嫌なことを思い出しました
「殿下！ ギルもだ！ もうすぐ夕食の時間です。そろそろ部屋に戻りましょう」
ミシェルの声かけに６歳児と５歳児二人はすぐには答えず、まだ庭園を走り回っている。どうやら鬼ごっこの最中のようだ。これ以上待てないと思ったのか、ミシェルが二人に近づいていくのを私も追いかけた。
それにしても眼福の光景だった。整備された中庭で、きらきらしい金の髪を揺らす天使のような少年と、くすんだつんつんの麦わら頭で頬を上気させたやんちゃな少年が戯れ、落ち着いた佇まいの亜麻色の長髪の少年が見守る。
児童書の中にでも出てきそうな一幅に、私の中の母心的な何かがくすぐられた。この子たちが大きくなってこの国の中心柱となっていくのだなぁとしみじみ噛み締める。
その流れでふと、かつて妹が見せてくれたスチルが浮かび上がった。
中心にいるのはカイルハート王子。妹の話の中では「王太子」となっていたので、きっと精霊がそのうち彼のことを次の後継、すなわち王太子と認めるのだろう。そしてその周囲を飾るのは、アンジェリカを取り巻きながらも王太子に仕えるイケメンたち。
カイルハート王子は今、目の前にいる。そして彼の身体を小突くように破顔した麦わら頭の少年。
その横顔を見て、「あっ！」と上げそうになった声を慌てて抑えた。
スチルのカイルハート王子の隣の、彼よりもさらに大柄で逞しい騎士服姿の少年。その横顔が今、殿下の隣で笑っているギルフォードのそれと重なった気がした。
（嘘でしょ！？ ギルフォードがあの騎士見習い？ 彼も攻略対象なの？）
彼とは先ほどから何度も顔を合わせていたのに、まったく気づけなかった。今、殿下との２ショットを見て初めて思い出せた。
だが、記憶に残る二次元の幻影は、なんともおぼろげなままだ。
スチルに出てきたのは同じ学院に在籍して騎士を目指す少年だった。ギルフォードも辺境伯家の子なので、騎士になる可能性は十分ある。だが騎士はその数も志願者も多い。
だからあのスチルの彼がギルフォードだとは言い切れない。それに記憶が曖昧なことの理由に、スチルの少年騎士の姿とギルフォードの見た目が大きく異なる点があった。今のギルフォードは髪の毛を短く刈り込んでいるが、スチルの中の少年の髪はもっと長かった。そう、まるでミシェルのように。
亜麻色の髪をひとつにまとめたミシェルの横顔をもう一度見上げる。間違いない、この人はあのスチルの中にはいなかった。だがミシェルの身分や肩書きから考えて、王太子の側にいないのはおかしくないだろうか。端正な顔立ちは、むしろギルフォードよりも攻略対象とやらに相応しい
なぜミシェルはゲームに登場しなかったのだろう。アンジェリカよりも３つ上だから、もしかしたら結婚や婚約をしている設定だったのかもしれない。そのためアンジェリカの攻略対象にはなりえず、ゲームの登場人物とならなかったのだろうか。
だが、私の胸に引っかかるものがあった。これは絶対に思い出さなくてはならないことだと、見知らぬ自分が警鐘を鳴らす。
スチルの中で、カイルハート王子の隣に位置していた騎士服姿の横顔の少年。髪は長髪だが、色は亜麻色でなくくすんだ金色。そう、ギルフォードと一緒だ。長髪といっても髪質が違うせいか、ミシェルのようにさらりと肩に垂らすのでなく、伸ばしかけの髪がまるでライオンのたてがみのようにごわごわと顔周りに広がっていた。その姿は今のこざっぱりしたギルフォードから想像できない。
少年騎士の名前は……思い出せない。では彼の出自は？ 悪役令嬢の公爵家や宰相の息子である侯爵家のインパクトに隠れて、家名や身分までは記憶に残っていない。
だがあのごわごわの髪、乙女ゲームの小綺麗なイケメンたちとは一線を画するワイルドな髪型は違和感の塊で、妹に質問したことがあったはずだ。
それに対して妹はなんて言った？
ぐるぐると回る頭の中で、ふと蘇る彼女の言葉が私の胸を突く。
「騎士見習いの彼の髪型？ あぁこれはね、過去を引きずってるからこんな髪なの。彼には兄がいたんだけど、国境付近の戦いに出陣して死んじゃうの。かわいそうよね、まだ１２歳だったのに。で、そのお兄さんが長髪っていう設定でね。兄の死を受け入れられない彼は、自分が兄の代わりになろうと、髪型を真似するの。だけど彼の髪質があまり長髪には向かなくて、それでこんなライオンみたいな感じになってるのよ。で、ヒロインと彼のカップリングでは、ヒロインに励まされて人生に前向きになった彼が、兄への思いを断ち切るために最後に髪を短くするの。髪を切ったあとのこの子、すごくかっこいいんだよね」
