待ちに待ったお便りでした
応接室に呼ばれた私に、父は封筒の差出人の名前を告げた。
「マクスウェル侯爵家の当主、ミーシャ様からの手紙だ」
「マクスウェル……、宰相様ですね?」
すぐにピンときた。そして同時に、その手紙が何の知らせをもたらすものかも察した。
「夏にアッシュバーン伯爵老にお願いしたことが伝わったということでしょうか」
私はこの夏の出来事を思い出す。伯爵老とギルフォードを招いて、じゃがいものフルコースをご馳走した。そこで、じゃがいもが十分食用に値するとお墨付きをもらった。その際、この情報を王国全土はもとより、他国にも広めるために力を貸してほしいとお願いし、伯爵老からは宰相様が適任と返事をいただいた。
現王国の宰相はマクスウェル侯爵家のミーシャ様だ。伯爵老にとっては息子世代にあたるため直接的なつながりがなく、王都の王立騎士団で副団長を務めるご長男を通じて、この情報が宰相様の耳に届くよう、手を尽くしていただいた。その結果が届いたのだろう。
息を呑んで、私は父に質問した。
「それで、宰相様はなんとおっしゃっているのでしょうか」
じゃがいもなぞ家畜の餌、聞くに耐えないと一蹴されればこの話は終わりだ。また新たな手段を講じなければならない。だが、その新しい手段はかなり遠い道になるだろう。3年後の、ミシェルが死ぬかもしれない初陣までに間に合わない可能性が高くなる。
胃が痛くなるような思いで、父の返答を待った。
「結論から言うと、宰相様はじゃがいもの食用化に興味は持たれている」
「……では!」
「待ちなさい、そんなに簡単な話ではないよ。興味は持っていただけたようだが、主食となりうるかということには疑問を呈されている。食用化自体は喜ばしい話だが、それが王国全土にまで広げるほどの価値があるのかは今の段階で判断できないとのことだ」
「興味はあるけれど、実用化は厳しいという評価でしょうか」
「宰相様はこうもおっしゃっている。“一地方の特産として食される程度としたものではなかろうか”と」
「そんな……」
あまりの言われように私は言葉を失った。じゃがいもは十分に通用する食べ物だということはアッシュバーン家でも証明済みだ。ギルフォードの話では、領内でじゃがいもの作付け面積を増やす計画もあるとのことだったのに。
私は諦めきれずに父に詰め寄った。
「アッシュバーン領での取り組みは参考にはなりませんか? 既に騎士たちにも広がっているとのことですし、ルシアンのお店だって……」
「アンジェリカ。落ち着きなさい」
「……はい」
「まず、宰相様のおっしゃることは概ね正しい」
「えっ……」
父の思わぬ言葉に、私は一瞬耳を疑った。
「アッシュバーン家のことに関しては、かなり幸運だった。まず伯爵老と私が旧知の間柄であったことが大きい。だからこそ老も私の、いや、まだ小さいおまえの話を聞いてくれたのだ。また彼の家が抱える食料事情の問題もあった」
「はい……」
「だが宰相様となると、そう簡単にはいかない。彼の採決は国を動かす、いわば王国レベルの決断だ。もちろん最終決定権は陛下にあるが、その陛下の懐刀として采配をふるっておられる宰相様には、数多の重責がおありなのだ。一男爵家の意見に即座に飛びついて採用するなどという愚行は、彼は犯すまいよ」
「ですが、宰相様は、民人のお声には耳を傾けられないのでしょうか」
「傾けておられるさ。だからこそ、この返事だ」
父は言いながら、手紙の最後の部分を見せてくれた。そこにはマクスウェル宰相のサインがある。
「これは宰相様の直筆のサインだよ。サインだけではない、この手紙全てが宰相様の筆跡によるものだ。これがどういう意味かわかるかい?」
「よく、わかりません……」
私が素直に答えると、父は説明を重ねた。
