伯爵老との面会です
結局のところ、父はベイルを呼んで伯爵老との面談を申し込んだ。ただのじゃがいもプロジェクトの話だけならまだいいが、既に王子の口に入れてしまったとなると、ことを急がねばならない。夕食会が差し迫った時間だったため、今日の話になるかどうかわからなかったが、間もなく伯爵老から諾の返事が届いた。
私はクッキーの詰め合わせを持ち、父に伴って応接間に向かった。さすがの辺境伯家、廊下は長いし応接間もだだっぴろい。完全庶民の私はふかふかのソファに体を持っていかれ、姿勢を保つのがやっとだった。父はというと意外にも落ち着いて堂々としている。この辺が末端とはいえ貴族だなぁと恐れ入る。
10分ほど待たされた後、ノックの音が響き、伯爵老が姿を見せた。先ほどは簡易な衣服にマントを身につけただけの姿だったが、夕食会を前にすでに正装している。騎士服姿でない格好も実に様になっていた。
父に倣って私も慌てて立ち上がる。ただ、ソファがふかふかすぎて足が床につかない状態だったので若干飛び降りる姿勢になってしまった。すぐにスカートを整え深く礼をとる。
伯爵老は父だけでなく、私が同席していたことに一瞬驚いたようだった。しかしすぐに切り替え、私たちに着席を勧めた。
「どうぞ気楽にしてくれ。先ほどは慌ただしくしてしまいすまなかった」
「いえ、この状況でご無理を申し上げてしまい、申し訳ありません。ですが、どうしても伯爵老にご相談申し上げたいことがありまして」
「うむ、あまり時間はとれぬが、ひとまず話を聞こう。それで、話というのは? ここにアンジェリカ嬢がいることと関係あるのかね」
大人の話し合いの場にいる私はどう見えても不釣り合いだ。伯爵老も何やら訝しんでいる。
「えぇ、関係あるといえばあるのです。実は、伯爵老に相談申し上げたいと言い出したのは娘でして」
「なんと。5歳の娘御が私に相談だと?」
その口調は硬いものだったが、表情は何やら面白そうな色をしていた。私は安心して、テーブルに置いていたクッキーの詰め合わせの箱を引き寄せた。
「お忙しいところお時間をいただき恐悦至極に存じます。時間もあまりありませんため、単刀直入に申し上げます。まずはこちらをご覧ください」
辺境伯がそれに注目したのを確認して蓋をあける。中にはいろんな色に色付けしたクッキーが並んでいた。
「こちらはギルフォード様のお誕生日のお祝いにと思い、私が焼いてきたものです」
「ほう、アンジェリカ嬢はお菓子作りも得意なのか」
「正確に言えば、継母とキッチンメイドに手伝ってもらいました。伯爵老、おひとついかがでしょうか」
伯爵老にお菓子を勧めてもいいかどうかは先ほど父に確認していた。中庭でのギルフォードの件があったためだ。父は身元がきちんとわかっている我々なら問題ないと言ってくれた。
「クッキーだと? これが今回の話に関係あるのかね?」
「はい」
私はじっと伯爵老の顔を見つめ、これが冗談でもなんでもなく、話の核心であると目で訴えた。伯爵老はやや首を傾げ、それからクッキーをひとつ手にとった。
「では、いただこう」
そのまま口に取り込む。さすがは元辺境伯、ギルフォードのように貪り食うような真似はしない。ゆっくり咀嚼し、そして飲み込む。
「ふむ、大変おいしかったぞ、アンジェリカ嬢」
私に対してにっこり微笑むと、次にその目元をすっと細めた。
「さて。言われたとおりクッキーは食したぞ。それで?」
視線が父に流れたため、私はそれを引き戻すべく、話を切り出した。
「伯爵老、このクッキーの材料にはじゃがいもが使われています」
「は? じゃがいも、だと?」
再び私を見た伯爵老は、目を丸くした。
「もちろん、通常の小麦も使っています。そこにじゃがいもを加え、あとはクッキーに必要な砂糖や卵、牛乳などを加えて焼きました。味は……今伯爵老が確かめられた通りです」
「だがじゃがいもはアクが強く食するに適さないはずだ」
「そのじゃがいもの食用化に成功した、ということです」
私は顔をあげたまま、伯爵老に向かって言い切った。
「我が領では長年、作物の不作に悩まされてきました。とくに小麦の生育はひどく、年々収穫量は落ち、土地は痩せる一方です。そのため食料事情も他領に増して厳しいものがあります。そんな痩せた土地を多く持つ我が領でも、比較的収穫がみこまれるものがじゃがいもやさつまいもといった芋類です。今回、私たちはその食用化を目指し、まずはじゃがいもで実験した結果、無事、私たちの口にのぼるに耐えうる、いえ、おいしいと言えるレベルにまで劇的に変化させる方法を編み出せたのです」
伯爵老は未だ驚きを隠せない様子だった。目の前のクッキーと私たちの顔を見比べる。
「今回は日持ちするものしかお持ちできませんでしたので、クッキーをご紹介しましたが、パン生地にも練り込むことができます。また生地に混ぜるだけでなく、じゃがいも単体でも十分おいしく食べられます。すでに我が領では領民に振る舞って好評を得、定期的に我が家でじゃがいも料理教室を開催し、各家で調理できるよう広めています」
