あぶないことは全力で止めます
城の城壁が途切れたそこは、広い運動場のような場所だった。足元の芝生もいつのまにかなくなっている。土をならしたその周辺には木立が広がっていた。そしてその木立の近くに2人の人間がいた。ひとりは小さな男の子だ。もうひとりは白髪が混ざった髪の男の人。そしてその男の人は木の幹に縄で胴体を括り付けられていた。
あまりの衝撃に私は一瞬言葉を失った。けれど次の瞬間、男の子が長い棒らしきものを振り上げたところで我に返った。あれはどう見ても剣だ。
木に縛られた老人に対し、子どもとはいえ、剣を振り上げた者が今まさに襲い掛からんとしている。その光景に、とっさに身体が反応した。
「あなたっ! 何やってるの---!!!」
言葉よりも先に動きだした足は、少年目掛けて高速の回転をした。言い忘れていたがこのアンジェリカ、美人なだけでなく身体も丈夫で運動神経も抜群にいい。
あっという間に少年の表情が視界に捉えられる位置まで詰め寄る。少年の顔がはっきり見えた。つんつんの麦わらのような短いくすんだ金色の髪と、素直そうな水色の瞳。こちらを見てぎょっとする。
「えっ!? な……っ!!!」
少年が言葉を発するより、私が彼に体当たりする方が早かった。
「うわあぁぁっ」
とっさのことで私の行動を予測できなかったのだろう、少年は見事にひっくり返った。ただし右手の剣は手放さない。ちっ、と舌打ちしたのも束の間、私はスピードを殺さず、倒れた少年の右手に向けて足を繰り出した。私の行動を今度は読んだのだろう、少年はものすごい速さで左に寝返りをうった。
「うわっ! やめろっ!」
「やめないわよ! さっさと剣を離しなさい!」
寝返りしたままま立ち上がろうとした彼だが、剣が大きすぎるのかうまく身体を支えられず、再び身体を反転させて逃げようとした。私はまた足で彼の右手を追いかけた。
「木に人を縛り付けて逃げられないようにした状態で剣で襲いかかるなんて! いったい何考えてるのよ!?」
「はあ!? いや、これは……」
「問答無用!」
「やめろっ! こらっ右手踏もうとするなって!」
私の狙いを知った彼は右手を守るべく反対方向に身体を反転させた。さらにその勢いですくっと起き上がってしまった。
立った相手に一瞬怯む。私より背が高い。これはもう致し方ない、アンジェリカは実母の虐待もあって小柄なのだ。
だが、ここで逃げてしまえばあの木に括り付けられた老人を見捨てることになってしまう。私は覚悟を決め、老人を背後に守るよう、彼の前に立ってその双眸を睨みつけた。少年は驚いているのか、なんとも困った顔をしている。
そのとき、城壁の際から息を切らした継母が姿を現した。そして私たちを見るなり声をあげた。
「アンジェリカっ! あなた何をしているの!?」
「おかあさま、近づかないでくださいっ。この人、剣を持ってます!」
「いや、剣って、コレ、たしかに剣だけど……」
少年は右手にした剣を中途半端に宙に掲げ、さらに困った顔をした。そんな彼から目を逸らさず、私はこの先どうしたらよいものかと思案した。何せ私は素手だ。彼に襲われればひとたまりもない。私は瞬時に判断し、継母に告げた。
「おかあさま! 誰か人を呼んできてくださいっ、この子、この老人を甚振ろうとしていたんです!」
「……なっ!」
驚いた少年が一歩足を踏み出す。私は身動きひとつせず、その場に立ち尽くしていた。願わくば今の言葉で少年がどこかに逃げ去ってくれたらいいのだが。
しかし彼は困ったように動こうとせず、そして私の背後で突然、豪快な笑い声があがった。
「ぶっく、ぶははははははははっ、くっくっ」
この緊迫した現場におよそ似つかわしくない笑い声に、私は思わず振り向いた。見れば腰を縄で括り付けられた初老の男が、その腰のところから器用に身体をくの字に折り、大笑いをしていた。
「え……?」
さすがの私もこの光景は想定外でしばし途方に暮れた。しかし、近づいてきた継母の叫びで我に返った。
「あ、あなたは……アッシュバーン伯爵老!?」
「えええっ!!!」
私は木に縛られた男性を二度見した。アッシュバーン伯爵老、この家の前伯爵様ってこと? え、なんでここにいるの? っていうかなんで木に縛られてるわけ!?
