お芝居は卑怯です
【登場人物整理】
シリウス:孤児院で暮らすピアノの天才少年。藍色の髪に藍色の瞳。
「シリウス、久しぶりね!」
「アンジェリカ様、ようやくお会いできました!」
ポテト食堂王都店に顔を出すと、ちょうどクッキーの納品に来ていたシリウスと行き合った。精霊祭が終わった翌週のことだ。
「精霊祭の発表会のピアノ伴奏、本当に素敵だったわ。どんどん上手になってるわね」
「ありがとうございます。新しいピアノの先生が、現代の曲にも挑戦した方がいいとおっしゃって、譜面をいくつか用意してくださったんです。大変ですけど、今までと違う世界が見えてきた気がします」
「そう、よかったわ。新しい先生とも気があっているようね」
シリウスはこの春まで、私にとって義理の祖父にあたるウォーレス教授にピアノを教わっていた。だが今は芸術院の音楽教師に指導者が変わっていた。
「私が教えることはもう何もないほど、彼は成長してくれた」
この冬再会した教授は、春頃から車椅子生活になっていた。教授夫人の話では聴力の衰えも悪化の一途をたどり、それもシリウスを手放したことの理由のひとつらしかった。
幸い11歳とはいえ、シリウスには多くのパトロンがついており、彼らの資金援助を受けて芸術院の講師の指導を続けられている。社交シーズン中はあちこちのサロンで演奏活動によばれているそうで、私が孤児院を訪ねても留守にしていることが多かった。
(順調に成長しているようで何よりだわ)
発表会のときもそう感心しながら、子どもたちの合唱の伴奏をする彼の演奏を聴いていた。聴きながらほんの少し残念だと思う自分がいたことは、単なる感傷だ。濃紺の髪と瞳、舞台の照明を浴びて輝く彼が、以前より遠くなった気がして、喜ばしいと思いながらも少し寂しかったのかもしれない。
「私はウォーレス教授にご指導いただいたことを一生忘れません。アンジェリカ様のことも……一生かけて恩返しをしていきます」
私の心の中を読んだわけではないだろうが、シリウスが突然、真剣な表情でそう告げたので、大慌てで首を振った。
「そんな! 大袈裟にしないで。シリウスが頑張った結果よ。もちろん、教授を慕ってくれるのはとても嬉しいけれど、私は何もしてないわ」
「いいえ。アンジェリカ様があの舞台を整えてくださらなければ、私は今も銀細工の工房に通って、ただただ銀を研磨したり削ったりしていたでしょう。せっかくシンシア様から寄付いただいたグランドピアノも、宝の持ち腐れになっていたはずです」
彼の揺るがぬ濃紺の瞳に射抜かれ、わけもなくどぎまぎした。
ちょうど新しいお客さんが入ってきて店内が賑やかになる。
「……出ましょうか。邪魔になりそうだわ」
「そうですね」
そうして私たちは連れ立って外に出た。孤児院へ帰るという彼について、私も隣についた。
「先日、アニエスに会ったんですよ。コメディの舞台で役をもらっているみたいで」
「あぁ、あの舞台ね。私も見たわ」
「私もアニエスのツテで、舞台袖からこっそり見せてもらったんです。終演後少し話をする時間がありました。アニエスはアンジェリカ様のところで劇団を立ち上げるそうですね」
「そうなのよ。アニエスの才能は舞台にたってこそだと思ったから、女性だけによる歌劇団を立ち上げて、うちの目玉にしようと思って」
「……それからルルが最近、いつもに増してすごく機嫌がよくて。彼女も孤児院を卒業したらアンジェリカ様の元で働くそうですね」
「そうそう! ルルは食堂の仕事が好きみたいだから、うちの領で新たに開店するポテト料理のお店に来てもらえないかと思って」
いろいろ情報通だなと感心しながら、シリウスの隣を歩く。すると突然彼が立ち止まった。
「……私は?」
「え?」
「私は呼んでいただけないのですか? アンジェリカ様の元で、働くことはできないのでしょうか」
「え、えええええぇぇぇぇ!! シリウスがうちで!?」
「はい。アニエスが劇団員として舞台に立つなら、私もピアノで舞台に立てるはずです。今はまだひよっこですけど、もっとうまくなったらできると思うんです。なんだったら歌劇の作曲もします。まだ作曲はしたことないですけど、パトロンの方々のご厚意やピアノの先生の推薦で、孤児院を卒業したら芸術院で学べるかもしれないんです。そうしたら作曲のも勉強もできますし、何よりプロのピアニストを目指して本格的に研鑽を積むことができます」
「いや、あの、でも……」
「私はプロのピアニストになります。アンジェリカ様、私ではダメでしょうか。私ではお役に立ちませんか」
「違うの! そうじゃなくて……!」
