国軍の見学にきました1
なんと、隊長とおじさんの名前を間違えるという失態をおかしてしまったようですが、なおすのが面倒なのでもう入れ替えてしまいます。
トゥキルス国軍の視察をするメンバーは、伯爵翁様とギルフォード、それに私だ。「あたし興味ないわぁ」と爪のお手入れを始めたマリウムは留守番だ。
見学にはリカルド様が付き添ってくれることになった。帯剣は許可されなかったため、入り口で伯爵翁様とギルフォードはそれぞれの剣は預けた。
トゥキルスの歴史や言語、風習などについて勉強してきたが、軍隊の話はよくわからない。そのため今回はただのおまけな私だが、伯爵翁様の存在がトゥキルスの軍人たちにどう判断されるのかがとにかく心配だった。いつもは能天気なギルフォードも心なし緊張しているように見える。
そんな中、いつもと変わらぬ泰然とした態度で案内を受けるのは伯爵翁様その人。案内係は国軍の第一部隊の副隊長と名乗る人だった。ヒゲモジャのおじさんだが歳は35歳とのこと。とすれば20年前の戦争には参加していなかった年齢か。
「“セレスティアの盾”と名高きアッシュバーン前辺境伯にお会いできて光栄であります」
ヒゲモジャの副隊長が敬礼をする。伯爵翁様はすでに爵位を息子に譲っているし、王立の騎士団に所属しているわけでもないから、肩書きはない。にもかかわらず、一国の部隊の副隊長が礼を示すあたり、伯爵翁様の存在の大きさが窺えた。
「ねぇ、“セレスティアの盾”ってなんなの?」
隣をゆくギルフォードに小声で尋ねると「おじい様の昔の異名だ」と返ってきた。戦争時代、誰よりも早く現地に馳せ参じ、勇猛果敢に戦った伯爵翁様はそう呼ばれていたそうだ。彼の現役時代の強さは今も伝え聞くほどだが、“盾”という呼び名が気になった。
「剣じゃなくてなんで盾なのかな」
「おじい様は防御戦がお得意なんだ」
「そうなの?」
施設内から長いアーチを抜けて屋外へと歩みながら、新事実を耳にする。もっと尋ねたかったが、内容が内容なだけにここで話すのは控えることにした。あの能天気なギルフォードが、この建物に入ってから口数が少なくなっていることにも気づいていた。
今日の私はただのおまけだ。隣国の軍隊の中で問題を起こすわけにはいかない。それはギルフォードも同じなのだろう。それ以降、私たちは一言も発さず、ただ大人たちの後ろに続いた。
遠くから男性の声がする。トゥキルスの言葉は5歳の頃から勉強してきたから、日常会話程度なら十分理解できた。だからその声が兵士たちのそれだとすぐに気がついた。
「今日はちょうど模擬試合の日でして、一対一の対戦型の訓練を行っています」
「ほう。それは面白い日に伺いました。勇猛果敢で知られるトゥキルス国軍の兵士ともなれば、かなり見応えのある戦いぶりが拝見できそうですの」
そして私たちは試合が行われている広場に出た。
会場はすでに熱気に包まれていた。騎馬による剣の戦いを前に、大勢の兵士が喝采を送っている。ちょうど試合が決したところのようだ。
「第3試合の勝者、第3部隊、クラウディア・ノゼッティ!!」
割れんばかりの歓声の中、太陽を背景に振り返ったのは、すらりとした女性だった。
「えっ、女の人?」
思わず声を漏らした私に、伯爵翁様が教えてくれた。
「トゥキルスでは女性兵士は珍しいことではないのだよ」
「そうなのですか」
確かにセレスティアにも女性騎士はいる。伯爵翁様の孫であり、王立騎士団に入団したナタリーがいい例だ。それに……。
「そういえば、ヴィオレッタ王妃も騎士の格好をされてましたよね」
「ふむ。それはそうじゃが……アンジェリカ嬢、どこでそれを知ったのかの?」
