おとなりさんのおうち事情を整理します
2025年10月からのリメイク中にこちらをお読みの皆様へ。ここに出てくる「伯爵翁」は、以前は「伯爵老」という呼び名でした。リメイクが完了までは混在することになります。何卒ご理解ください。
アッシュバーン辺境伯領は広い。
東西に広がる領地のほとんどに領民が住んでいるが、東と西では色合いや文化がかなり違う。王都方面に向かう東は主に鉱山の街だ。良質な鉄や金などがよく採れ、鉱夫が多く住みついており、活気がある印象だ。私が以前実母と住んでいた街も鉱山の近くにあった。男爵領の家からだと馬車で数時間の距離だ。
西へ進むと辺境伯家の本家がある領都につく。ここまでが馬車だと半日以上かかる。都は領の中心部にあり、鉱山でとれた鉱石を用いた工芸品加工で有名な職人や商人の街だ。さらに西に進むと今度は海に出る。漁師町でもあり、暖流の影響で気候がよく、農作物のよく採れる穀倉地帯だ。アッシュバーン領の食料はほとんどが西側で賄われていると言っていい。おそらく火山の影響があるのは東側の土地だけで、西側は別の土壌が広がっているのだろう。うらやましい限りだ。
端から端どころか、領地を一周するのに一日もかからない我が領と違って、東の端から西の端まで、馬を飛ばしても数日かかるアッシュバーン領。同じ貴族ながらなぜこんなに領土格差があるのか。まぁ、前世でも国の線引きや自治体の線引きなんて等分ではなかったのだから仕方のない話だが。
そんな広い辺境伯領を治めているのがアッシュバーン辺境伯。貴族名鑑によるとまだ30代前半の若さだ。9歳の息子と、今回6歳を迎える息子がいる。長男の名前はミシェルで、彼だけは普段王都で暮らしている。なんでもカイルハート殿下の将来の側近候補のひとりとして、今年から伺候するようになったのだとか。
アッシュバーン辺境伯は王国でも名門中の名門だ。辺境伯は実質侯爵と同じ序列扱いになる。身元確かな優秀な若者を早いうちに未来の国王の側に取り込みたいという意図があるのだろう。
ちなみにアッシュバーン辺境伯の実兄にあたる人物は、王都の守護を担う王立騎士団の副団長をしているらしい。ミシェルは普段、伯父にあたる副団長の元で暮らし、毎日王宮に伺候しては王子とともに勉学や剣術などに励んでいるそうだ。
対する次男はギルフォードといい、アッシュバーン領で両親と暮らしている。ただ、父の話だとこの少年も10歳になるまでには王子付きになるのでは、とのことだった。長男のミシェルが歳の割に落ち着いた物静かなタイプとすれば、次男は外で遊びまわるのが好きなやんちゃタイプだそうだ。静と動、二つのタイプの少年のどちらかが、今のところの将来のアッシュバーン辺境伯候補というわけだ。
アッシュバーン家に向かう馬車に揺られながら、これらの話を思い出していた。
パーティは明日の正午から始まる。男爵家からだと馬車で一日近くかかる計算で、当日の出発では間に合わない。多くの招待された貴族が2、3日前から滞在するそうで、ダスティン家もぜひとお誘いをいただいた。
辺境伯家を訪問するため、父も継母もいつもよりいい衣装を着ていた。私は継母手作りの例のピンクのワンピースだ。明日のパーティは特別に作ってもらったドレスで出席する。ドレスは継母のツテをたどって、隣の子爵家のお店で作ってもらった。
「これを着るのか……」とド派手なデザイン画を見せられたときには無表情になったが、さすがは乙女ゲームのヒロイン、今生のアンジェリカはなんなく着こなし、ドレスメーカーのデザイナーやお針子さんたちから称賛の言葉を浴びまくった。「今後お嬢様のドレスはすべてお任せください! 特別価格でご用意します!」とオーナーが鼻息荒く私の手をぶんぶん振りまくったので、早く解放してほしくてついうっかり「はい」と答えてしまったら、感涙に咽びながら精霊に感謝を捧げだすわ、お針子たちは順番を取り合うわで、ちょっとしたカオスだった。
