いきなりの契約は御用心です
ふわふわと浮き沈みする火の玉が2つ、3つ、4つ、数を増やしては私の周りを囲んでいく。
火の玉のように見えたそれは、よくよく見れば小さな羽を持った小人のような形をしていた。
「これって、まさか……精霊」
『ぴんぽーん』
反射的に返ってきた返事が耳元で残響のように広がった。
「嘘でしょ、精霊って……見えるの?」
衝撃の事実。今まで彼らの存在は精霊石でしか知らなかった。こんな火の玉みたいに浮かんでいる存在だったなんて。
『うーん、みんなにみえるわけじゃないんだけど』
『あなたはとくべつだね。つぎのとうしゅだから』
『そうそう!』
『でも、とうしゅみんなにみえるってわけでもないよ?』
『あわないまま、せだいこうたいすることもあるし』
『でもね、ぼくたち、あなたには、あってみてもいいかなっておもったの』
『なんか、おもしろいたましいをもってたから』
『そうそう、おもしろいよね、あなたのたましい』
『ぼくたち、おもしろいこと、だいすきなの』
くすくすと笑う声は小さな子どものようで、ふわふわと漂う姿も現実のものとは思えない。
ゲームの世界に転生して大抵のことは逞しく受け入れてきた私だが、この光景は衝撃すぎた。
呆然と佇む私の鼻先に、彼らのひとりがすっと近づいてきた。
『ねぇ、てつだってもいいよ?』
「て、手伝うとは……?」
『おんせん、わかしたいんでしょ? やってあげてもいいよ』
『でもねー、じょうけんがあるの』
別の精霊がまたふわりと目の前に飛んできた。よく見れば2人?2匹?とも微妙に違う。最初に飛んできた方は小柄で細身、後からきた方はふっくらとした輪郭だ。
「条件とはなんでしょう」
冷静にそう応対できた自分を褒めてあげたい。なぜなら人ならざるものが出す条件など、真っ当である可能性は低い。
『うーんとね、ふつうのことだよ』
『そう、このばしょを、だいじにしてほしい』
『ずっとここにすんでほしい』
『しゃこうしーずんは、しかたないけど』
2人の精霊の背後で、ほかの精霊たちも合唱をはじめる。
「条件って、それだけ……?」
それは引き取られた直後から両親からずっと言われてきたことだった。
精霊は血を好む。ゆえに精霊に好まれた人間だけが当主となれる。
そして当主は領地から離れることなく、次代を生み育て、血を引き継いでいかねばならない。それが精霊の望みであり、加護と引き換えの条件だからだ。
だから彼らが口にした条件は今更なことだった。ゲームの中のアンジェリカは、それを放棄してしまったけれど。
「本当にそれだけですか?」
『うん。ぼくたち、そんなにあくとくじゃないよ?』
『あと、できるならもっとたのしくしてほしいな』
『うん、さいきんひともふえて、おもしろくなってきたよね』
『ぼくたち、にぎやかなのだいすきだから、かんげいだよ』
どうやらこの赤い精霊たちは、うちの領が発展しつつあることにも肯定的らしい。
「本当に本当? ほかには何もないんですか? たとえば誰かの命をとるとか」
『そんなことしないよー』
『ひとのいのちなんておいしくないし』
『つかいみちないし』
おいしくないって、何を食べて生きてるんだ、この子たちは。
……って、今はそんなことを考えている場合じゃなかった。
「私がずっとこの土地にいればいいのね? そして領地を発展させる。その条件で、あなたたちは温泉開発を助けてくれるの?」
『いいよー』
『やってやるさー』
「……できれば念書か何か欲しいんですけど」
『ねんしょって……』
『うたぐりぶかいんだね』
『がめついっていうか……』
「いやいや、契約には必須でしょう? 口約束なんて信用の置けないもの、ビジネスの世界では通用しないわ」
『びじねすってなぁに』
『にんげんがすきなことらしいよ』
『おいしいの?』
『おいしくはないんじゃない?』
ざわざわと妙な噂が広まるのを眺めつつ、一歩も譲らぬ姿勢で2人の精霊に声をかけた。
「どうでしょう」
『ねんしょはさすがにむりだよ。ぼくたち、もじなんてかけないもん』
『でも、もっとこうりょくのたかいものなら、よういできるね』
そして精霊たちは一度私から遠ざかったかと思うと、大きく円を描くように踊り始めた。一見出鱈目な軌跡のようだったが、よく見ていると彼らが通った跡からふわりと文字が浮かび上がった。
「……これは」
『はーい、ぼくたちの”けいやくしょ”』
『これならよめるよね』
それはこの世界で流通する文字で書かれた、確かに契約書と呼べそうなものだった。内容は、私が当主としてこの地と精霊に自らの忠誠と血を捧げるかぎり、精霊は当主を支えるというもの。
「え、待って、“血”ってなによ!?」
『そんなたいへんなことじゃないよ』
『ゆびのさきっちょを、ちょいっとね』
「え? あぁ!!」
風が私の右手を取り巻いたかと思うと、指先にちくりと痛みが走った。見ればぷっくりと血の玉が浮かんでいる。
『はい、ここにさいんね!』
「え、待って、これ、契約内容が薄すぎじゃない!? 温泉計画のこととか何も書いてないし!」
『それはおぷしょんだから』
「おぷしょんって何!?」
『ふつうはそこまでしないんだけど。あなたはとくべつ』
『だって、なんかおもしろそうだし』
『ねー』
『ねー』
(おもしろいってなんだ……)
顔を引き攣らせながらも契約内容を再度確認する。これといって大変なことは書いてない。すべて父から聞かされた伝承の通りだ。ただし、こんな不可思議な形でガチで契約を結ぶとは聞いてなかった。
「それならそうと言ってよ! おとうさまってば!!」
思わず漏れ出た心の声に、精霊たちがすかさずつっこんできた。
『うーん、それはむりだよ?』
『だって、いまのとうしゅにはあってないしね』
「え、おとうさまとは契約してないの?」
『いったでしょ? このほうほうはとくべつばーじょんなの』
『しゅっけつだいさーびすなの!』
『おおばんぶるまいなの!』
(なんじゃそりゃ、説明になってないわ)
『けいやくには、いろんなほうほうがあるんだよ』
『みんなちがうの』
『それでね、けいやくしたことは、だれかにつたえてもいいんだけど』
『けいやくしたほうほうは、ひとにはなしちゃだめなの』
『じぶんからひとにきくのも、だめなの』
『ぼくたち、みはってるからね、えへん!』
なるほど、精霊との契約方法は機密事項なのか。そして人に聞いたり自分から話したりするのもタブー。ちょっとわかってきた。
『さぁ、どうする? アンジェリカ・コーンウィル・ダスティン』
突如としてふわふわした声が鋭いものに変わり、思わず背筋が伸びた。
つまりこれは、温泉うんぬんのことではなく、純粋に当主としての精霊との契約の場面なのだ。その覚悟を問われた気がして、ごくりと唾を飲み込んだ。




