犯人探しが終わりました2
ルビィを使用人棟の部屋に残したまま、ひとまず部屋を出た。父は私の肩に手を置いたまま扉を閉めた後、おもむろに私を抱き上げた。
「おとうさま!?」
「アンジェリカ、ひとまず屋敷に戻ろう。カトレアも、ロイも。マリサは申し訳ないが、何か朝食の代わりになるものを応接室に運んでおくれ。それからミリーが出勤してきたら、今日ルビィは仕事に出られないことを伝えてほしい。事情は……いずれ私から話す」
「は、はい。かしこまりました」
そうして私たちは使用人棟から出た。父は私の背中をずっとさすってくれていた。だめだ、目頭がだんだん熱くなってくる。ルビィの悪意に晒されたときはちっとも泣くつもりなどなかったのに、こういう不意打ちは……慣れていないから弱い。
父の大きな手に守られながら、前世の父のことを思い出した。両親が亡くなったとき、私はもう15歳だったので、さすがに父に抱きつくような年齢ではなかったから、記憶はもっとずっと昔のことだ。まだ父の膝にのるのが当たり前だった頃。妹とその場所を取り合って、最後には2人で分け合って。
そんな温かな暮らしは、もうとっくに過ぎ去ったものだと思っていた。今、こんなに近くにあることが、なんだか泣けてくる。
「アンジェリカ、すまない。本当にすまない……」
耳元で繰り返される謝罪。父が謝ることなど何もないのに。あれかな、監督不行届ってヤツかな。そんなことをぼんやり思いながら、私は応接室のソファまで運ばれた。
私をソファに優しく下ろした後、父は頭を軽く撫でてくれた。私はなんとか涙をひっこめて、なんでもないような顔をしてみせた。ここで泣いてしまったら、ルビィの仕打ちに傷ついたから泣いたのだと思われてしまう。私は平気だと、示したかった。
「アンジェリカ……」
継母が近づいて、私の前で膝を落とした。ソファの端に手をかけて、私を見上げている。
「あなたは今までルビィに何か……ひどいことをされた?」
「……いいえ」
「隠さなくてもいいのよ、あなたを叱りたいんじゃないわ」
「いいえ、このおうちでの生活はいつも快適です」
ここにくる前、実母に虐待されていたことを思えば、あんな嫌味のひとつやふたつ、大したことない。
継母は眉を八の字に下げたまま、今度は言葉を変えた。
「そうね。叩いたり押し倒したり、そんなことはされていないわね。あなたの体の傷はもうすっかりよくなっているわ。じゃぁ、ルビィに何か、ひどいことを言われたことは?」
「……」
これにはNOと言うことはできなかった。そう言ってしまえば嘘をついたことになる。継母は私の沈黙から答えを見つけたのだろう。その瞳からはらはらと大粒の涙が溢れてきた。
「ごめんなさい……、私、知らなかったではすまされない……っ! あなたはこんなに頑張って、私を受け入れてくれたというのに……っ」
継母は、そのまま崩れ落ちるように床に膝をついてしまった。嗚咽で小さな背中が震えている。
「カトレア、君のせいだけじゃない。私も、何も気づけなかったんだ……。だから、畑が人為的に荒らされていたことに気付いても、それをごまかそうとした」
父が私たちの間に入るように、継母と私に手を伸ばした。そして私の目を見ながら、もう一度謝罪した。
「あの畑が不自然なことには、一目見たときから気付いていたんだ。だが、もしこれが誰かの仕業なら、私は立場上、調査をしなければならなくなる。あのときはまさかルビィがそんなことをしでかしたとは思っていなかった。誰か領民がやったことなのかと。犯人が見つかれば処罰しないわけにはいかない。私は……誰も裁きたくなかったんだ。だから、猪の仕業として終わらせようとしてしまった。これも謝ってすむことではない……」
父の説明に、先ほどのやりとりのことを思い出した。納得がいかないように畑を歩き回っていた父。ロイの指摘後、私に対して謝罪したのは、今回の出来事をごまかそうとしたことに対して。その理由がまた父らしい。私は小さく首を振った。
「いいえ、おとうさまもおかあさまも、悪くなどありません」
2人が謝ることは何もない。今回の出来事の犯人がルビィだとは思いもつかなかったことだろう。だから彼らの行動が、結果的にルビィを庇うような形になっていたとしても、私はどうとも思わなかった。なぜならルビィは2人にとっては気心の知れた、よく尽くしてくれる使用人だった。こんな貧乏男爵家にはもったいないほど、教養のあるメイド長でもあった。そしてずる賢くもあった。
彼女はいつだって周囲には気づかれないよう気を配り、私に近づくことも極力避けていた。そうした日常の中で、何かの折に2人きりになったとき、彼女の攻撃は私に繰り出された。誰も気付けなかったのは、ルビィの周到さによるものだ。
泣き崩れる継母と項垂れる父を見て、改めてルビィのしでかしたことに腹立たしさが湧いてきた。なぜあんな姑息なことに手を染めたのだろう。彼女の目の敵にされることや、辛辣な言葉を浴びせられることくらいなら、いくらでも耐えてあげたのに。これではもう彼女のことを庇えない。そして父を継母を、こんなにも悲しませてしまった。こうなってほしくなかったから、彼女が犯人でありませんようにと祈ったのだ。
私は畑にじゃがいもを植えたときのことを思い出していた。8月の暑い最中、頑張って石灰をまき、スノウとフローラに手伝ってもらって3つの畝に種芋を植え付けたときは、希望とわくわくする気持ちで溢れかえっていた。この実験が、この男爵領に明るい未来をもたらしてくれると信じていた。
それなのに。結果はさんざんだ。こんな未来を、私は望んでなどいなかった。