デレデレする妹に私は冷静に突っ込んだ。１２歳で戦争に駆り出されるなんて、児童福祉法はどうなってるんだとかなんとか。妹は言ったのだ。「まぁ、かわいそうよね。年齢もそうだけど、その出陣っていうの、ちょっとした諍いだったらしいの。食糧難に見舞われた隣国の盗賊が畑の作物を奪いに来たっていう、日常茶飯事的なね。初陣にはちょうどいいだろうって出かけたその先で、まさか当主の長男が亡くなるなんて、誰も思ってなかったんだよ」
私はかぶりを振ってミシェルをみた。風が吹き、柔らかな長髪が吹き上げられる。
日がかげりつつある中庭で、震えそうになる声をどうにか操りながら、やっとの思いで彼に問いかけた。
「ミシェル様は……アッシュバーン辺境伯家の長男ですよね。その、ミシェル様も騎士を目指していらっしゃる？」
「え？ あぁ、もちろんだが」
「ミシェル様も、戦争に出ることがあるのですか？」
突然の話題に一瞬戸惑った様子だったが、すぐに返答してくれた。
「あぁ、もしそのような機会があれば、そうなるだろう。ただ、それはまだ先の話だ。１２の年になるまで、私はそのような場所に出ることが許されない」
「１２？ １２歳で戦いの場所に出るのですか！？」
１２の年齢はひとつの区切りだ。庶民であれば働きに出るくらいの年齢でもある。しかし戦争の場に１２歳の子どもが出たところで、できることなど何一つないだろう。
「我が家では１２になると初陣を迎えるという風習があるんだ。もちろん、１２歳では何もできないから形だけのもの、その場についていくだけだ。実際に戦いに参加するようになるのは学院を出てさらに研鑽を積んだ後になる。初陣といいつつ、我が家では男子のお披露目みたいな意味があるんだよ」
だから戦場への出陣というよりも、訓練を兼ねた遠征や、森での害獣の討伐といった機会が多いのだと続けた。そんな彼の言葉は、最後までは耳に入らなかった。
（まさか、この子、死んじゃうの？）
彼は今９歳、１２歳といえば３年後だ。そのとき、国境付近で食糧難を原因とした諍いが起こる。そこに出陣した兄が死に、弟は兄の死が受け入れられず、似合わない長髪を続けるというのか——。
ゲームストーリーを思い出し、私は立ちすくんだ。今のギルフォードを見ても何も思い出さなかったはずだ。スチルの彼の姿とはあまりにかけ離れているのだから。
そしてあの絵の中にミシェルがいなかった理由も、あの時点ではすでに亡くなっていたからと考えれば妥当だ。
わかっている、これはただの仮説だ。だがあまりにも多くのピースがはまりすぎて、完全否定することができない。
（——無理だ）
殿下の名前呼びを即否定したときよりも強く、そう思った。ミシェルが死ぬかもしれない可能性があるのに、このまま見過ごすことは無理だった。頬を上気させくったくなく笑うギルフォードが、己を押し殺し、似合わない髪を贖罪のように続ける未来も、無理だ。
なぜなら私はもう、彼らを知ってしまった。
彼らと会ったのは今日がはじめてで、明日のパーティが終わればまたしばらく、下手すると学院に入学するまで会うこともない、まったくの他人だ。向こうも私のことは、隣の領の男爵家の娘というだけの薄い認識しか持たないことだろう。
それでも、思い出した未来をこのまま見過ごすことなどできなかった。そして彼ら二人の不幸は、きっとカイルハート王子にとっても痛手になる。
宗教画のようだと感じたのどかで美しい光景の全員が、辛い未来を歩むことになるなんて。
（なんとかしなくちゃ）
あと３年。３年のうちに未来を変えるための手を考え実行する。彼らの誰も死なせたくないし、誰も悲しませたくない。
この思いはいったいなんだろう。母心か、正義の味方ぶりたいのか、それとも違う何かか——いや、この際なんでもいい。
大事なのはこのミッションを成功させることだ。
挑むような強い意志を持って顔をあげる。
いつの間にか日はかげり始めていた。いたずらを見つかった子どものように肩を竦める少年たちと、それを捕まえるために駆けて行く年上の少年。彼らを縁取る太陽の光の残渣は、神々しいほど美しかった。
そうだ、私はこの光景を守りたい。自分の両親や領民だけでなく、皆が笑って過ごせる未来を作りたいのだ。
そのための努力なら、いくらだってしようじゃないか。
こちらに向かって引き上げてくる三人の少年を待ちながら、新たな決意を胸に拳を握りしめていた。