そもそもアニエスやルルをスカウトしたのは、温泉プロジェクトのためだ。ダスティン領の温泉に長逗留してもらうために必要な食と娯楽を整えるべく立ち上げた計画に、彼女たちがピッタリだった。
そしてシリウスのことも……実は考えなかったわけではない。
「……あのね、シリウスはもったいないなって思っちゃったの」
「もったいない?」
「えぇ。あなたの才能はきっとこの国の宝になる。ダスティン領ではもったいないほどに」
そう、彼の才能はうちの小さな領土に留めておくべきものではない。王都で華々しく披露され、たくさんの人々に届けられるべきものだ。まだ11歳だというのに、早くも多くの貴族たちが彼の才能に気づき、愛でている。たった1年会わない間にこちらが思う以上の成長を見せてくれた彼は、もっと高い場所で輝くべき存在だ。
そんな思いを打ち明けると、シリウスの表情にますます影が差した。
「私は、アンジェリカ様に感謝しています。あなたが私の音楽の可能性を広げてくださいました。あなたに会わなければ、今の私はありません」
藍色の瞳がすっと細められる。長いまつ毛が微かに震えたのがわかった。
「シンシア様にももちろん感謝しています。あの方のおかげで、大教会でパイプオルガンを弾く仕事をいただきました。孤児院でのピアノ練習も許されました。けれど私は……それである意味満足していたのです。私は演奏することが好きでした。けれど、それをもっと高みにまで昇華させようとは思ってもいませんでした。けれど……」
彼の視線が再び私を捉える。どうかすると暗く見える彼の髪色と瞳が、まるで舞台のスポットライトを浴びたときのように閃き、鮮やかな色気を放った。
「あなたが私に舞台に立つ本当の意味を教えてくださったのです。ただの孤児にすぎない私に、多くの方が援助の手を差し伸べてくださった……だからこそ私は、自分の可能性をもっと広げたいと思いました。私にも未来があるのだと、それに手を伸ばしてもいいのだと、そう思えたのです」
流れるような動作で片膝をつき、縋るように私を見上げた。
「アンジェリカ様は私とウォーレス教授とを引き合わせてもくださいました。教授から教わったことは言葉に尽くせないほどありがたいものです。その御恩も返したいと思っています。アンジェリカ様、どうか、私にその栄誉を与えていただけないでしょうか」
突然の行動に私の表情も心もついていけず、ただただ白々と息をするばかりだった。慣れない状況に百面相する元アラサーを前に、彼は11歳とは思えぬ壮絶な美しい笑みを浮かべた。
「アンジェリカ様、私もあなたの傍に置いていただけますよね」
「いやあのその……」
「私はピアニストになります。そしてダスティン領で舞台に立ちます」
「いやいやあのあのそのその……!」
「お許しいただけませんか? ルルやアニエスと違って、私は役に立ちませんか? それなら私も給仕か役者になれば、ダスティン領に連れていってもらえるのでしょうか」
「えぇ!? ピアノを捨てるつもり? そんなのダメに決まってるでしょう!!」
「それならピアニストとして私を雇ってほしいです。そうでなければ……」
「わかったから! シリウスもうちで演奏してもらうから! だから……!」
苦悶の表情を浮かべる彼を勢いで制してしまったあと、あれ?と我にかえる。私、今、この子のことスカウトしちゃった?
「……言質をいただきました、アンジェリカ様。生涯に渡りよろしくお願いします」
より重々しい台詞を口にしながら、シリウスは愛想のいい顔でにっこりと微笑んだ。立ち上がって小さく肩をすくめるその姿には、今ほどの思い詰めた雰囲気は微塵もない。
「アニエスに習っておいてよかったです。こんなところで役立つなんて」
舌でも出しそうな彼の態度に、私はあんぐり口をあけるしかなかった。
「ひどい! お芝居だったのね!」
「いいえ、まごうことなき私の本心です。王国の4大精霊の御名にかけて誓えます」
「こんな……騙すような方法は卑怯だわ!」
「私があなたを騙すのですか? そんなことできるはずありません。あなたは私にとって女神そのものです」
「なっ……!」
まるで口説き文句のような台詞を吐かれ、頬に熱が昇った。赤面しているのをバレるまいと、咄嗟に俯く。
(いやいやいやいくら大人びた美少年だからと言って、相手11歳だから! 私はアラサーだから!)
そう言い聞かせながら無理して深呼吸する私の頭上で、彼がふっと笑う気配がした。それを直視できる自信もなく、孤児院につくまで顔をあげることができなかった。




