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狐憑きのわたしが嫁いだ相手は軍人将校さまです。  作者: 陸奥こはる
1章 狐憑きと旦那さまの気持ち編。
10/24

10 離さないでください。

 外は鮮やかな夕日色。夜も近い夕刻だ。

 深雪は玄関で待ち続けて――まもなくして扉が開いた。現れたのは当然に崇正である。


「ただいま」

「おかえりなさいませ」


 深雪はぴこぴこ狐耳を動かしながら、崇正に近づくと上着を受け取った。

 上着から崇正の匂いがした。

 落ち着くような感じがするこの匂いが、深雪は好きだった。だから、あともう少しだけと思い、気づいたら鼻先に襟の部分に当てていた。


「だ、大丈夫……?」


 崇正が目を丸くしたのを見て、深雪はすぐさまに「いけない」と思い、誤魔化した。


「ほつれが……ほつれが見えましたので、後でお直ししようと思いまして」

「そうなんだ。気づかなかったよ。……そういえば、なんだか、家の中が綺麗だね」


 崇正はぐるりと家の中を見回して、いつもより綺麗だと言った。一生懸命に掃除した成果をすぐに発見してくれた。


「今日家の中を全部掃除しましたので……」

「全部⁉」

「はい」

「……凄いね。ありがとう」


 崇正の言葉に、深雪の狐耳が慌ただしく動き続ける。その言葉を言って欲しくて頑張ったのだ。嬉しかった。


「……お風呂もお食事も準備が出来ております。どちらから」

「それじゃあ最初に夕食から」


 深雪は自信満々に崇正に食事を出した。

 崇正の好みと聞いた、魚と野菜が中心の夕食だ。

 反応はどうだろうか?


「……あれ、僕の好きなものばかりだ」


 良かった、と深雪は安堵した。狐耳が再び忙しく動き始めた。しかし、


「深雪に言ったことあったかな?」


 そう言われて、深雪の狐耳の動きがピタリと止まった。

 崇正の疑問は当然のものだ。

 善弥と遭遇したことを伝えると、当然にどんな話をしたのかという流れにもなるので、出来れば隠したいところだが……深雪はこの話においては誤魔化しきる自信が無かった。


「……」

「どうしたの?」


 下手に隠そうとして崇正が違和を抱けば不安も感じるだろうし、何より傷つけてしまうかも知れないと深雪は思った。

 女に隠し事はつきものだが、それは相手を傷つけない為である。隠せば相手が傷つくのであれば、本当を伝えることも当然に視野に入る。


「実は……」


 だから、深雪は考え抜いた末に全てを言うことにした。





 崇正の表情が凄いことになっていた。深雪の狐耳が、一瞬のうちにピンと張ってしまうぐらいの恐ろしさであった。


「へぇ、善弥が……。後でおしおきしておかないとね」


 以前に崇正は、善弥のことを、余計なことを言おうとしたからと縛って宙づりにした事があった。

 深雪もそれは見ていた。

 けれども、今回はそれだけでは済まないような、そんな感じがひしひしと伝わって来る。

 下手をしたら善弥を殺すのではないかと、逆にそっちの心配をしてしまいそうになるぐらいに、崇正の表情は凄かった。


 深雪が額に汗を浮かべていると、それに気づいた崇正がすぐに表情をいつも通りに戻した。


「……ごめんね。先に深雪に教えておくべきだったのに、会うこともそう無いかなと思って、言わずにいてしまった。そのせいだ」

「そんなことは……」


 謝って欲しくて伝えたわけではないのに、なんだか申し訳ないなと深雪が狐耳をぺたんと折ると、崇正が手招きをして来た。

 深雪はそそくさと近づいた。すると、崇正に抱き抱えられ、そのまま膝の上に乗せられた。


「……他の男にはあんまり近づいたら駄目だよ。それが僕の家族であっても」


 崇正が囁いた言葉を聞いた瞬間に、深雪は自らの顔が熱くなるのを感じた。特に耳が酷い。火傷しそうだった。

 今日一日は色々あって、考えたことも沢山あるし不安に思ったこともあった。

 でも、それらは全て杞憂なのだと分かった。分かってしまった。崇正は言葉と行動でそれを示してくれた。


 気づいたら、深雪は崇正の頬を両手で押さえていた。

 水仕事で少し荒れている手だけれども、けれども、旦那さまはこの手を嫌がったりなんかしない――そんな確信があった。


「……深雪?」

「……旦那さま。わたしを好いてくれているのであれば、そのお気持ちが変わらない限り、どうか離さないでください。そして、わたしの心も体も、あなた無しでは生きられないようにして下さい。誰にも奪えないように……」


 心の内から自然と出て来た言葉であった。

 そして。

 部屋の明かりが映し出した二人の揺らめく影が、その唇が重なったことを、静かに教えてくれた。

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