笑いとともにやってきました
シュミット先生の研究の一助になればと、彼にも農業研究所を案内することにした。一応王立の研究所ではあるのだが、こちらは土地を貸している領主の娘だし、執事のロイも研究に従事しているからある程度の融通がきく。以前温泉成分を解析してもらったこともあり、新人医師の研究にも協力してもらえることになった。
ほくほく顔で研究所を後にすると、ちょうどマリウムと行き合った。
「あら、お嬢ちゃんじゃない。奇遇ね」
今日はゴールドのスタイリッシュな足元が見えるドレスに、同じく金色のブーツを合わせたマリウム。どう見ても異質なのに、道ゆく人々は素通りだ。彼の根城である研究室はこの近くにある。みんなもう慣れたのか。そうか。
研究所の隣の敷地では化粧品工場が建設中だ。その視察に来たというマリウムと工場を見比べて、私はそっと息をついた。
「っていうか、本当に工場建ててたのね……」
しかも外から見るに工場は完成間近だ。おそらく領地に着任して早々に手配したのだろう。まぁ結果オーライといえばそうなんだけど、この投資分をいかに早く回収すべきか、悩むネタは増えた。
それにしても土地はうちの持ち物だからあれとして、工場を建てるための人材と資材をよく短期間に調達できたなと思う。ずっと研究者としてやってきたであろう彼のツテはそこそこ太いということなのか。まぁこの人にかかったら非常識も常識になりそうだから、力技でどうにかしたのかもしれない。
胡乱な瞳で彼を見上げると、ちょうど通りの向こうからやったきた一団に彼が目を向けた。
「あら、リカルドじゃない! ちょうどよかったわ、お嬢ちゃん。紹介してあげる」
「え? あの……っ」
マリウムの勢いに負けて、私はリカルドと呼ばれた男の人の前に引き摺り出された。
「リカルド! こっちがアンジェリカって言って、ダスティン男爵の娘よ。お嬢ちゃん、こいつはリカルドといって、トゥキルスから研究所の視察に来てるんですって」
簡潔すぎるマリウムの説明に頬を引き攣らせつつ、姿勢を正した。
歳の頃は20代だろうか。浅黒い肌に黒い瞳。頭には色鮮やかな布を巻き付けている。これはトゥキルスの男性の伝統的スタイルのひとつだと記憶していた私は、彼と、その後ろにいる同じ格好を3人の男性たちを見て、ますます背筋を伸ばした。
トゥキルスは多民族国家だ。もともとセレスティア王国に住んでいた人々が北へ北へと移住していき、現地人との混血を繰り返して今の国ができあがった。国土も特徴的で、国の約半分は砂漠化している。そのため農作物が育つ土地面積が少なく、長年食糧不足に悩まされてきた。20年前のセレスティアとトゥキルスの戦争が国境付近の土地と食糧の奪い合いから始まった背景には、そんな事情がある。
砂漠に住まう民は総じて肌の色が褐色だ。そこにセレスティア出身の血が混ざったこともあり、かの国の国民の肌色はバラバラだ。セレスティアに嫁いできたヴィオレッタ王妃は褐色というほど濃くもなく、中間の肌色をしている。文化も、新しく流入したものと以前からあったものが融合して、独特の発展を遂げていた。
そんな中、砂漠の民であった彼らの伝統を継承する文化も根強く残っている。そのひとつが衣装だ。今目の前にいる一行のように、鮮やかな色の布を頭に巻くか被るようにして使うのは、戦闘民族として名を馳せた砂漠の男たちの名残だ。そしてその伝統は、トゥキルスの中でも支配者となりうる高位の人間、つまり貴族や裕福な民にのみ受け継がれているという。
(つまり、この人たちが布を頭に巻いているということは……)
伸ばした背中に冷や汗が流れる。マリウムは派手なドレスを着ているが平民だ。めまいを起こしながらも、ここで倒れるわけにはいかないと足に力を入れ直した。
「トゥキルスの皆様、はじめてお目にかかります。ダスティン男爵の長女、アンジェリカにございます。しばらく王都で過ごしておりまして、皆様へのご挨拶が遅れましたこと、父男爵に変わりましてお詫び申し上げます」
相手は貴族か、それとも裕福な平民か。できれば後者であってほしいと願いながら、最上級の礼をすると、隣でマリウムがなぜか爆笑した。
「やだ、お嬢ちゃんったら! こいつ相手にそんな畏まる必要ないわよ。気のいい奴よ! 何せ工場を建てる手配を全部つけてくれたんだから」
「は? 工場の手配って!?」
「えー? だってあたしひとりでこんなに人とか材料とか集められるはずないじゃない? どうしたものかと悩んでいたらちょうど視察に来ているっていうこいつが通りかかって。いろいろ成り行きで相談したら手伝ってくれるっていうから丸投げしちゃった」
「ま、丸投げした!?」
「そうそう。こいつ本当に使い勝手がよくてねぇ。人も資材もあっという間に集まって、ほらご覧の通り、工場も完成間近ってわけよ」
「ななななななんてこと! あ、あのっ、うちのマリウムが本当に失礼しました!」
私は思い切り背伸びしつつ手も伸ばしてマリウムの頭を下げさせようとするも、残念ながら180センチをゆうに越える長身の彼の頭に届くはずもなく。
——仕方なく奴の鳩尾に思い切り頭突きした。
「ぐほっ! お嬢ちゃん! 何すんだよ!」
素が出つつも背中をくの字に曲げてもだえるマリウム。よし、一応頭下げた形になった!
どうだとばかりにとトゥキルス御一行に視線を向けると、一行の先頭に立っていたリカルドと呼ばれた男性が突然爆笑した。
「はははははっ。やはりおまえは面白いな、マリウム!」
鮮やかな布を巻きつけた頭まで揺らしつつ、リカルドは背後で無表情に立つ3人のトゥキルス人を置き去りに、ひとり笑い続けた。




