絵に書いた餅です1
(よし、温泉を軸に観光業を立ち上げよう。まずあの源泉をもっと麓まで引いてくるための工事が必要ね。ただ湯量に限界があると困るから……いっそのこと別の源泉も掘っちゃう? うん、それがいい。そうすれば安定した供給が可能よね。それから建物も建設しないといけないけど……ホテルを作ってスパリゾート風にする? 「千と◯尋の神隠し」みたいな湯屋を作って、みんなが通えるようにするのも面白いわね……)
……なーんてつらつら考えていた私は、はたと気がついた。
温泉、そもそもどうやって掘るの?
(ていうかどこを掘ったら出るの? 高台の源泉をひっぱってくると言ってもどうやって? パイプ的な何かを敷設する? 確か前世の支援先のアフリカで水道を引く工事をやってたけど、パイプって塩化ビニル製だったっけ。そんなものこの世にないし……。金属でも代替は出来るけど耐久性がなぁ。それに建物建てるって、費用は? 資材は? 男爵家にそんなお金あるわけないし、この世界には母体となるNGOだってない……。どうすりゃいいの? クラファンでもする???)
というわけでさっそく壁にぶつかっている私こと、アンジェリカ・コーンウィル・ダスティン、5歳です。今何してるかって聞かれたら、継母とキッチンメイドのマリサと3人で明日の朝食用のパンを焼いています。そう、男爵夫人が台所に立つというのは本当だった。しかもかなり手慣れている。
男爵家に引き取られた日の夕食は、この家にとっても特別な日仕様だったらしく、ロイたちが給仕してくれたコース料理を味わったのだが、ああいう食事の仕方をするのは特別な日以外は月に一度なのだそうだ。ちなみにそれは毎月3日で、父と継母の結婚記念日なのだとか。それ以外の日は家族3人分の食事を大皿などに盛って、みんなで取り分けて食べるのが日常だ。そうすればロイたちも給仕をしなくてすむし、洗い物も少なくて手間が省ける。実に合理的だ。
本当は私に食事マナーを教えるために、晩餐の機会を増やそうかと夫婦で話していたそうだが、私のマナーは夫人の目から見ても合格点だったようで、今の状態で学院にあがったとしても問題ないだろうと判断された。ちなみにもっと上級なマナーは学院でみっちり教わるらしい。あんまり楽しみではない。
夫人とマリサがこねてくれたパン種を成形するのが今日の私の仕事だった。前世でも村の人たちがこんなふうに作っていたなぁと懐かしく思い出す。日本にいるときはパンを手作りする機会なんてなかった。石臼で粉を挽いたり、牛やヤギの乳を搾ったり、井戸で水を汲んだり、火を熾したりといったことまで一通りできたのは、派遣先で経験したおかげだ。これがもし普通の会社勤めしか経験がないアラサーだったらたちまち困ったことになっていただろう。
パン種は鉄板に並べられ、マリサの手でオーブンに入れられた。当然電気ではなく火で調節が必要なオーブンだ。火の扱い方を彼女から教わるのが最近の日課だ。
男爵領では父も継母も一日中働いている。メイドに任せているのは掃除と洗濯くらい。当然私もできるようにならなくてはいけないことがたくさんある。
けれどそれと同時に貴族社会で生きていくための、いわゆる「淑女教育」や勉強も少しずつ導入されていた。父からは語学と算数を、継母からは刺繍とピアノを教わっている。家庭教師を雇おうという話も持ち上がっていたのだが、そもそも中身アラサーの私はたいていのことはできてしまうので、お金がもったいないと思い、「私はおとうさまとおかあさまに教わりたいです。そうすれば一日中どちらかと一緒にいられることになります。違う先生につくのはさびしいです」とぶりっこ丸出しでお願いしたら、両親とも二つ返事で了承してくれた。これぞヒロインチート。
ただし残念なこともある。メイド頭のルビィがマナーの先生になってしまった。継母いわく、自分では甘くなってしまって指導になりづらいから、とのこと。
マナーの授業は多岐にわたる。歩き方、座り方、笑い方などの所作から、手紙の書き方、ハンカチや扇の使い方といったものまで、キリがない。今のところ継母も付き添ってくれているからルビィの態度も大人しいものだが、義母がいなくなった瞬間が恐ろしい。
そんなわけでかなり忙しい毎日を送っていた。そのため温泉計画はすっかり頓挫している。
(まぁでも、ちょっと浮かれてしまったところはあるわよね)
その反省点は温泉を見つけた直後、父に温泉を軸にした観光業の提案をしたときに、すでに露呈していた。
はじめ父は「温泉で地域おこし……? アンジェリカは面白いことを考えるね」と冗談としてしか受け止めてくれなかった。それでも私が必死に言葉を重ねて訴えると、少し考えるそぶりを見せたものの、すぐに首を傾げた。
「たしかに温泉は珍しいから、他所からここに来た人には喜ばれるかもしれない。でもわざわざお風呂のためにこんな辺鄙なところまで来るとは思えないな。王都のように賑やかな街ならともかく」
「ですから、温泉だけでなく観光施設も作るのです! たとえば高級施設とリゾートホテルを作って貴族を囲い込み、庶民向けには湯屋を作って、誰もが気軽に入れて休憩できるスポットにするとか」
「うーーん……発想としては面白いけれど、それは無理な話だよ」
「どうしてですか!?」
こんないい資源、使わない手はない。納得がいかず父に詰め寄った。