伯爵翁様にそう問われ、それが失言だったことに気づいた。王妃様が騎士の格好をしてお忍びで王都孤児院が運営するポテト食堂にいらしたことは、口止めされたわけではないが秘密でないわけがない。
青い顔をして伯爵翁様を見上げると、何かを察してくれたらしくそれ以上の追求はなかった。ほっとしたのも束の間、それを拾う声があった。
「ほう、我らがヴィオレッタ王女殿下は未だ健在のようだ」
艶やかな声に振り返ると、そこには軍人と思しき壮年の男性の姿があった。
「ノゼッティ隊長! アッシュバーン前辺境伯とそのお連れ様をご案内しました!」
ヒゲモジャ副隊長が姿勢を正し敬礼する。そちらに軽く目配せしたあと、現れた男性は伯爵翁様と対峙した。
「お目にかかるのは初めてだな。トゥキルス国軍第一部隊を預かるヴィンス・ノゼッティだ」
「ジェシー・アッシュバーンと申す。この度は貴軍の見学の機会を与えていただき感謝申し上げる。失礼だが、ノゼッティという家名は先のパオロ・ノゼッティ将軍に縁のある方であろうか」
「パオロ・ノゼッティは私の叔父だ。とうの昔に退役した者の名をよく憶えておいでだな」
「忘れるわけはなかろう。ノゼッティ将軍といえば近隣にも名の知れた名将でいらした。将軍の退位後、あまりの名声と実力にその跡を継げる者がおらず、未だその座が空位であるとも聞く。お元気でいらっしゃるだろうか」
「戦争が終わって、退役したあとは故郷で悠々自適の生活を送っていたが、病を得て2年前に亡くなった」
「それは……お悔やみ申し上げる」
「……ご丁寧に痛み入る」
硬い口調で交わされる挨拶だったが、思っていたほど殺伐としたものは感じなかった。形通りの邂逅といった感じだ。
「今ほどの試合、到着した途端終わっておったが、勝者の家名がノゼッティと言っておられたな。もしや隊長の縁者の方であろうか」
「あぁ、クラウディアは私の娘だ。身体はそれほど大きくないが小回りがきくので、騎馬での戦いを得意としている。地上では男性に負けてしまうが、馬に乗せると私でも厄介なくらいだ」
その説明が終わるかどうかのタイミングで、馬をひいた彼女が戻ってきた。かすかに会釈して通り過ぎる横顔が、ノゼッティ隊長と似ている気がした。広場の中央ではまた新たな試合が始まったようだ。ギルフォードが瞳を爛々とさせてそちらを見ている。
「ところでお嬢さん、ヴィオレッタ王女殿下――いや、もう王妃陛下と呼ばねばなるまいな。彼女に会ったことがあるのだろうか」
「えっ、はい! あっ、でも言っちゃいけないのかも……」
勢いで返事してしまい慌てて取り消すも、まったく取り消せておらず、口元を押さえればノゼッティ隊長が高らかに笑った。
「はははっ。どうせお忍びで出歩いていたところに出くわしたとか、そんなところだろう。本当にあのお転婆は」
「王妃様のことをよくご存知なのですか?」
好奇心に負けてそう問いかけると、堅苦しい彼の目つきがふわりと優しくなった。
「ヴィーのことは生まれたときから知っているよ。彼女は私の姪なのだ。彼女の母親が私の姉でね」
「えぇっ!?」
またしても大物登場という状況に、私の頭は混乱した。慌てて脳内家系図を引っ張り出す。
ヴィオレッタ王妃はトゥキルス先代国王の年の離れた妹だった。トゥキルスの先代国王は戦争が和解したあとに譲位して、そこで即位したのがアナスタシア女王。当時王太子だったアナスタシア女王は20歳だったので、年齢の釣り合った王族ということで、セレスティアの先代国王の弟、マクシミリアン殿下が婿入りすることになった。