ヒロイン、隣の領にまで魅力を振りまいてしまったよ。いや、私なんだけどさ。
そうそう、今回の目玉企画・じゃがいも土産は、クッキーの詰め合わせを用意した。できることならマリサを同行して向こうの厨房を借りてじゃがいも料理を披露したかったのだが、他領で堂々とそんなことを行うわけにもいかない。
さらに今回は初めから父の力も借りることにした。前回の轍を踏まないための戦略だ。
「今回はアッシュバーン辺境伯だけでなく、伯爵翁様もおいでのはずだ。彼に知ってもらうのも一興だろう」
「伯爵翁? どなたですか?」
「アッシュバーン辺境伯の父親で、前辺境伯だよ。息子であるアレクセイ様に家督を譲ったあとは西の地域に隠居されている。隠居とはいえ、西の砦の騎士たちの訓練にも未だ携わっておられるそうだから、現役の騎士といっても差し支えない。皆、敬意を表して『伯爵翁』とおよびしているんだ」
「アッシュバーン家はいつ代替わりしたんですか?」
「4年ほど前になるかな。アッシュバーン前辺境伯には3人の息子と2人の娘がいたんだが、かの地の精霊は気まぐれだったのか、なかなか後継を指名しなかったのだよ。それが5年前にようやく次男のアレクセイ様を当主に選び、翌年には伯爵翁様が家督を譲られたのだ」
この世界の世襲の独特の概念。貴族直系の家で、次の後継者を選ぶ権利を持っているのは親や一族の人間ではなく、精霊だ。精霊が直系の子どもたちの中から一番気に入った人物を後継に指名し、契約をするのだ。
大抵の家では子どものうちに選ばれるが、中には大人になり何年も経ってから、あるいは前当主が亡くなってから、という場合もある。子どものうちに指名された場合はその子が成人してから、大人の場合は精霊の託宣があったあとに速やかに家督を譲るというのが慣わしだ。中には自分は選ばれないだろうと他家に婿や嫁に行ったあとに精霊の託宣があり、跡を継ぐために婚家の家族ごと実家に戻るといった慌し例もあるそうだ。
当主に選ばれることは、内実はさておき名誉なことなので、大抵は喜んで引き受けることになる。
アッシュバーン家の場合、その精霊の選定がかなり遅かったらしい。ただアッシュバーン領はそもそも裕福な領であり、一族のほとんどが騎士職として王宮や領内の砦を守っている。つまり皆それなりに仕事を持っているわけで、当主に任命されなくても十分自活できるため、それほど大きな混乱は起きなかったそうだ。
「現辺境伯とももちろん親交はあるが、どちらかというと私は伯爵翁様とのつながりの方が深いからね。その彼を取り込むことができれば、話はしやすいと思うよ」
父は子どもの頃に早々に精霊の託宣を受け、成人すると同時に家督を継いだ。当時のアッシュバーン家の当主は、今の辺境伯ではなく前辺境伯だった。父自身が家督を継ぐ前にアッシュバーン領で騎士として仕えていたこともあり、前の辺境伯の方が親交が深いのだと言う。
(ん? ということは、実母を父に押し付けたのは伯爵翁様ということになるの?)
実母ハンナは、本当はアッシュバーン家で働きたいと願っていた。アッシュバーン辺境伯家は名門だし、当主の息子たちと母は歳が近かった。あの母のことだ、見初められたいという野心があったことだろう。それを当主である辺境伯が拒否し、代わりに隣のダスティン家を紹介したのが7年ほど前。うん、計算としてはそうなる。
(ことをややこしくした諸悪の根源は伯爵翁様ということだわ)
伯爵翁様が実母を父に押し付けなければ、継母と父が出会って契約を結ぶこともなく、彼女が心を乱すことはなかった。だが伯爵翁様のおかげで私が生まれ、ダスティン男爵家は断絶せず今のところ安泰ということでもあるから、感謝しなければならないのかも。
なんとも複雑な思いを抱きながら、ごとごと馬車に揺られていた。




