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継母の実家にお邪魔します3

 私としては最大限の礼儀をつくして挨拶をしたあと。


「もう1度、5ページの3小節目からやってみなさい。クレッシェンドを意識して」

「……はい」


 なぜかこの私がウォーレス教授にピアノを教わるという、とんでも事態が発生しております。なぜにこうなった。


 スタートはごく普通の家族の再会と団欒だったはずだ。玄関から応接室に通され、住み込みのメイドさんが用意してくれたお茶をいただき、離れていた間に起きたことに関して意見交換がなされた後、当然のごとく話題は私のことになった。そこまではいい。私も想定していたから。


 話題の中心は私だが、話し手の中心は継母と教授夫人だ。父は社交的ではあるが、今日は妻にすべてを委ねているのか、ときおり相槌を挟むか付け足す程度でのんびりお茶を飲んでいる。


 対して教授はきっちりまとめた白髪に一分の隙もないのと同じ態度で、静かに優雅な手つきでお茶に口をつけている。その表情は固く、一切の発言もない。父や継母が訝しく思わずごく普通に寛いでいるところを見ると、たぶんこれがいつもの教授の様子なのだろう。


 ちらちら見るのも失礼かと思い、私はおとなしく座ったまま、教授夫人からときおり投げかけられる質問に子どもらしくかわいく行儀良くお答えしていた。教授夫人の態度には私を蔑むようなものは一切見られない。心の奥底はわからないとしても、6歳の子どもの目の前であれこれ(あげつら)うほど非常識な人ではないということだ。問題は教授の方。玄関で継母を出迎える一言を発した以降、ほとんど発言をしていない。父の行動についてどう思っているのか、私の存在に対してどう思っているのか、まったく読めない。


 その真意が気になるといえば気になるが、もしこのまま何も発言することなく終わればそれもそれでありかと思いはじめていた。とにかく継母が悲しむような事態さえ避けられれば、私は別に好かれなくてもいいと思っていたから。


 状況が変わったのは、継母が私の習い事に関して口にしたときだ。


「そうそう、手紙でも知らせたけれど、アンジェリカには私がピアノを教えているの。なかなか筋がいいのよ」


 小さい頃から父親にピアノを習っていた継母は、一般的な曲であれば今でも譜面なしで弾きこなせる。そんな彼女からピアノを習い始めて約半年。ピアノ自体は好きだけど、うまいか下手かというと……はっきりいってどっちでもない。ごく普通。平均的。それ以上でも以下でもない。


 なぜそう思うかというと、前世で音大に進んだ友人がいて、彼女の出演したコンクールを聞きに行ったことがあるからだ。下は幼稚園から上は高校生までが出場していて、「これで幼稚園児!?」と思う子どもの演奏をたくさん聞いたことがあった。だから継母のこのセリフは間違いなく親の欲目だ。


 ピアノの先生として芸術院の教授にまで上り詰めた人の前でなんてことを……と、背中に汗をかいた私は、ごまかすようにお茶菓子に手を伸ばした。そのとき、誰とも視線を合わせずに静かに佇んでいた教授とばっちり目があった。


「今、どのあたりをやっているのかね」


 ときおり動く彫像のような存在だった教授の重い言葉が、私への問いかけだとわかるのに少し時間がかかった。


「は、はい。“子どものための練習曲”の2冊目です」


 菓子をとろうとした手をひっこめて膝に置き直し、ぴん、と背筋を伸ばした。教授は継母と同じ色の瞳で私をまっすぐ見ていた。同じ色なのに、張り詰めたような眼差しは何かを深く追求しているようで、ぴりりとした緊張感さえ孕んでいた。


「……私が見てやろう」

「え?」

「ついてきなさい」


 教授は右側に置いてあった杖を持ち、おもむろに立ち上がった。


「お父様? 突然どうされたのですか」

「ピアノを見てやろうと思ったんだ」

「え、でも、その……ありがたいお話ですけど、いきなりだとアンジェリカが……」

「まぁまぁまぁまぁなんて素敵! ぜひ見てもらうといいわ。この人は子どもに教えるのも上手なのよ」


 突然の教授の行動にさすがの継母が止めようとしたが、それを明るい声で遮ったのは教授夫人だった。驚いたように手を打ち、立ち上がった夫を支えるようにして自身も席を立つ。


「あなた、私も一緒に行った方がよろしくて?」

「かまわない、君はここでカトレアとバーナード殿の相手をしてやってくれ」

「わかりました」


 いや、構うよ、ぜひ構ってほしい! この流れで行けば私、この人と2人きりになってしまう! この寡黙な老紳士といったい何を話せというのか。


 驚く私を他所に、教授夫人は「いってらっしゃい」とにこやかに私たちを送り出す。継母も父も、教授が暗にここに残るよう指示したから、私についてくることはできない。


「サロンにピアノがある。こっちだ」


 こうして私はドナドナされる気持ちで、杖をつく教授の後ろについていくことになった。







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