お店の開店日和です
ルシアンのお店の開店準備のため、私たちが彼女が待つ町に移動したのは、開店日の2日前のことだった。
「旦那様、奥様、お嬢様、こんな遠いところまでありがとうございます」
笑顔で迎えてくれたルシアンは、ダスティン領にいたときよりも輝いて見えた。隣には松葉杖姿の婚約者の姿がある。ダニエルさんといって、この町で生まれ育った鉱夫の男性だ。彼とは初対面だったので、両親ともども挨拶をかわした。
「ルシアン、元気そうでよかったわ。開店準備は進んでいる?」
「はい、サリーとケイティが手伝ってくれましたので、日持ちするお菓子やパンなどの料理は今日中には仕上がる予定です。パイなどは明日焼こうと思っています。グラタンや鶏の丸焼きなどは明日のうちに仕込んで、当日のちょうどいい頃に焼き上がる予定で準備しています」
「さすがルシアン、お料理上手なだけのことはあるわ。私たちが来るまでもなかったわね」
「とんでもないことです。ここはお嬢様のお店ですから、お嬢様が当日いてくださらないことには始まりません」
「いやだ、私のお店じゃないわよ、ルシアンのお店よ」
「それでも、ですわ」
ルシアンは何度説いても、この店の主人は私だと言い張った。ちなみにお店の所有者はアッシュバーン辺境伯だ。それを名目上はダスティン家が借り受けたことになっている。
「そうそう、お嬢様に決めていただいたお店の名前が入った看板が仕上がったんです」
言いながらルシアンは、奥から幅広の板を取り出してきた。看板には『ポテトお料理教室』と書かれてある。
「うん、いい看板じゃない」
「私もそう思います。ところでお嬢様、お手紙でお店の名前を聞いたときから気になっていたのですが、“ポテト”ってどういう意味があるんですか?」
「あ、あぁ、えっとね、“じゃがいも”って名前の野菜だけど、じゃがいもって、どうしても家畜の食べ物ってイメージが強いじゃない? だから、食用化したじゃがいもに別の名前をつけてあげたらいいんじゃないかなって思って。その第2の名前として“ポテト”はどうかなぁって思ったの」
これは本当の話だ。どちらも同じじゃがいもだけど、アク抜きしたじゃがいもを“ポテト”と呼ぶようにすれば、少しはとっかかりのハードルが低くなるのではと考えた。ポテトの由来は……察して。うん、ネーミングセンスだよね、わかってる。だから何も言わないで聞かないで(2回目)。
「なるほど、それでポテトなんですね。名前も軽やかで、いい響きだと思います。私もこれからはポテト料理って呼びますね。サリーとケイティにも伝えておきます」
「うん、ありがとう」
ちなみにサリーとケイティは、今回のお店の開店のためにダスティン領で雇った親娘だ。お店の2階で寝泊まりしている。
彼女たちも領内にいるときからじゃがいも、もといポテト料理に親しんでいたので、開店準備の大いなる助けとなっているようだ。とくに娘のケイティは料理の才能があるようで、新しいレシピもいくつか考案してくれたらしい。今領内で出回っている料理のほとんどは私の発案だから、新しいポテト料理が食べられるのも、すごく楽しみだ。
お店の内装もすっかり仕上がっていた。壁は明るいグリーンに塗られ、中央には石造りの竈がある。今後大活躍するであろう作業台兼机もずらりと並んで、出番を今か今かと待っている。キッチンも、以前のものをそのまま流用しているとはいえ、非常に綺麗な作りで、これならお料理教室としても見栄えがよさそうだ。
壁には通りがよく見通せるよう、大きな窓を入れた。窓の下にはプランターが置かれ、色鮮やかな花が揺れている。ダニエルさんのお母さんがプレゼントしてくれたものらしい。サリーも実は花が好きで、2人で植物談義に花を咲かせることもあるそうだ。
「うん、いい感じのお店♪」
満足気に頷く私を、継母がそっと呼んだ。
「アンジェリカ、そろそろいきましょうか」
「あ、はい!」
「あら、奥様、お嬢様、もう行かれるのですか? 今お茶をお持ちしようと思いましたのに」
「ちょっと用事があるの。だからまた明日来るわ。お料理のお手伝いもさせてもらいたいし」
「お嬢様に助けていただけると百人力です。助かります」
「うん、じゃあ、また明日ね」
ルシアンたちに挨拶をしたついでに、ダニエルさんを見た。彼は足の骨を折っているため動き回ることはできないが、作業台でできる作業に取り組んでいるところだった。私たちを見送るために席を立とうとしたので、慌てて「大丈夫よ」と制した。
「ダニエルさんも、どうぞよろしくね」
「はい、あの、何から何までありがとうございます」
礼儀正しく頭を下げる青年を一目で気に入っていた私は、それじゃあ、と声をかけて店をあとにした。