家出娘の突撃です1
今年の王都ミッションその2がスタートです。
マリウムにこき使われて乾燥花をキャニスターに詰めつつ、細かに散った埃をケイティがせっせと掃き清めていたそのとき。
「アンジェリカ、いるか!?」
オープン前のお店に駆け込んできたのは、絶賛社会科見学中の従兄弟のスノウだった。
「あれ、スノウ、どうしたの?」
今日は朝からウォーレス&ダスティン事務所で書類整理を手伝っていたはずの彼が、息を弾ませている。
「それが、事務所にお客さんが来ていて……」
「お客? 私に?」
「いや、シュミット先生を訪ねてきたみたいなんだけど」
「シュミット先生?」
出てきた名前に首を傾げる。シュミット先生はダスティン領の診療所で働いてくれている若手医師だ。温泉を元にした健康増進や怪我の治癒に関する研究をしてくれている。社交シーズンに合わせて開かれる医学学会で研究の中間発表をする目的で、私たちと一緒に王都に滞在していた。今日も我が家が借り上げているタウンハウスで発表の準備をしているはずだ。
「シュミット先生の知り合いの方? なんでまた事務所宛に訪ねてくるのかしら」
知り合いならタウンハウスに来るのが筋のはず。ますます疑問を深めると、スノウが困惑顔のまま続けた。
「それが、訪ねてきた女の人、エリザベス・リンドさんっていうんだ。シュミット先生の婚約者の方じゃないかってロイさんが言ってて」
「ええっ! エリザベスさん!?」
覚えのある名前に驚く。確かに、シュミット先生が将来を誓い合っている恋人の名前がエリザベス・リンドさんだ。王都でも名を知られた貸し馬車屋の末娘で、シュミット先生は彼女との結婚を彼女の父親に認めてもらうために研究に精を出している。若い2人の恋バナは、鄙びたうちの領ではいい意味で娯楽だったのだけども。
なんでまたそんな彼女がうちに?と思うより先に、スノウが爆弾発言を投下した。
「そのエリザベスさんだけど、どうやら家出してきたらしくて」
「ええええっ!」
一難去ってまた一難。私は思わず空を仰いだ。
ウォーレス&ダスティン事務所は、偶然にも香りの新店舗の目と鼻の先にある。通りを一本抜ければあっという間だ。こう見えて男爵令嬢の私。治安のいい昼間の王都とはいえ、一人歩きはほどほどにと言われているが、緊急事態だ。スノウと2人で走り、事務所のドアを叩いた。
ウォーレス&ダスティン事務所は、スノウの父で腕利きの家具職人でもあるケビン伯父と、我が家が合同で運営する王都の拠点だ。貴族相手の商売を手掛けるケビン伯父と、王国全土にポテト料理店をフランチャイズ展開している我が家の利害が一致して、合同で事務所を構えている。ケビン伯父は私の継母の実兄だから、家族経営の事務所と言ってもいい。開設当初より事務員も増えて、活気のある事務所に成長している。
そんな事務所が、いつもの軽やかな賑やかさを潜め、静かになっていた。全員が困惑顔で私を振り返る。
「あ、アンジェリカお嬢様、おかえりなさいませ。スノウ坊ちゃんもありがとうございます」
事務員のひとり、ケイティと並んでマネージャー的ポジションを担ってくれているチャーリーさんが立ち上がった。たまたま事務所にいた我が家のスーパー執事・ロイの指示で人払いがなされ、彼とエリザベスさん、その侍女が奥の応接室にいるらしかった。
「今別の者が、ダスティン男爵様のタウンハウスに遣いに出ています。シュミット先生もまもなく到着されるかと」
さすがうちのスーパー執事は手配方が完璧だ。私は応接室の扉を見た。いきなり子どもの私が応接室に入れば、エリザベスさんも侍女も不審に思ってしまうだろう。家出をしてきたというのが本当なら、あまり刺激しない方がいい。
加えて事を大きくして漏れてしまうのは論外だ。私はチャーリーさんに確認した。
「エリザベスさんがいらしたのは何時ごろ?」
「30分ほど前です。いらしてすぐ、スノウ坊ちゃんがお嬢様を迎えに行かれたので」
「家出してきたって聞いたけど、それはいつの話かチャーリーさんは聞いてる?」
たとえば昨日から家出しているとなれば、彼女のご実家が大騒ぎになっている可能性がある。そうなればうちがあらぬ疑いをかけられてしまうことだってあるのだ。
「はっきりと確認したわけではありませんが、本日中のことではないかと」
彼女の実家であるリンド家は、平民とはいえ名の知れた商家だ。そこの令嬢が姿を消したとなれば、家族が黙っているはずがない。騎士団の詰め所にすぐに届け出るだろう。誘拐を考慮して大々的な捜索はしないまでも、秘密裏に騎士の巡回や調査を増やすくらいのことはするはずだ。実際のところ、昨日今日で街の様子が変わった素振りはない。チャーリーさんはそう分析した。
「となると、少しは時間的余裕がありそうね」
彼女の家出も困りものだが、シュミット先生やうちが関わっていると先方に思われてしまったらさらにやっかいだ。家出が外出扱いですむ間に、なんとか穏便にお帰り願いたいところだ。
「とりあえずシュミット先生の到着を待つしかないわね」
「ロイ様にお嬢様が到着されたことを伝えてきますね」
「お願い。あ、ちなみにこのことは、他のスタッフには内緒で」
「もちろん、緘口令は敷いています」
事務所のお得意様には貴族も多い。その辺り、普段からスタッフ教育は行き届いている。チャーリーさんは父と同い年くらいのベテラン事務職員。安心感があった。
「それにしても家出とは……」
「それって、シュミット先生が落ち込んでいたことと関係あるってことだよな」
私の呟きにスノウが相槌を打つ。シュミット先生はスノウたちが暮らしているウォーレス領の奨学金で医術院まで出た人だ。奨学金の運営を行なっているのは領主のエリン様で、ケビン伯父やうちの継母の従姉妹にあたる人だ。スノウとシュミット先生の面識はほとんどないはずだが、領主と血縁にある彼のことだ。その辺りの事情は周囲の話から察しているのだろう。
「まぁ、それしか考えられないわよねぇ」
じりじりしながらシュミット先生が来るのを待った。




