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嵐が過ぎ去りました

 嵐が過ぎ去ったような静けさが戻ってきた。アニエスとシリウスは運んできた在庫補充をはじめ、ルルも試食の盆を持ってまた通りへと歩み出す。


 そんな中、私はエヴァンジェリン嬢に深く頭を下げた。


「ハイネル公爵令嬢、助けていただいて本当にありがとうございました」

「まぁ、私は特に何もしておりませんわ」

「いいえ、ここにいてくださったことも、たくさん助け舟を出して下さったことも、感謝のしようがありません。正直私ひとりでは応対しきれていませんでした」


 何せ相手は宰相であり現侯爵位にある人の息子。貴族の中でも中枢に近い位置にいる彼に、下っ端の端っこの隅っこの私が意見など、本来ならできるはずもない。エヴァンジェリン嬢の存在がなければ、彼を退場させることはできなかっただろう。


「ダスティン男爵令嬢は……あぁ、なんだかまどろっこしいですわね。アンジェリカ様とお呼びしてもいいかしら」

「え? あ、はい、もちろんでございます」

「では、アンジェリカ様はエリオット様にお会いしたのは初めてですか?」

「はい」

「よく彼のことがおわかりになりましたわね」

「貴族名鑑で絵姿を拝見しておりました」

「なるほど、それで私のこともご存知だったのですね。昨日、ご挨拶申し上げたときになんだか驚かれていたので、どこかでお会いしたかしら、と思っていたのです」

「……えぇ、まぁ」


 まさか2次元のCGで知っていましたとは言えない。それに貴族名鑑と照らし合わせていたのは事実だから嘘ではない。


「エリオット様のことで、ほかにご存知のことは?」

「非常に優秀で神童と名高いと聞いております。未来の宰相になりうる逸材、と」

「あながち間違ってはいないのですけれどね」


 ため息のような艶のある声を漏らして、エヴァンジェリン嬢は話を続けた。


「とても優秀な方であるのは本当です。7歳にしてすでに王立学院の一般試験の問題も難なくこなされたと聞いておりますわ」

「王立学院の一般試験といえば、奨学金をもらって学院に通う平民の方々が受けられる試験ですよね?」


 最難関ともいえる試験、それをあの年ですでに解けるなんてーー。


(……人は見かけによらないものだわね)


 さっきの彼の姿はどこからどう見ても常識のない貴族のボンボンそのものだ。


「そういったわけで優秀は優秀なのですが……」

「いささか常識に欠ける、と」


 つられてつい口の端から溢れた言葉に、エヴァンジェリン嬢が目を丸くした。まさか私も心の声が言葉になったとは言えず、慌てて打ち消した。


「も、申し訳――っ」

「っぷ」


 私のスライディング土下座しそうな勢いの謝罪の前に、エヴァンジェリン嬢は思わず吹き出したかと思うと、声をあげて笑いだした。


「そんなにはっきりおっしゃるなんて……っ、うふふ!」

「いや、あの! 本当に申し訳なくっ」

「いいのよ。それに本当のことですもの。エリオット様は優秀な方ですけれど、いささか常識に欠けるのです。お父様である宰相様のことを尊敬されていて、その跡目を継ぎたいというご意志は強いのですけれど、今日のように、お金の使い方もよくわかっておられませんし、何より平民の暮らしぶりにも理解がありません。そうした点は確かに常識に欠けるのですが……」


 何かを思案するように小首を傾げるエヴァンジェリン嬢。そうした仕草までが絵になるなんて出来すぎている。


「ただ、あんなふうにお付きの方から逃げ出すような真似はさすがになされないと思うのですけれど。侯爵家の嫡男であり、宰相様の息子というお立場は、さすがに弁えておられるはずですわ」

「だからハイネル公爵令嬢は、彼を庇うような発言をされたのですね」


 自分たちがエリオットを発見したのはクッキーの屋台の前だ。だけど彼女は自分とエリオットがしばらく行動を共にしていたと思わせる説明を護衛たちに対してしていた。おや?と思った理由が判明したわけだ。


「……何か事情がおありなのでしょうか」


 私の問いかけに、彼女も小さく肩をすくめる。そういえばさきほど、エリオットらしき人物が昨日もクッキーを買っていたと報告を受けた。私がその事実を彼女に告げると、彼女はますます首を傾げた。


「昨日買ったクッキーが気に入って、また買いにきたということかしら」

「そうだとしても、さすがに全部買い占めるというのはいかがなものでしょう」


 2人してうんうん考えるも、答えが出ない。


「まぁ、これ以上考えても仕方ありませんわね。本当にお騒がせいたしましたわ」

「いいえ、こちらこそでございます。そうですわ、ハイネル公爵令嬢もよろしければおひとついかがですか?」

「まぁ、よろしいのですか?」

「はい、助けていただいたお礼です。孤児院の子どもたちの立場も守られましたし、何よりマクスウェル侯爵令息に買い占められることも免れました。ぜひお持ちください」


 私は年長の少女に断って、クッキーをひとつ手にとり、エヴァンジェリン嬢にあげた。


「ありがとうございます。理由はわかりませんが、エリオット様がお気に召したものですものね。わたくしも味わってみますわ。あぁ、そうですわ。アンジェリカ様、わたくしのこともどうぞ名前でお呼びくださいな」

「そんな……恐れおおいことでございます」


 公爵家と男爵家とでは同じ貴族とはいえ天と地ほどの開きがある。向こうが大臣クラスならこちらは村長レベルだ。おいそれと近づける相手でもなければ、親しく名を呼び合う仲になれるわけでもない。


「あら、わたくしが構わないと言っていますのよ? だから構いませんわ」


 つん、とすましたその言いようは彼女なりの冗談だとわかる。私は観念したように苦笑しながら、答えた。


「承知いたしました。どうぞよろしくお願いいたします、エヴァンジェリン様」


 身分を嵩にきて平民あがりの男爵令嬢をいじめぬく、稀代の悪役令嬢。だけど今にっこりと微笑んでクッキーを受け取る彼女のどこにも、その片鱗を見出すことはできなかった。







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