ピアノも頑張らざるをえません
*ダンスの種類を変更しました
精霊祭での発表会準備の傍ら、ウォーレス教授宅でのピアノレッスンも当然ながら続けていた。
「メヌエットはだいぶ形になってきたな。問題はダンス曲か」
初めてお会いしたときよりは幾分読めるようになってきたウォーレス教授の表情。楽譜を見つめる目は厳しいが、その口調には淡々としながらも深く思案するものが含まれている。
「転調のところが難しくて……」
私は今シリウスとの連弾の曲の練習に集中していた。実は精霊祭の発表会で彼との連弾を披露することになったのだ。
その計画が浮上したとき、まったくもって気が進まなかった私は盛大に拒否をした。ステージイベントではシリウスの“里親”、つまりパトロンを集めることになっている。そのためには彼が聴衆を惹きつける素晴らしい演奏を披露しなくてはならない。もちろん心配はまったくしていないのだが、当の本人にこの計画を話すと、彼は「アンジェリカ様と一緒に演奏したい」とのたまった。
「いやいやいやいや、私と一緒に演奏したらダメでしょう!? あなたの素晴らしい演奏が台無しになるだけだから!」
私のせいでシリウスの演奏がつまらないもののように聴こえてしまい、里親がひとりもつかなかったら、なんのために計画を立てたのかわからなくなる。そう力説するものの、意外と頑固な彼は頑として首を振らず、いろいろ交渉した後の折衷案として、「個人演奏もするが連弾もする」というところに落ち着いた。
いやね、私としても自分がステージに立つことはまぁ覚悟はしていたよ。なにせ言い出しっぺだし、ステージイベントの出演者はできるだけ増やしたい。だからつたない演奏を披露することはもうしょうがないと腹をくくっていたものの、まさか天才少年シリウスの隣に座って演奏することになるとは想像もしていなかったし、できることならやりたくない。
(でも、肝心の本人が「連弾できないなら出演しない」って言い張るから……)
なぜそんなに彼が連弾にこだわるのかわからないが、やることになってしまった以上、私にできることはできるだけ彼の足を引っ張らない演奏をするのみだ。
そのために教授にも、個人曲はおやすみして連弾を中心に見てもらっているのだが——。
ナタリーとエメリアが紹介してくれたダンス曲は、メロディは一定なのだがテンポが軽快で、かつ転調をいくつか含むため、そこそこ難儀していた。難しい和音パートはシリウスが担当してくれるので、私はメロディパートだ。軽快なメロディが特徴でもあるから、私が失敗すると曲そのものの世界観が壊れてしまう。
「テンポをおとしてやってみるかね?」
「シリウスともそれで練習はしているのですが……じつは、ある計画が持ち上がっていまして」
それはお茶会から帰ってきたパトリシア様からいただいた提案だった。
「子どもたちのダンス、ですか?」
「そうなの」
それは、さる伯爵家の夫人から出た案らしい。パトリシア様はその日も発表会の出演者を集めようと、出向いたお茶会で貴族の奥方様に宣伝をしてくださっていた。娘が楽器を習っているという貴族が何人かいて、イベント参加に興味を持ってくださったそうなのだが、とある伯爵夫人が「いいわねぇ」と羨ましげな声をあげた。
「うちは男の子だけで、楽器なんて縁のない生活を送っているから。お嬢さんがいらっしゃる皆様が羨ましいわ」
男の子でも楽器を習っている貴族はいることにはいるが、女の子ほどではない。そのためステージイベント参加者も今のところ女の子が多めだ。
「あら、奥様のところの坊ちゃん方は、ほかに習い事はさせていませんの?」
「あまり器用な子たちではなくて。最低限のマナーは身につけてほしいので、ダンスは習わせていますのよ」
「ダンスですか。そうですよね、大人になってから必要ですものね。今からさせておくのは大事なことですわ」
「とはいえまだ大人のステップは難しいので。子ども用の円舞が中心ですのよ」
「あら、円舞! 円になって、相手を交換しながら踊るものですわよね」
「いいですわね。地方のお祭りなどでは大人でも踊ることがあると聞いておりますけれど」
「子どもたちが円になって踊る様はきっとかわいらしいでしょうね」
「そうだわ! 精霊祭に貴族の子女が多く参加するなら、円舞を踊る機会があっても面白いのではなくて?」
「まぁ、それは素敵ですわね。ダンスならどの子も参加できますわ」
奥様方の間で盛り上がった「子どもたちのダンス」企画について、パトリシア様は検討してみると返事をした。
「というわけなの。ちょうどアンジェリカちゃんが練習している連弾のダンス曲、円舞を踊るにもぴったりでしょう? だからこの際、ピアノ演奏に合わせて、貴族の子どもたちに踊ってもらったらいいんじゃないかしらと思って」
そうすれば参加者は一気に増えるし、子ども見たさに大勢の貴族が押しかけることにもなる、とパトリシア様は力説した。私も案としては素晴らしいと思った。思ったのだが……。
「それって、私のピアノが絶対必要ってことですよね……」
しかも苦手なダンス曲。なかなか上達しない自分の腕の呪わしさと、舞台を大盛況に導ける名案とを天秤にかけて、悩みはますます深まるばかりだった。
——という話を聞いた教授は、しばし沈黙をした。心なしその瞳に哀れみの色が浮かんでいるような気もする。
「まぁ、それじゃ、なんだ。練習するしかないな」
「……はい」
そうして私はため息をつきつつも、ダンス曲の練習を再開した。
帰り際、いつものように見送りに立ってくれた教授と教授夫人に、私はおずおずとお誘いをかけた。
「あの、私のピアノはまだまだなんですが、一緒に演奏するシリウスという少年の演奏はそれは見事なので、もしお時間があれば聴きにきてくださると嬉しいです」
「まぁ……! 私たちが行ってもかまわないの?」
「はい、もちろんです。貴族席はチケット制ですが、誰でも入れる発表会ですので」
「嬉しいわ、ねぇ、あなた」
「……」
教授は無言だったが、その目は忙しく瞬きを繰り返していた。その掴みにくい表情の変化をわかるくらいには、私もすでに教授のことを慕っていた。
「一生懸命練習します。だからぜひいらしてください、おじいさま、おばあさま」
「アンジェリカ……! 今、おばあさまって」
教授夫人が感極まったように口元を手で覆った。隣で継母もふわりと笑っている。
そしてウォーレス教授は忙しく繰り返していた瞬きを止め瞠目した後、さっと目を逸らした。その横顔がうっすら赤くなっているのを見て、自分の言葉のセレクトが正しかったことを理解した。
継母に「いつかは彼らのことを“おじいさま、おばあさま”と呼んであげて欲しい」と言われていた。
だが私の中に遠慮する気持ちが芽生え、なかなか踏み出せずにいた。
でもここに何度も通ってくる中で、教授や教授夫人が赤の他人である自分にどれほど愛情を注いでくれているかを感じとることができた。それに対して私が返せるものは驚くほど少ない。
正直こんな言葉だけでは彼らからいただいたものには釣り合わないと思っている。だから今できることに精一杯取り組んで、彼らに恩返ししていこうと、帰りの馬車に揺られながら強く思った。




