてくれたようだ。
「……まぁ、大陸は荒事も多いと聞くから、腕に自信がある兄さんには丁度良いよ」
大陸との距離はどのくらいあるのかは分からない。ただ、海を越えた先ということは、相当遠くなのは間違いが無い。
深雪は思わずホッと胸を撫でおろした。
安心して式を楽しむことが出来るし、なにより今後の生活で怯える必要が無くなったので、それで思わず目尻に涙を浮かべた。
崇正と深雪の結婚式は、本当に規模が小さく、それは慎ましく進んで行った。
大々的なものではないし、決して他人に自慢出来る式では無い。
それでも、この結婚式は、何物にも代えがたい思い出として深雪の胸の内に強く残った。
綿帽子の中の狐耳も、終始ぴこぴこと動きっぱなしであった。
「深雪、こっち来て」
「は、はい」
式の終わり頃に、深雪は崇正に呼ばれたので、近くに寄った。すると、変な箱を持った人が現れた。誰だろうかと深雪が思っていると、変な箱を持った人があれこれと姿勢を指示して来る。
深雪が戸惑っていると、崇正が「言われた通りにね」と言うので、取り合えず、指示の通りに姿勢を正して表情を作る。すると、あるところで、
「そのまま、そのままでお願いしまーす」
と、変な箱を持つ人が言った。次の瞬間、変な箱が光ってぱしゃっという音がした。思わず深雪は目を瞑る。何が起きたのかと思ったのだ。
「あの……今のは一体……?」
「写真だよ。前に言ったよね。写真を撮るって」
深雪はぱちくりと瞬きを繰り返す。
どうやら、今のが写真というものらしい。
確か、白黒の絵になるとかいうアレだ。
なぜ光ると絵になるのかは分からないけれど、ともあれ、そういうものらしい。
「出来上がるまでには少し日数がかかるけどね」
写真が手に入るには少し時間が掛かるようだ。
深雪は少し楽しみになった。
綺麗な絵になっていれば良いけれどとか、そんなことを考える。
それから。
深雪たちは場所を移しての食事会を経て、そうして、式は何事もなく平和的に終わった。
家に帰るまでの間、ずうっとずっと、深雪はにこにこ笑顔であった。そして、それを見た崇正も優しく微笑んでいた。
――今日は深雪にとって、それは間違いなく、今までの人生の中で初めて”主役”になれた日であった。
さて一方その頃。
大陸行きの船に乗っていた初志はと言うと。
「なぜ俺が大陸送りなのだぁあああああああああ! 親父め! 崇正め! 俺の長男としての想いが分からぬのかぁああああ!」
縄で縛られ放り込まれた倉庫の中で、絶叫しており、周りの船員から困ったような視線を向けられていた。