様々な疑問符が頭を駆け巡る中、追い討ちをかけるような一言が、剣を握り締めたままの少年から発せられた。
「おじい様……、笑ってないでなんとか言ってください」
「ええええっ!!!!」
今、この子、おじい様って言った? アッシュバーン前辺境伯の孫ってこと?
私は恐る恐る二人を見比べた。そういえば優しげな中にも鋭さを秘めた薄い空色の瞳がそっくりだ。
初老の男性は笑いを必死で噛み殺しながら、なんとか顔をあげた。
「ダスティン男爵夫人と一緒にいるということは、この娘御が新しく男爵家に迎えられた後継というわけか。いやはや……なんとも」
「も、もうしわけございません!? 娘が大変失礼を……」
息も絶え絶えといった継母が伯爵老に近づき、胸に手をあてて謝罪する。
「いや、謝罪には及ばぬよ。うちの鼻っぱしらばかり強い鼻垂れ坊主に己を弁えさせたくて、わざと木にワシの身体を括り付けさせて、逆刃の剣を持たせて稽古をしてたのだよ。おまえなんぞ、この状態でも十分倒せるとわからせてやりたくてね。それを見た娘御が、ワシがこいつに一方的に襲われていると勘違いし、割って入ってきおったのだ。いやはや、うちの坊主に体当たりを喰らわせたあたりは、電光石火の早業で、大変見事だったぞ」
言いながららするりと縄抜けをした伯爵老は、すっと身体を起こした。とても大柄な人だった。ケビン伯父よりもさらに背が高い。しかも体格がよく、こちらを見下ろすだけで影ができる。
「た、体当たり……? あの、娘が、でしょうか?」
「おぉ、それはそれは見事な体術だったぞ。そこな坊主が一瞬にしてしてやられたわ」
「おじい様、違います! あれはっ!! その、突然だったから……」
「ギルフォード。突然でない戦場があると思っているのか?」
豪快な話ぶりから太く真面目な声に変わった瞬間、ギルフォードと呼ばれた少年がびくっと背筋を伸ばした。
「戦の場では常に緊張を強いられる、いつ何時、どの方向から敵が攻めてくるかわからぬのだからな。敵が側面から仕掛けてきた際、『突然だったから負けました』と言えるのか」
「……いいえ」
「騎士たる者、いついかなるときも油断をしてはならぬ。それが常日頃からの備えだ」
「……はい」
少年は目線を落として返事をした。そして私の方を向き、挑戦的な目をして叫んだ。
「次はっ! 絶対負けないからなっ。おまえが体当たりしてきても防いでみせるぞ!」
「いや……次はない、かな」
さすがの私もやらかし感をひしひしと感じていた。いつもは優しい継母の視線も痛いし。
「なんだと!? さては勝ち逃げする気だな! 騎士たる者、そんな卑怯なこと許されるはずがない!」
「いや、私、騎士じゃないし……」
「よしっ、今から勝負のやり直しだ! おまえにも剣を貸してやる!」
「いやいやいや、私、剣なんて使ったことないし!」
「なんと、体術派か! それはそれで面白い!」
「いやいやいやいや体術とかもしたことないからっ!」
これがアッシュバーン伯爵老とその孫との出会いだった。彼が今回のパーティの主役だと気づいたのはもうちょっと後の話だ。