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マナーレッスンはきらいです

「違うでしょう! なんど言ったらわかるのっ」


 怒声とともにテーブルがばんっと叩かれる。私はビクッとしながらルビィに目線をやった。ルビィは鬼の形相でこちらを睨みつけている。無言の視線対決が先ほどから細かに繰り広げられていた。


 ことの発端は30分ほど前。いつもはマナーレッスンに同席する継母が、針仕事が溜まっているからと、今日は席を外すと告げてきた。マナーレッスンの講師は女中頭のルビィ。私や実母にただならぬ思いを抱いている、その人である。始まる前から嫌な予感はしていたのだが、案の定の展開となった。


 今日のレッスン内容は立ち居振る舞いについて。お辞儀などの実際の行動から、貴族同士で話をするときのルールの口頭諮問まで、多岐にわたる。始まった直後からルビィは怒声を隠そうとはしなかった。


「頭を下げる角度が違うと、何度説明すればわかるのっ! 浅いのよっ、ほら!」


 言いながらルビィは私の後頭部に手をやり、ものすごい力で頭を押し下げた。腰が大きく折れ曲がり、絶対にこの角度じゃおかしいだろというところまでいく。


「まったく! 所詮は平民出のあばずれが産んだ子よね。こんな上品なマナーなんて身の丈に合わないのよ、勉強するだけ無駄だわっ」


 彼女のずる賢いところは、発言に怒りと蔑みを最大限に盛り込んでいるが、声の大きさは抑えているところだ。この大きさなら1階にいる継母たちには聞こえない。また、私が生母から虐待されていたことが耳に入っているのか、私に直接の手はあげてこない。せいぜいが机などを激しく叩いて威嚇するか、今のように傷ができない程度に押さえつけるかだ。証拠がないため、継母に訴えられてもいくらでも言い逃れができる。継母のルビィへの信頼は絶大なものがあるから。


 彼女は今日という日を心待ちにしていたのだろう。継母が同席しない場で、堂々と私を精神的に追い詰められるのだ。


 だが私も負けてはいなかった。理不尽な状況で、ただ泣き寝入りするだけの子どもではない。先ほどから無言でルビィに返していたが、ここにきてとうとう反撃することにした。


「ずいぶんと態度が違うのね。おかあさまが知ったらなんていうかしら」

「ふんっ、言ってみるがいいさ。おまえの言葉なんて奥様が信じるはずがないだろう。私と奥様の信頼関係は昨日今日できたものではないわ。それこそ、あのあばずれが旦那様を誘惑していたときでさえ、私たちは一緒にいたのだから」

「おとうさまと母とは契約関係にあったのでしょう。おかあさまも承知の上だった」

「だまらっしゃいっ!」


 テーブルがばしんっと鳴る。


「おまえが奥様や旦那様の前で猫をかぶっていることはすぐにバレるわ。あばずれの卑しい血筋がこの家に入るなど汚らわしい。おまえなど精霊に愛されるはずがない」

「私がいなければ一族は絶える。領民も露頭に迷うことになるわ。おとうさまとおかあさまもね」

「ふんっ、おまえが跡を継いだところで潰れる未来しかないに決まっている。おまえの力など借りずとも、奥様のことは私が守ってみせるわ。赤の他人のおまえにできることなど何もないのよっ」

「守るってどうやって? あなたが働いておかあさまを養うの? 素敵な忠義心ね、とでも言うと思う? もしあなたが本気でおかあさまを助けたいなら、この領土を豊かにする方法を提案すべきだったわ。このままではこの領の収穫量はますます減って、食糧に困る未来がすぐそこにあるかもしれなかったのに」


 私は自分の立てた仮説を思い出した。火山灰で覆われた我が領土は農作に向かない。今はまだ地の精霊石の力を借りてなんとかやれているけれど、土地はどんどん痩せていくのみだ。早急に手を打たなくては未来はない。


「ふん、子どものおまえに何ができるというの。偉そうなことばかり言って奥様や旦那様を騙して。じゃがいもなぞ、家畜の食べるものを恐れ多くも旦那様方に食べさせるとは。あぁ、でもおまえにはお似合いね。家畜と同等か、それ以下だもの」


 何に優越感を感じたのか、蔑む笑みを浮かべて高みからこちらを見下ろしてくる。もうお話にならないレベルだ。私は前々から思っていたとおり、この人との関係修復を諦めた。


 そのとき、部屋の外でぱたぱたと足音がした。ルシアンかミリーだろう。人の気配があるとルビィは黙る。本当にいけすかない。おまえこそ子どもか!と突っ込みたくなる。


 私も聖人君子ではない。こんなレッスンも受ける意味はない。私は無言のまま踵を返し、部屋を飛び出した。背後でルビィの声がしたが知ったこっちゃない。


 扉を開けると、そこにいたのはミリーだった。今日もかわいい赤毛のおさげ髪姿である。


「ミリー! 助けてっ! 鬼が襲ってくるの」


 声をあげて彼女のスカートに抱きつく。


「あれま、お嬢様。どうしたんです?」

「鬼のレッスンから逃げてきたの」

「オニ……? オニってなんです?」

「ミリー! その子を寄越しなさい!」


 追いかけてきたルビィが手を伸ばしてきたのを躱して、私はミリーの背後に隠れた。


「マナーのレッスン中なのに逃げ出したのよ。まったく、本当に礼儀のなっていないこと」

「いやよ。もうルビィのレッスンは受けないわ。おかあさまにやってもらうもの」

「バカなこと言うんじゃありません! さぁ、戻るわよ」

「いやったら嫌!」


 私とルビィの間に挟まれて、ミリーはおろおろするばかりだった。ごめん、ミリー。あとでおやつのじゃがいもクッキーわけてあげるから。


 まるで5歳児らしく大騒ぎしていると「どうしたの?」と階下から声がした。ナイスおかあさま! 計画通りだ。


「まぁ、アンジェリカ。マナーのレッスンは終わったの?」

「奥様、まだ終わっていません。途中なのに逃げ出してしまって」

「まぁ、アンジェリカ、本当なの?」


 途中で逃げ出したことは本当なので素直に肯く。


「アンジェリカ、マナーも大事なお勉強のひとつよ?」

「わかっています。でもルビィの授業は受けたくありません。マナー講師はほかの方を雇っていただくか、おかあさまがされてください。私はこんな鬼教師にはつきたくありません」

