良い子は早く寝ましょう2
その勢いで湯あみをさせられ、寝巻きを着せられた私は「がんばってらっしゃい」という謎の継母の言葉で送り出され、メイドさんの後をついて三人が休んでいるという客間に案内されたわけなのだが。
部屋に入って早々目に入ったのは、床に落ちた枕だった。なぜ枕?
自然とそれを拾い上げ、けれど5歳のアンジェリカにはいささか大きすぎたので、両手で抱えるはめになったのだけど。
「やったなカイル! これでもくらえっ」
ギルフォードが投げつけた枕を、殿下は見事に躱して見せた。
「ギルの投げ方はいつも同じだからもう慣れたよ。絶対当たらないから!」
「言ったな! じゃあこれはどうだ!」
「あまい!」
6歳児2人が体の半分はあるものと思われる枕を投げつけている光景が目の前で繰り広げられていたわけで。(そして冒頭部分にかえる)。
うん、これはなんだろう。前世でも見たことがある、というか幼い頃に経験したことがあるような。こめかみを押さえつつ、隣のメイドさんを見上げると、彼女は通常運転のきれいな表情。なんだ、この慣れっぷり。もしかして殿下が滞在している間にこの光景も通常運転になったということだろうか。
自分の部屋にとって返す術も、にこやかに、だが有無を言わさずこちらを見下ろすメイドさんのおかげでなくしてしまった私は、ぶつけられた枕を拾いつつ、ベッドに近づいた。部屋にはセミダブルのベッドが2つ並んでいた。手前と向こう側に殿下とギルフォードが立っている。ミシェルは奥側のベッドになぜか正座だ。
「よかった、ようやく常識のある人間が増えた……」
亜麻色の髪を後ろに流した少年は、はあぁと深い息を吐いた。今までため込んでいたものを一気に吐き出せたといわんばかりのその行動に、うん、これ、おとといから続いていたんだなと納得できた。
そんなに私の登場が待たれていたのか。それならば、と私は大きく息を吸った。
「殿下! ギルフォードも! ベッドも枕も遊び道具ではありません! 遊びは昼間さんざんやったでしょ!」
あまりの勢いに、ギルフォードに敬称をつけ忘れてしまったけど、もうどうでもいいだろ。抱えていた枕をベッドに置いて私は仁王立ちだ。
けれど敵は怯むことなく、私めがけて枕を投げつけてきた。子どもが投げたとはいえないすごい勢いのものを咄嗟に避けてみせる。投げてきたのはギルフォードだ。
「だから遊びでは……」
「すごい! アンジェリカが避けた!」
「へ?」
感嘆の声はカイルハート殿下。
「ギルフォードの攻撃を一瞬で避けてみせるなんて、アンジェリカはやっぱりすごいね!」
「へ?」
「僕なんて今日ようやく慣れて躱せるようになったのに」
「だろ! こいつ、俺を一瞬でなぎ倒したんだぜ。枕くらいなんともないよ」
「ふぇ?」
よくわからない2人の反応に、思わずぽかんとする。
「よし! ならば戦争だ!」
「のぞむところだ!!」
そして6歳児2人が再び戦闘態勢に入った。
「いや、ちょっと待って……」
私はパジャマパーティって聞いていたんだよ? パジャマパーティって、ほら、お菓子とかジュースとか持ち込んでさ、噂話とか恋バナとか、そんなんじゃないの? 女子の場合はそうだよ?
「2人ともやめなさい、アンジェリカ嬢が驚いてるだろ」
常識人ミシェルが半分立ち上がって枕を奪い取ろうとする。いいぞ、ミシェル、もっとやれ。頼むから静めてくれ!
手に汗握る勢いでミシェルを心の中で応援していると、次の瞬間、飛び上がったギルフォードの足がミシェルの顎を直撃した。
「うわっ」
悲鳴をあげてベッドに倒れ込むミシェル。さすがのギルフォードも顔色を変えてミシェルに駆け寄った。
「うっわ、ごめん兄上、大丈夫?」
「……」
顎を押さえつつミシェルがベッドから起き上がる。そしてその目は、なんだか普通ではなかった。
「やめろって言ったのに……言いつけを守らないとはどういうことだ!」
「うわあああっ」
突然キレたミシェルは手近の枕を力一杯ギルフォードに向けて投げつけた。その威力や、さすが9歳児、頭ひとつ抜けている。だがギルフォードは寸でのところでそれを躱した。
「あっぶな……」
「避けるな!!」
「いや避けるだろ!!!」
「避けたらおしおきにならんだろう!!!!」
「いや、俺だけじゃないし! カイルもやってるし!!!!!」
投げるミシェルに避けるギルフォード、そこに「僕も!」となぜか殿下が乱入し、あわれ辺境伯家の優雅なベッドルームは子どもたちに踏み荒らされ、シーツはもみくちゃ、寝巻きはよれよれという、なんとも残念な様相を見せていた。
「もーう! みんな落ち着い……ぐふわぅっ」
頼みの綱のミシェルが豹変したことで、唯一の常識人となった私が、その役目を果たすべく止めに入ろうとしたとき、枕は無常にも私めがけて飛んできた。
「くっ! やったわね……っ、今投げた奴出てこ---い!!!!」
私の中の何かの糸がぶちぎれた。
こうなったら私もヤケだ。飛んできた枕を三人めがけて思い切り投げつけた。
そうして過ごすこと数十分。
(さすがお子様、寝つきはいいわね)
湯あみの意味あったのかというほど汗だくになった三人の男の子たちは、誰かを皮切りにこてっと眠ってしまった。あのミシェルですら寝落ちしたくらいの、激しい枕投げ戦争だった。
ミシェルとギルフォードが向こう側のベッド。手前のベッドには殿下がいる。いくら初夏とはいえ、上掛けがないと寒いだろうと、ひとり生き残った私は彼らの下敷きになったシーツを引っ張りあげようとしたが、5歳の我が身では男の子たちは重すぎた。部屋の角で見守ってくれていたメイドさんが手伝ってくれて、ようやく三人をベッドに入れることができた。
そこまでやってはっとする。ベッド、空いてなくない?
奥のベッドにはミシェルとギルフォード。セミダブルベッドとはいえ子ども2人を収容すればいっぱいだ。とくにギルフォードが大の字になっているからそこに潜り込む隙はない。
(え、もしかして私、殿下と同じベッド?)
恐る恐る殿下の寝顔を見遣る。天使がこてん、としているようなかわいい寝顔に思わず胸がきゅんとする。え、ここに入るの? 無理無理無理無理、ほら、あたし庶民だから、天使と同じベッドとかありえないでしょ。
だが、そんな私の常識を覆い尽くすようにやってくる敵、そう、奴の名は睡魔。どんなに頑張ってもこの身体は5歳の幼女。昼間の緊張を強いられる場面と、寝る前の適度な運動のおかげで、身体はもう、限界に近かった。
(ダメ、殿下と同じベッドなんて……)
もう一度自分を戒めようとするも、いつの間にか私は意識を失っていた。