2章7 式の前日は旦那さまと二人。
崇正が向かったのは、職場である帝国陸軍の基地内部――ではなく、隣接されている事務棟であった。
事務棟の中に入って、深雪は思っていたよりも柔らかい雰囲気を感じた。職員には女性が多く見られたので、そのせいかも知れない。
「それじゃあ、そこに座って待っていて」
深雪は言われた通りに、廊下にある長椅子に腰掛け、受付で話を始めた崇正を眺める。
少しばかり長く話が続いたようだけれども、折り合いはどうにかついたようで、しばらくして崇正が戻って来た。
「ただいま」
「……おかえりなさいませ。その、少しお話が長引いていたようなのですが、何か問題がおありだったのでしょうか?」
「いや、特に問題はないよ。もともと明日から休暇を取る予定だって言ったと思うけれど、だから、昨日までに仕事もだいぶ消化しきっていたんだ。
残業はしたくないから、残していたのは後回しでも大丈夫なものばかりで、今日休んでも良いといえば良い状態にはしていたからね。
……ただ、僕の管轄の隊に少し指示出しもして置きたくて。休暇の取得と合わせて、事務棟を通して指示を言伝しようとして、それで時間が少しね。全国に散らばっているものだから」
「管轄……」
「一応は僕も物の怪関連の局の副局長だから」
「ふくきょくちょー……?」
「なんて言えば良いのか……まぁ、そういう名称の役職も持っているだけだよ」
崇正が尉官であるのは深雪も既知である。
しかし、どうやらそれ以外の肩書も崇正は持っているようだと、そんな新たな事実も知りながら。
とにもかくにも、特別な支障もなく今日からしばらくの間は一緒にいてくれるということに深雪は再びの安堵を感じつつ、崇正と手を繋ぎ――
――刺すような視線を感じて、思わず振り返った。
「……」
「……どうしたの深雪?」
「いえ、なんでも……」
深雪は周囲を見回す。変な視線を確かに感じたのに、けれども、不思議な点はどこにも見つからない。
はて、と深雪は首を傾げた。
勘違い……だろうか? 深雪はそう思ったけれども、しかし、事実を述べるのならばそれは勘違いなどでは無かった。
崇正という男は、非常に女性人気が高い。出世頭、父親は将官、優しく穏やかで知的で顔も悪くなく。女性比率の高い事務棟に置いて、どの男が良いかという話し合いになればまず筆頭に上がる人物であり、誰が先に崇正を落とすかの競い合いまであったくらいだった。
それが、突如として結婚すると言う話が広まり、相手もぽっと出の良く分からない女という噂も立ってしまっており、その当の本人らしき人物が現れたとなれば……。
柔らかいのは雰囲気だけで、事務棟の内情というのは、意外とどろどろしているものであった。
まぁ、深雪が知る必要の無いことではあるのだけれども……。
☆
事務棟から出てから、深雪と崇正の二人は、帝都をぶらぶらと歩きながら一日を過ごした。
どこかの家か商店が風鈴を軒先につけていたのか、ちりんちりんという音が風に乗って耳に届いて。
漠然と。
深雪は漠然と、明日の式のことが心配になって来た。
初志は来れないようにする、と崇正は言ったけれど、昨日の勢いを見る限り何が起きるか分からない。
そんな気がしたのだ。
すると、深雪の心配そうな表情に気づいた崇正がこう言った。
「……明日は大丈夫だよ。さっき、事務棟で父に対しても書簡を一つ送ったんだ。事務棟の隣の基地にいたハズだから、もう届いている頃合いだ」
どうやら崇正は、義父に何か文をしたためたらしい。それが一体何を意味するのか、深雪がそれを知ったのは翌日の式でのことである。




