2章6 怖いので。
目を覚ました深雪は、自身の掌が温かいことに気づいた。どうやら、深雪が寝入ってからも、崇正がずっと手を握り続けてくれていたようだ。
椅子に座って、すぅすぅと寝息を立てる崇正が見えた。
一晩中崇正が手を握り続けてくれた事で、深雪の心も幾分か落ち着き、少なくとも震えるようなことはなくなった。昨夜のような状態から脱することが出来たと言える。
けれども、昨日の急な襲撃の恐怖は完全に拭い去れず、一人で動くには些かの不安は残っていた。ので、朝の仕事はすぐに行わず、ひとまず崇正が起きるのを待つことにして、それまで深雪は時間を潰すことにした。
崇正に触れていると気持ちがより安らぐので、指を絡めてみたり頬に口づけをしてみたり、ぎゅっと抱きしめてみたり……。そうこうして時間を潰していると、崇正が「んん……」と目を覚まし始めたので、深雪はそっと離れた。
☆
今日の深雪の朝の仕事においては、常に傍らに崇正がいた。深雪がそれを求める前に、崇正が自発的に、自然にそうしてくれたのだ。
「今日は僕も手伝うよ」
「傍にいてくれるだけで構いません」
「……見ているだけ、というのも僕の居心地が悪くなるからさ」
そう言われてしまうと、深雪に拒否は出来なかった。崇正の居心地を悪くしたいわけではなかったからだ。
「分かりました」
「僕は何をすればいいかな?」
「それでは……」
どのような事情があれ、経緯があれ、妻の仕事を手伝わせるのは、いまだ男女の優位差がある世間一般的には「なんということだ」と思われてしまうことではある。
そして、妻が旦那に心配を掛けさせることも、御法度に近い。
そういうものであったし、深雪も本で見た知識として知っていた。
しかしながらだ。
世間さまではそうだとしても。
こうして心配をしてくれて傍にいて貰えると、今の深雪はとても嬉しい気持ちになるのだから、仕方がない。
しばらくの間、世間さまの常識とやらには目を瞑っていて貰いたい。
☆
「本当は明日から数日間休暇を取る予定だったんだけれど、それを少し早めて、今日からにしようと思う。そのことで話をしに行ってくるから、深雪は少し待っていて。大丈夫すぐに戻って来るから。……兄さんも、昨日の今日ですぐにどうこうは無いとは思うけれど、念の為に鍵をかけて待っていて」
玄関先で、崇正がそんなことを言った。深雪は「分かりました」とお澄ましした表情でいながら、けれども僅かな間でも一人になるという事態に、急に不安が再燃して来てしまった。
がしっと崇正の服の裾を掴んだ。
「……深雪?」
「いってらっしゃいませ」
見送りの言葉を贈りつつも、なお、深雪は崇正の裾を離さなかった。
すると、崇正はしばし頬を掻いて思案する様子を見せた後に、「……話をしに行くだけだし、なんなら深雪も一緒に行こうか」という提案を出してくれた。
次の瞬間。
深雪はあっという間に支度を済ませ、釣鐘帽を深く被った出で立ちとなった。
「旦那さま、それでは行きましょう」
瞬く間に準備を済ませた深雪を見て、崇正は微笑んで手を差し出して来る。深雪は迷わずにその手を握った。




