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誘われた理由が判明しました1

 ハイネル公爵夫人との出会いを終え、私は本来の目的であるお茶会の部屋へと案内された。部屋には丸テーブルがセッティングされ、3つの椅子のひとつにマクスウェル少年が既に着席していた。


「ダスティン男爵令嬢」


 立ち上がった彼が軽く頷くように会釈する。緩やかな癖のある黒髪に、凪いだ海のような濃い青の瞳。きりりとこちらを見てくるその視線は精霊祭で出会ったときよりはるかに理知的で、これだけ見ればなるほど神童と言われるのも頷けるというものだ。


 私ははるかに身分が高い彼に対し、最上級の礼をした。


「ご無沙汰しております、マクスウェル侯爵令息。本日はお2人の語らいに交ぜていただくべく、厚かましくも参上してしまいました。ご無礼をお許しください」

「いや、かまわない。 (おもて)をあげてくれ。それから、私のことはエリオットと呼んでくれてかまわない。その、私もそなたを名前で呼んでもよいだろうか」

「もちろんでございます、エリオット様。どうぞアンジェリカとお呼びください」


 許され頭を上げた私は、まじまじと彼を見つめた。精霊祭で感情をあらわにルルやエヴァンジェリン嬢に喰ってかかっていた姿はどこにもない。


「エリオット様、アンジェリカ様、まずはお茶にしましょう。今日の話題はいろいろありますが、お2人とお茶をしたかったのも事実なのですのよ」


 エヴァンジェリン嬢の案内で私も席につくことになった。給仕係は侍女のキャサリンがメインだ。私たちが着席するとさっそくお茶とお菓子が運ばれてきた。目の前のカップに紅茶が注がれる。ふくよかな香りがあたりにふわりと漂う。


「どうぞ召し上がれ。ハイネル領でとれた茶葉ですわ。お口に合うといいのですけれど」


 ハイネル領は地の精霊の加護のおかげで鉱物だけでなく農産物全般にも恵まれている。紅茶の茶葉がとれるということは高地と適した土壌があるのだろう。気温も温暖なのだと思う。いただいたお茶を口に含むと、さわやかな香味が口の中に広がった。


「おいしいです。口当たりがとてもいいのですね。苦味もまったくなく、さわやかな香りだけが残ります。茶葉も素晴らしいですが入れ方も素晴らしいのですね」

「ありがとうございます。キャサリンはお茶を入れるのが得意なんですの」


 エヴァンジェリン嬢の背後で侍女がかすかに頭を下げた。その対面でエリオットが出されたお菓子のひとつを食い入るように見つめている。


「エリオット様?」


 訝しげに問うエヴァンジェリン嬢に、「いや、すまない」と首を振ったあと、目当ての菓子をひとつ摘んだ。


「これは、あのとき屋台で売っていたクッキーと同じものだろうか」

「はい。本日持参してほしいとエヴァンジェリン様に頼まれましてお持ちしました」


 そう、彼が摘み上げているものは、先ほど私が1袋だけ預けたポテトクッキーだった。どうやら開封され、ほかの美麗な菓子と一緒にここまで運ばれてきたようだ。高級菓子店に並ぶような煌びやかな菓子に混じる、男爵領印の無骨なポテトクッキー。原価だけみても10倍以上の差があるんだろうなと思うと、背中を変な汗がつたった。


 エリオットは摘んだそれを口に入れ、ゆっくりと味わうように咀嚼した。


「うん、間違いない、あのときと同じ味だ。母上が気に入って召し上がった、あのクッキーだ」

「母上?」


 思わず問い返すと、エヴァンジェリン嬢がエリオットに目配せした。


「エリオット様、事情をお話しになる前に、やらなければならないことがあるのではないのですか?」

「あ、あぁ」


 促されたエリオットは突然、私に向かって頭を下げた。


「その、精霊祭では失礼な態度をとってしまって申し訳なかった。そなたにも、孤児院の売り子たちにも、迷惑をかけてしまったと思う」

「えぇ!? いや、そんな、どうか頭をおあげください!」


 思いもかけぬ彼からの謝罪に私も珍しく取り乱していた。だって相手は侯爵家の嫡男で、現宰相の息子という天上人だ。そんな身分の人間が一介の男爵令嬢に頭を下げるなんてありえない、とうよりむしろあってはならないことだ。


