ある少年との出会いです1
とある障害に関わる記述があります。それに関しての周囲の評価に気分を害されるものがあるかもしれません。物語の特性上のものとしてご理解いただければ幸いです。極力注意して記述しているつもりです。なお、作者はこの方面について専門的な知識を有しています。誤った情報の拡散や差別意識の意図はないことを明言いたします。
シリウスのこちらを揶揄っているような態度にこれ以上翻弄されるものかと自分に言い聞かせているうちに、私たちは孤児院に到着した。来週には領地に戻ることになっているからクレメント院長や子どもたちに挨拶しておきたい。ポテト食堂にはしょっちゅう顔を出していたが、忙しさもあって孤児院にはほとんど訪れることができず、この冬2度目の訪問だった。
「クレメント院長、こんにちは」
「まぁアンジェリカ様。ようこそおいでくださいました」
しばし院長と談笑したり、子どもたちの手習いの様子を見学したりしていると、外の方から騒がしい声が聞こえてきた。駆けてきた子どもたちがクレメント院長を見つけて訴える。
「院長先生、ラファエロが癇癪を起こしています!」
「まぁ、またなの。どこで?」
「洗濯場です」
「洗濯場って……あの子には洗濯場の仕事は割り振ってなかったでしょう。またどうして」
「年長の子が……今日はいつもより量が多かったから、洗濯が嫌でアンジェロに押し付けたんじゃないかって」
ため息に近い声を出しながら、クレメント院長が外に駆けていった。失礼かとは思ったが、私もこっそりあとに続いた。年齢も育ちも性格もばらばらな子どもたちが大勢で暮らしていれば、諍いのひとつやふたつは日常茶飯事だ。職員も子どもたちもいい意味で慣れているから、本来ならクレメント院長をわざわざ呼び出すほどのことではない。
それでも呼びにきたということは、院長でなければ対応できない何かが起きたということだ。それにラファエロという名前に聞き覚えがなかった。新しく孤児院に来た子だろうか。
駆けつけた洗濯場はちょっとした騒動の渦中だった。本来なら白いはずのシーツが地面に落ち、水浸しのまま茶色に染まっている。すぐ側にはひっくり返ったたらいとばら撒かれた洗剤の跡。大量の水が撒き散らされて地面はぬかるみ、衣服や手足を汚した子どもたちが呆然と立ち尽くしていた。中には泣いている子どももいる。とにかく惨憺たる有様だった。
そんな中、まだ寒さも抜けきれない3月だというのに、ポンプ式の井戸の水を汲み上げながらそれを頭からかぶっている子がいた。クレメント院長が濡れるのも構わず近づき、彼を井戸から引き剥がした。
「ラファエロ、やめなさい! 風邪をひいてしまうわ」
「だって! だってアレが臭いから! 水で流さないと!」
「大丈夫よ。あなたはこっちにいらっしゃい」
クレメント院長は追いついてきた別の職員に洗濯場の片付けを頼みつつ、濡れ鼠になった少年を引っ張っていく。少年とはいえ上背があり、小柄なクレメント院長とさほど変わらない。そのまま彼は孤児院の中へと連れて行かれた。
残されたスタッフにより片付けが指導され、再び洗濯作業が始まった。貴族の家などでは水の精霊石で洗濯するからあっという間だが、庶民には手に入りにくい品のため、こうして洗濯板と洗剤を使って手作業で洗濯するのが一般的だ。
「ねぇ、あのラファエロって子はいつから孤児院にいるのかしら。去年はいなかったわよね」
私は顔見知りの子どもに声をかける。
「はい。ラファエロは今年の夏にここに来たばかりの子です」
「どうしてこんな騒ぎを起こしたのかわかる?」
「あの、ラファエロは洗剤が嫌いなんです」
「洗剤?」
「はい。匂いが鼻につくって言って。ほかにも煙草の匂いも嫌いみたい」
その子の話によると、彼は多少変わった男の子らしかった。ひとりで庭の木の下にしゃがんで蟻の行列を何十分も眺めていたり、いつも同じ絵や構図ばかり好んで描いていたり。食べ物の好き嫌いも多く、なぜか白っぽいものしか食べなかったり。他の子どもたちと遊んだりすることもなく、ひとりで花を摘んでいたり。
「私たちも仲良くしなさいって言われて、最初はよく話しかけてたけど、彼、全然面白そうじゃないから」
だから子どもたちも自然と彼と距離をとるようになったそうだ。
「あんなふうに癇癪を起こすことは多いの?」
「最初の頃はよくやってました。理由はよくわからないんですけど。食事に赤いトマトソースが出たのが嫌だったみたいでお皿をひっくり返したり、風呂場で使われている石鹸の匂いが嫌でお風呂をずっと拒否したり。洗濯場は、一度仕事を頼んだときに今みたいに大騒ぎになったから、彼にはこの仕事はさせないようにってクレメント院長が決められたんです。でも今日は男の子たちが彼に押し付けたみたいで。ラファエロ、あんまりしゃべらないから、嫌だって言えなかったのかな」
彼の癇癪が起こらないよう、孤児院の大人たちが気を配ってきたが、その隙を縫っての今回の騒動だったようだ。
彼のことが気になった私は、情報をくれた子たちと離れてクレメント院長を探した。