「奥様、子どもの戯言です、サボりたいからこんなことを言うのですよ。それに甘いマナーを身につけて将来困るのはお嬢様です。そのため厳しく接していますが、どうもこの子は態度が横柄で、かつ一般的な常識や忍耐力もないようです。将来男爵家を背負うというのに、これでは先が思いやられます」

「だったらもっと上級の先生をつけてください」

「ま……っ! 私は子爵家に連なる身ですよ! あまりな言いようです」


 ルビィは子爵家の人間だったのか。もしかしたらお母様の遠縁なのかもしれない。貴族籍だから私や実母をこきおろすのかと、ある意味納得がいった。ほんとなんというか、残念な選民思想。


 継母は困ったように微笑んで、私とルビィを見遣った。


「わかったわ。この件はバーナードにも相談します。結論が出るまでは暫定的に私が面倒みるわ」

「奥様! 奥様はこの子に甘すぎます!」

「ルビィ、私の目から見てもアンジェリカはとてもよくやっているわ。私が5歳だったときは、これほどできなかったもの。飲み込みも早いし、今の状態でアッシュバーン家のパーティに出しても決して恥ずかしくないわ。それに、ほかの勉強ではなんでも楽しそうに吸収するアンジェリカが、マナーレッスンだけ嫌だと言っているのよ。あなたのことは信頼しているけれど、あなたと合わないのかもしれないわ」

「奥様!」

「この件は預かります。アンジェリカ、今日はもういいわ」

「おかあさま、ありがとうございます」


 私は表面的にはぶりっこ丸出しでお礼を言いつつも、心の中ではガッツポーズしていた。よし、ひとまずの懸念事項は片付いた。さっさと次に行こうっと。やることはまだたくさんあるんだから。


 私はキッチンに行き、マリサが夕食の準備をしている隣で新しいじゃがいもレシピ考案に勤しむことにした。意味のないマナーのレッスンなんぞにかまっている暇はない。私には新たな野望があった。来るべきアッシュバーン家の誕生日パーティで、じゃがいも料理をプレゼントしようというものだ。


 先日の私のお披露目パーティで、私は誰もがじゃがいも料理に飛びつくものと思い込んでいた。ところが大人たちは「じゃがいもなんて」と始め見向きもしなかった。じゃがいもイコール家畜の食べ物、といった固定観念を、私だけでは覆すことができなかった。父が領民を説得してくれなければ、あの披露は失敗に終わっていただろう。領民たちも、私でなく父の言葉だったからこそ、聞き入れてくれたのだ。


 あれ以降、領民の間ではじゃがいもに関する認知が少しずつ変わり始めている。現に、この屋敷で女性たちを集めて、定期的にじゃがいも料理の講習会を行っているのだが、毎回大盛況だ。


 じゃがいもはおいしいし、おなかも膨れるし、何より使い勝手がいい。潰した状態でいろんなものに混ぜることができる。だが、現段階では我が領に限局した使われ方しかしていない。これをもっと広い範囲で、それこそ他領にも広めていきたいというのが私の考えだ。もちろん、ただ広めるだけではない。売るつもりでいる。領民対象に無料でレシピを公開しているのは、領民に幸せになってもらいたいからだけど、それだけではなく、料理を覚えて他の領で披露したり教えてもらったりすれば、とも考えている。いわばじゃがいも料理の出張講師だ。


 そのためには他領でも「じゃがいもはおいしい」「もはや家畜の餌ではない」と認識してもらわなければ困る。そのためにどうするか。他領の貴族を味方につければいい。たとえばアッシュバーン辺境伯とか。トップが認めれば、下の者たちも従いやすいはずだ。うちがそうだったように。


 つまり私は、アッシュバーン家の次男(だったっけ?)の誕生日パーティに行くが、目当ては次男ではなく、その父親であるアッシュバーン辺境伯、その人。彼をなんとか落としたい。次男はこの際どうでもいい。もちろん、分けてあげるくらいはしてもいいけど。スノウの助け舟の例もあるし、子どもの方が先入観なく口にしてくれるかもしれないし。


 というわけで、アッシュバーン領に持ち込むプレゼントをどうするか試行錯誤していた。本当はグラタンやじゃがいもボールを披露したいが、持ち運びに適さないし日持ちもしにくいから、やはりクッキーかパンがベストか。


 アク抜きしたじゃがいもをつぶしながらいろいろと考える。アッシュバーン家のパーティが本当に楽しみだ。(次男はどうでもいいけど、どうでも。)





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― 新着の感想 ―
[一言] 平民であんなに忌避感あるのに、そもそも食べるものに困ってなさそうな上流貴族に受け入れられるって考える主人公楽観的すぎ
[気になる点] 捕食者に対してのじゃがいもの芽毒は、この世界の品種はエグみに進化したと
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