 この世界にある厳然とした身分差。平民と貴族の間にあるそれだけでなく、貴族間でも明確なラインがある。高位とされるのは伯爵家以上。侯爵や公爵は下々の私たちからすれば王族と変わらないくらいの立ち位置だ。本来ならこうしてお茶を一緒にすることだけでなく、会話すら叶わない。


「あのときのことはもうなんとも思っておりません。まさか貴族の方が屋台にいらっしゃるとは思わず、売り子たちにも対応を覚えさせておりませんでした。こちらの不手際でもあります」


 そもそも貴族は普通買い食いなどしない。孤児院の屋台についてもバザーの方には慈善的な意味も含めて立ち寄る人が毎年多いので、ある程度年長の子を売り子として割り振っておいた。ただクッキーの屋台は平民しか立ち寄らないだろうということでルルのような小さな子どもたちでシフトを組ませていたのだ。そんなところにエリオットがやってきてまさか購入していくとは思ってもみなかった。


「初日に訪れたときに見知った顔を見つけたのだ。あれはアッシュバーン辺境伯家の次男殿だったと思う。もう1年ほど前になるが、王宮で一度会ったことがあってな。確か兄君がカイルハート殿下の側近候補として侍ることになって、家族で王宮に来ていたのだった。ちなみに私も候補に上がっていたのだが、父が現宰相ということで、マクスウェル家だけが厚遇されていると周囲に思われてもよくないだろうと見送られた。それに年も殿下と同じだったからな」


 同い年だとどうしても周囲が2人を比べてしまう。既に優秀と名高いエリオットが側にいれば、カイルハート殿下にとってもエリオットにとってもよくないことになるであろうことは想像できた。


「それで、アッシュバーン家の長男殿が選ばれたわけだが、そのとき一度だけ見かけた次男殿が、売り子が手にしていた菓子を口に入れたのだ。側に供人らしき者たちもいたが皆注意することもなく彼の食べる様を見ていた。そのクッキーがなんとも美味しそうでな。本人も“うまい!”と連呼しながらどんどん食べていて……つい興味が湧いたのだ」


 エリオットの話を私は冷や汗をかきながら聞いていた。あのぉ、そのときのギルフォードは完全にサクラですよ、と言い出す勇気はない。彼にはクッキーがタダで振る舞われているから、屋台の前でできるだけおいしそうに食べてくれ、とだけ伝えていた。お礼にさつまいものパイを焼いてあげると加えたら「クッキーまで食べられて、パイもついてくるのか。もちろんやるぞ!」と俄然乗り気だった。お付きの方たちが何も言わなかったのは、彼らもポテトクッキーに親しんでいたからだ。ちなみにもちろんパトリシア様の了解済みの話である。


 それにしても。エリオットのような大物がクッキーを買っていったなんて、ギルフォードは一言も言わなかった。きっと過去に彼と顔を合わせた記憶など綺麗さっぱり消えていたのだろう。1年前といえば5歳だし、それも仕方ない。


「アッシュバーン家の人間が食べているくらいだから怪しいものではないであろうと思った。それで何気なく購入してみたのだ。お付きの者たちは止めたのだが、次男殿のことを説明したら“それならば”と許可してくれてな。それで持ち帰ったのだ。その、母上に差し上げるために」

「エリオット様のお母様、ですか」

「あぁ。実は母上は長いこと病床にあってな。妹を産んだ後、体調がなかなか戻らず、ベッドに伏せがちになったのだが、ここ最近は起き上がるのもやっとという状態なのだ」

「そんな……」


 マクスウェル侯爵夫人の現状を知り、私は思わず言葉を失った。





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