貴族についてのお勉強です1
男爵家の父の書斎の隣は小さな図書室になっている。
広さは8畳ほど。二方の壁に本棚が据えられ、本が詰まっており、もう片方は庭に面した窓だ。窓側に向かって読書机と椅子、真ん中には一人がけのソファがある。量としては決して多くはないが、家に図書室があるだけでもすごいことらしい。
本棚をぐるりと見渡し、私は目当ての物を見つけた。幸いにしてこの国の文字は読める。非常に分厚いそれは私の身体にはかなりな大きさだったが、目の高さにあり取り出すことができた。
硬い茶色の表紙に描かれた文字は「貴族名鑑」。表紙をめくると2年前の日付が押されている。少し古いが大丈夫だろう。
机にそれを運んで椅子に腰掛け、ページをめくった。貴族名鑑は文字どおりセレスティア王国の貴族の名やその一族の情報が網羅されている書籍だ。
めくったトップページに掲載されているのはセレスティア王家。現国王ヘンドリック3世の肖像とともにヴィオレッタ王妃と一人息子・カイルハート王子が紹介されている。
「これが王子……」
市井にいたアンジェリカでもその名前くらいは知っていたが、姿絵を見たのは初めてだ。いや、初めてとは言えない。前世で妹がビデオ通話画面で共有してくれたあのイラストの中心に、この人物はいた。
「やっぱり……」
「私の推しはカイル様よ!」と嬉々としてスチルとかいう絵をこれでもかと送りつけてきた妹のデレデレした顔が浮かぶ。
黄金色に輝く髪にエメラルドグリーンの瞳、幼な顔ながらも愛くるしさと凛々しさが備わっている人物こそ、ヒロイン・アンジェリカの攻略対象のひとり、カイルハート王子。年齢は4歳となっている。2年前の書物だから現在は6歳、アンジェリカのひとつ上だ。ここでの肩書きは「王子」。だが妹の話では「王太子」となっていた気がする。大きくなって王太子に選出された、ということなのか。
そのままページをめくれば、次に出てきたのはハイネル公爵家。現王家とも縁の深い名門貴族だ。当主はソラス、妻はエルシア。その間に一人娘としてエヴァンジェリンという名があった。
「この子、たしか”悪役令嬢”って言われてなかったっけ?」
3歳という年齢ながら完全に出来上がっているフランス人形のような少女。銀の髪に紫の瞳という珍しい色彩を持つ少女が、凛とした表情でたたずんでいる。エヴァンジェリン・ハイネル。「エババァ」と憎々しげに呼ぶ妹の声が聞こえてきた気がした。なんでも彼女はカイルハート王子の婚約者候補筆頭で、ヒロインと彼が愛を育んでいく様子に嫉妬し数々の嫌がらせをしてくるのだとか。さらにカイルハート以外の男性とヒロインが仲良くなるのも徹底的に阻止すべく、あの手この手を繰り出してくるあrしい。
息をつきながらさらにページをめくれば、次はマクスウェル侯爵家。当主のミーシャはセレスティア王国の宰相様だ。5歳のアンジェリカの記憶にまであるほど有能で名の知れた宰相だ。マクスウェル侯爵家は血筋の尊さもさることながら、代々の当主の多くが宰相職を務めてきた名実ともに名門一族だ。
「たしか、宰相の息子っていうのもいたはず……」
当主ミーシャの隣に紹介されているのは妻のノーラ、そして二人の間に息子のエリオットと娘のステファニーがいた。エリオットの年齢は王子と同じだ。父親譲りの黒っぽい髪に冷たげなアイスブルーの瞳。理知的な表情が印象的な姿もまた見覚えがあるものだった。この少年がエリオット・マクスウェル。アンジェリカの攻略対象のひとりだ。ステファニーの年齢は0歳とあり、さすがに姿絵はない。
その他のキャラクター、確か騎士だったり商家の息子だったりといった名前もあがっていた気がするが、残念ながらそれらの名前までは覚えていない。名鑑をめくっても騎士なんて掃いて捨てるほどいるし、そもそも貴族でなくともなれる職業だ。商家の息子などは名鑑に載っていない。
「顔を見れば思い出せると思うんだけどなぁ」
ぱらぱらと名鑑をめくっていくが、絵が載っているのは上位の貴族のみで、伯爵位以下は名前と家系図のみの紹介しかされていない。
それ以上有益な情報はないと思われ、ページを閉じたそのときだった。
「おまえっ、いったい何をしているの!?」
突然背後から手が伸びて椅子から引き摺り下ろされた。驚いて振り返ればルビィが鬼の形相でこちらを見ていた。その醜悪な表情と突然怒鳴りつけられたことへの驚きに一瞬声を無くした私は、ただ彼女を見上げるのみだった。
「勝手にこんなところに入り込んで……!」
彼女は机の上の本に気づき、それを取り上げた。
「貴族名鑑……? なんだってこんなものを。いずれにせよおまえごときが手にしていいものではないわ! この屋敷の何一つ、おまえには相応しくないのよっ」
罵声を浴びせられながらも、私はだんだんと冷静になっていた。そう、この人は実母と私を憎んでいる。自分が敬愛する女主人の血でなく、憎い女の血筋に家柄を奪われるのが気に入らないのだろう。
(血なんて……死んでしまえば何もかわらないのに)
血そのものが何かしらの力を持っているわけでもない。それが人を生かすわけでも、殺すわけでもない。そんなもののために躍起になるこの世界の貴族というものは滑稽だ。
滑稽だが……私もその一員だ。
私は意思を込めた目でルビィを見た。
「なっ! なんなの、その目は!?」
5歳児に睨めつけられたことが気に入らなかったのだろう。もしくは、5歳児に視線で反論されるとは思わなかったのか。それだけ発した彼女はそのまま言葉を無くした。
「ルビィ、どうしたの?」
私たちの睨み合いを終わらせたのは、図書室に入ってきた継母の明るい声だった。
「何か怒っているような声がしたけれど……あら、アンジェリカもここにいたのね」
「奥様! これは……っ、その、この者……お嬢様が勝手に旦那様の書斎に入って、悪さをしようとしていたのです」
”お嬢様”という単語を発するのも憎々しいと言わんばかりの態度。まるで印籠をかざすかのように、私から取り上げた貴族名鑑を見せつける。
本を見せられた継母は「あら」と声をあげた。
「悪さってなあに? 貴族名鑑? アンジェリカ、まさかこれを読んでいたの? あなたが?」
「奥様、5歳の子どもにこのような本が読めるはずはありませんでしょう。いたずらの道具にしようとしていたのですよ。それか、盗むつもりだったのかも」
「盗む? これを? こんなもの盗んでどうするの」
「……っ、それは!」
ルビィはそう主張したが、いたずらも何もアンジェリカはただ読書をしていただけだ。それに貴族名鑑は希少本というわけでもない。売り飛ばしたところでたいした金額にもならないし、そもそも5歳児が盗んだものをどうこうできるはずもない。ルビィの言い分には明らかに無理があった。
「おかあさま、私、おとうさまとおかあさまのことが載っているんじゃないかと思って、見ていました」
当然ながらルビィを庇うつもりはさらさらない。本当は攻略対象のことを知りたかったのだが、しれっと嘘をついた。
「まぁ、そうなの? アンジェリカは勉強熱心ね。それで、ちゃんと見つけられた?」
「いえ、読もうとしたらルビィに止められました」
「じゃぁ一緒に見てみましょうか。いらっしゃい」
「はい、おかあさま」
そうして継母はルビィから本を取り返し、再び机の上に開いた。