「うむ……」
伯爵老は顎に手を当て、考えるそぶりをした。かと思うとおもむろにクッキーを手にとり、今一度咀嚼する。
「具体的な方法は?」
食いついた!と心の中で笑った私は、アクの取り方を説明した。「本当にそんな簡単な方法で……」と伯爵老が呟く。
腕組みする彼に向かって、私はさらに続けた。
「この方法でクッキーやパンを焼けば、小麦の使用量を3分の2程度に抑えることができます。またじゃがいもは栄養価も高く腹持ちもいいため、小麦に代わって主食にもなりえます。加えてどんな痩せた土地でも育ちやすく、飢饉にも強い。既にご想像かとは思いますが、これは我が領だけでなく、我が国の、ひいてはこの大陸の食料事情を大幅に改善できるチャンスです」
賢明な伯爵老であればその程度すぐに想像したことだろう。これは「じゃがいもって食べられるんだ」「じゃがいもっておいしいんだ」というレベルの話ではない。先の戦争経験者である彼は、その辺りの事情を看過できないはずだ。
彼はしばらくクッキーを食べながら熟考していた。そして顔をあげ、今度は父を見た。
「アンジェリカ嬢の話に相違はないな?」
「はい。もちろんでございます」
「なぜそなたでなく、娘御がこの話を?」
「それは、じゃがいもの食用化に成功したのは、私ではなく彼女だからです」
「なんと!」
「本人はままごとをしていたらたまたまじゃがいもが食べられる状態になったと言っておりますが……」
父の視線に私は首を竦めた。どうやら未だ半信半疑のようだ。私は目を逸らして知らないふりをした。世の中真実が明るみに出ない方がいいこともある。
「あいわかった」
伯爵老は深く頷いた。
「アンジェリカ嬢、そなたの望みはなんだ」
伯爵老の問いに、私は躊躇なく答えた。
「このじゃがいもの食用方法を大陸中に広めることです」
「ほう……。それはこの方法を伝授することで利益をあげ、ダスティン領を栄えさせたいということか」
「いえ、この方法は無償で提供します」
「無償? なぜだ? これだけの画期的な方法だ、知りたがる者も多い」
「ですが、有償で伝授すると、広がるまでに時間がかかります。もし来年、干魃や水害がやってくれば、私たちはすぐにでも飢えてしまうかもしれません。またようやく落ち着いた隣国との関係も悪化する可能性もあります。つまり、食料事情に関しては待ったなしの状態と言えます」
実際のところ、ゲームの世界では今から3年後に食糧難が一部地域ではじまることになっている。それまでにこの大陸中の食料事情をどうにかしなければならないというのは、さきほど決意したばかりだ。
「私は、誰にも争ってほしくないのです。ただ誰もがおなかいっぱい食べられる世の中を作りたい、食べ物が原因で戦争が起きるのを防ぎたい、その一心です。ですからこの方法が知りたい方にはどんどんお知らせします。じゃがいものその他の調理方法も広めたいですし、我が領に来ていただければいくらでもお教えします。ですが……」
私は胸元で手を握りしめた。この壮大な計画は、私ひとりでは実行できないのだ。
「我が領にはこれらの情報を伝播させる手段がありません。ですから伯爵老にお願いにあがったのです。どうかこの方法を広める手助けをしていただけないでしょうか」
手段はなんでもいい、まずはアッシュバーン領からでも。それが王都に伝わり、この国に広まり、そして隣国やその他の国にも広がれば、多くの人々が救われる。
「なるほど。そなたの気持ちはよくわかった」
伯爵老は静かに頷いた。
「だが私は武門の人間だ。今回の件に関してはいささか荷が勝ちすぎる。まずは息子と話してみよう」
「……わかりました」
「それから、クッキー以外にも活用法があると言っておったな?」
「はい」
「それらをぜひ試してみたい」
「……!!!」
思ってもみなかった申し出に私は即座に首を縦に振った。
「もちろんです。我が領にお越しいただくか、もしくはアッシュバーン家のキッチンをお借りできれば、いくらでも振る舞ってさしあげられます。我が家ではじゃがいものフルコースも作れます!」
「フルコースか! それは楽しみだ」
「はい! ほかにも、チキンの詰め物に使用したり、チーズと絡めて揚げたり、茹でたてに塩とバターを垂らすだけでも十分おいしいです!」
「ほう、どれも食欲をそそる話だ。よし、一度、そなたの家で世話になろう」
「はい! ありがとうございます!」
伯爵老は私の次に父に訪問の了承をとった。父も驚きながらも快諾した。
ベイルが夕食会の時間が近づいたことを知らせにきたので、ひとまず今回の面談は終了になった。別れ際、じゃがいもをギルフォードとミシェル、殿下にも食べさせてしまったことを伯爵老に告白した。さすがに殿下の名前が出たときには鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていたが、「ふむ、もともと予定外の素性の知れぬ客だ、知らなかったことにしよう」と片目を閉じてみせた。よかった、おとがめなしだ。