一方の我が国といえば、現在の国王ヘンドリック様は当時まだ8歳。すぐに結婚できる年齢でなく、年の近かったトゥキルス王族のヴィオレッタ様と婚約のみが結ばれた。ヴィオレッタ様が18になられたときに成婚となり、ヘンドリック王太子は結婚と同時に王位についた。うん、これで合ってる。
で、ノゼッティ隊長のお姉さんがヴィオレッタ王妃のお母さんってことは、お姉さんは先々代の国王に嫁がれた、ということか。ヴィオレッタ王妃はアナスタシア女王より10歳以上下のはずだが、ヴィオレッタ王妃の方が叔母で、アナスタシア女王が姪になるんだよね。うぅややこしい。このへん、少し前まで一夫多妻制が慣習だったトゥキルスならではかもしれない。年のいった王様が若い側室をもらって子供が生まれる、みたいなパターンだ。
「我が国の王族は強い女性が多いのが特徴なんだ。ヴィーも幼い頃からずいぶんやんちゃだったよ」
含み笑いをしつつ、ノゼッティ隊長が目を細めた。
ノゼッティ隊長の登場で、私たちに徐々に注目が集まりはじめた。私たち、というより伯爵翁様に対してなのは明らかだ。兵士たちの視線は物珍しいものが大半だが、中には鋭いものも混ざっていた。漏れ聞こえる声に「アッシュバーンの……」とか「あのときの……」など、明らかに昔の伯爵翁様を知っているものが混ざっている。
模擬試合で盛り上がっていた会場が、徐々に緊張を孕んだものに変わっていく。伯爵翁様がいつの間にか私とギルフォードの前に立った。あれほど試合に夢中だったギルフォードが、視界を遮られても声ひとつあげることなく、祖父の影に隠れたままでいた。一足早く10歳になった彼の、初めて見るかもしれない、真剣な横顔。
少し離れたところにリカルド様が立っていた。先ほどから彼は静かに控えていて、口を挟む様子もない。ここは軍で、ノゼッティ隊長の支配下で、彼は王族に連なる者であっても部外者、ということなのか。
伯爵翁様の背中のおかげで、剣呑な兵士たちの視線は私の目には映らなくなった。しかしその気配までが消えたわけではない。ノゼッティ隊長もまた沈黙し、伯爵翁様と微妙な間合いをとっていた。私たちの反対側にはヒゲモジャの副隊長。彼の表情もよく見えない。
試合はまだ続いている。喧騒が広がっているのに、うっすらとした寒々しさを感じた。この気配は私たちが完全に部外者であることを示している。ぴりぴりとした一種の緊張感。恐怖、というべきか、それとも——。
背中に冷たい汗をかく私の手に、ふと温かいものが触れた。ギルフォードが伯爵翁様の背中を見据えたまま、私の手を握ってくれていた。汗ばんだん手、一文字に結ばれた唇。けれどその視線は落ちることも滲むこともなく、ただ強く前を見ていた。彼が心から尊敬する祖父の背中を。
なぜ伯爵翁様が彼をこの旅に連れてきたのか、わかった気がした。ギルフォードは本当に私を守るために連れてこられたのだ。もちろん前面に立つのは伯爵翁様だが、その背中を守りつつ、いざというときに一番近くにいてくれる存在として、伯爵翁様は大事な孫を私の側に置いてくれた。
ギルフォードもまたその意味をよくわかっていたのだろう。普段は大雑把で、考えごとには向かない性格だが、騎士として、未来のアッシュバーン領を背負う者として、すでに訓練を受けている。本当の強さの意味を、私以上に知っているのだ。
私もまた何も言わずその手を握り返した。2人とも剣を持っていない。もし何かあれば、ひとたまりもない。
それでも、この手の温かさと大きな背中が、どうにかしてくれるものと信じられた。
どれくらいその奇妙な緊張が続いただろう。試合はいくつか進んだようだが、その盛り上がりもどこか遠いところのように感じていたとき。
「なんだ、その生ぬるい試合運びは!」
薄氷のような空気を一気に割り裂く鋭い一声が、門の向こうから響いてきた。