「あのお忙しい宰相様が自らペンをとられてしたためてくださったということだ。宰相ともなると仕事の分量も普通ではないし、ただ書類にサインするだけでも相当の量だろう。それだけの忙しさの中、通常であれば部下に代筆をさせ、サインだけを自分でするものだが、この手紙は違う。最初から最後まで、宰相様が書かれている。つまり、我々がご提案申し上げた件について、少なからず関心はもたれたということだ」
「でも、お話を聞いてくださることはしていただけないのですよね」
「それだけ、宰相様が動くということは大事なんだよ。王国には処理しなければならない問題が山のようにある。それが採決され履行されることを待っている人たちがいる。そしてそれらには優先すべき順位がある。じゃがいもの食用化については、その順位が低いとみなされたということだ。決して関心がないとおっしゃっているわけではない」
「……」
父の説明を理解することはできた。宰相様が執り行っている政治は多岐に渡る。山のようにある問題の中で、今はじゃがいもについて関わっていられないということなのだろう。理解はしたのだが、どうしても納得できない。
そんな私の表情を読み取ったのか、父は静かに続けた。
「仮にじゃがいもの食用化を宰相様が認められたとしよう。その次に彼がするのはなんだと思う?」
「え、宰相様がなさることですか? そうですね、まずはじゃがいもの食用化の具体的な方法を広めます」
「どうやって?」
「それは、たとえばルシアンのお店のように、お料理教室を開きます」
「王国全土に広げる必要があるのだから、一箇所では足りないね。各領に最低でもひとつ、広い場所なら複数箇所必要になる。それだけの人員を、おまえはどうやって準備するつもりだい? 場所はどうやって確保する? 費用は? さらに、それだけの人がいきなりじゃがいもを食べるとなったら、もともと家畜用にしか作られていないのだから圧倒的に量が足りないことになる。その確保は?」
矢継ぎ早な質問に、私は父が言いたかったことを悟った。もし宰相様が指揮をとってじゃがいもの食用化を進めるとしたら、それらのものをすべて準備しなければならないということだ。一地方だけが豊かになったのでは意味がない。王国全土にあまねく届けるためには、大掛かりな準備が必要となる。
つまり、宰相様が動くということは、そういうことなのだ。一地方の数名が動いて事を為すのとはわけが違う。
「私が軽率でした、申し訳ありません」
「いや、アンジェリカはよくやってくれたよ。ただ、今回は相手が大きすぎた。それに、宰相様も興味は持ってくださったのだ。もし再び彼の耳にこのじゃがいもの食用化のことやポテト料理のことが届くことがあれば、そのときが勝負のしどきだろう」
「まだ、諦めなくていいということですか?」
「あぁ、それが、この直筆の手紙にこめられた真のメッセージだと思うよ」
つまり、じゃがいもの食用化作戦はまだ準備不足。もっと練ってから持ち込むようにということだろうか。私が父に尋ねると、ゆったりと頷いてくれた。
「わかりました。私、もっと考えてみます」
待ちに待った便りは、期待通りの答えではなかった。だがそれは、時の宰相からの挑戦状ということだ。それならその挑戦、受けてやろうじゃないの。
一足飛びに事は運ばない。だから少し計画を見直そう。もちろん間に合わなくなるといけないからスピード感は忘れないけれど、まずはポテト料理やスイートポテト料理に必要な材料や人材を育成することが大事だ。ルシアンのお店を成功させて、2号店をアッシュバーン領内に出せるよう尽力しよう。大丈夫、この小さな一歩はきっと私が望む未来に続いているはずだ。
前世では村に織物産業を定着させるのに3年かかった。村人たちの生活に潤いが出るようになるのにさらに2年。支援はいつだって時間がかかるもの。結果は大事だが、結果だけを追い求めてはいけない。
忘れかけていたその理念を思い出し、私はもう一度顔をあげた。