村の人に責められる僕
0402/08:00/母さん/矢吹家
ジュン姉とお別れした後、僕は放心していた。
ジュン姉の姿が見えなくなっても、お向かいのおばさんが外に出てきて「おはよう龍一君」と声をかけられても、ずっとずっと、僕はジュン姉が消えていった方向を見つめつづけていた。
やがて、喪服に着替えた母さんがやってきて、僕を家の中に引きずり戻す。
「ちょっと龍一! あんた、しっかりしなさい!」
「母さん……」
玄関から入ってすぐのところで、僕は母さんに強く肩を掴まれる。
「あんたがそんなでどうするの! 今のあんた、純ちゃんが見たら悲しむよ!」
「母さん。ジュン姉は……ジュン姉はもう神様のとこに行っちゃったんだよ。だから、もう、僕のことなんて……関係ないんだ。もう、戻ってこないんだから」
目からは、また涙があふれ出していた。
どうにもできなかった自分にひどくイラつく。
「もう、僕がどうなったって……ジュン姉には……」
「龍一。だからって、そんな風に言わないで。とにかく……母さんはこれから『式』に行ってくるから。あんたも早く用意しなさい」
「え? 式?」
「そう。シゲ婆さんの葬儀と、純ちゃんの結婚式……それが合同で行われる『神嫁交代式』というのが行われるのよ。学校は……昨日から始まってるけど、今日は休みなさい。村の行事が最優先よ」
「…………」
なんだ、それ。
そんな「式」があるなんて、初めて聞いた。
ああ、そうか。前の「式」が行われたのはもう何十年も前のことなんだ。それはまだシゲ婆さんが若かった頃の話……。
「それ、僕も行かなきゃダメ?」
そう言うと、母さんは目を丸くした。
「あんた、まさか行かないつもり!?」
「行きたくない」
「気持ちは、わかるけど……。でも一生に一度よ、こんな、私たちにとっても純ちゃんにとっても……」
「僕は! ジュン姉がどんなことするのかとか、一生に一度とか……そんなの、知ったことじゃないよ。そもそもそういうのも知りたくもないし! 母さんだけ勝手に……行ってきなよ!」
僕は靴を乱暴に脱ぎ棄てると、そのまま二階に行った。
扉を閉め、そのままベッドに倒れ込む。耳元でどくんどくんと心臓の音がしていた。うるさい。頭を抱えるがそれでも動悸は止まらず、僕は枕に顔をうずめた。
「ああっ、うるさいっ……うるさーーーいっ!」
叫んで、それで気持ちを静めようとしたけど、逆にどんどん反対の状態になった。
もう涙で顔がぐしゃぐしゃだった。
枕元のティッシュを数枚取って、ぬぐう。鼻もかむ。すると、ふいに意識を失った。一瞬。徹夜した疲れが、一気にきて――。
「…………」
男の人の怒鳴り声が、聞こえた。
女の人の叫ぶ声も、聞こえる。
ああきっと、僕は神様の怒りを買ってしまったんだ。
コワガミサマのお嫁さんに横恋慕する……かたちになってしまったから。僕の方が最初に好きになったってのに。どうして神様に横取りされなきゃならないんだ。あっちの方が上……それはわかってる。だからってバカにしている。僕や、ジュン姉の気持ちなんかこれっぽっちも……。
いや。ジュン姉の気持ちなんて、僕にもわからない。
僕が一方的に好きだっただけで。
ジュン姉は、僕を可愛い弟とか、仲良い幼馴染くらいにしか思ってなかったのかもしれない。ジュン姉は、本当は神様と結婚する方が幸せ……。
でも。
少なくともジュン姉は、最後、寂しそうに笑っていた。それは、僕にはとても辛そうに見えた。
それだけはたしかなことだったから。
それだけが、とても心配だった。
ああ、男の人の怒鳴り声が聞こえる。
女の人の叫ぶ声も聞こえる。
あの声は……母さん?
「はっ、母さん!?」
僕はあわてて起き上がった。
およそ三十分くらいだろうか。僕が気絶していたのは。枕元の時計はその分、きっちり針を進ませていた。
「いい加減にしてください!」
やっぱり。階下から母さんの声が聞こえる。
夢じゃなかった。僕はそっと部屋から出て、階段に近寄った。どうやら誰かお客さんが来ているらしい。
「矢吹さん、半世紀ぶりの『式』なんですよ。だから失敗があっちゃ困るんです」
男の声。
知らない声だった。少なくとも聞き慣れた近所の人ではない。玄関のあたりからそれは聞こえてくる。
「そう言われましても、あの子たちの間での話です。それを、わたしに言われても困ります!」
母さんが毅然と言い返している。
いったい何人の人が来ているのだろうか。危うくなりそうなら僕も出て行かないといけない。
「矢吹さん……いや、龍一君のお母さん。息子さんに言ってやってくれませんか。君のせいで『禊の儀式』が滞っているのだと、ね……」
禊の、儀式?
なんのことだ。ジュン姉の、話だろうか。
「できたら今から説得要員として、神社に来てほしいんですが?」
「説得要員、ですって? 本当いい加減にしてください! 何でウチの龍一が……」
「奥さん、いい加減にしてほしいっていうのはね、こっちの言い分なんですよ。お宅の息子さんがお守りなんぞを渡さなければ、今頃すんなり式が始まってたんです。ああ……本当、面倒くさいことになった。身一つで禊をしなきゃいけないのに! ずーっと手放さないなんて。本当、いったいどうしてくれるんですか」
ジュン姉……。
ジュン姉……?
あれ、いらなくなったら捨ててって、言ったのに。どうして……ジュン姉……。
「本来ならもう、会うことすら禁止されてるんですがね、でも発端となった龍一君が来たらどうにかできるかもって思って、こうしてわざわざやって来たんですよ。これはいわば特例ですよ、特例。もう一度まともに対面できるなら龍一君だって……嬉しいと思うんですけどね」
いやらしい言い方だ。
そんなこと、今の僕にはなんのメリットもない。いまさらジュン姉に会えたところで、どうにもならないことは判り切っている。会いたいだなんてことも、もう全然思ってないのに。
「そっちの事情なんて知りません。龍一は……龍一は今、ショックでふさぎ込んでいるんですよ。お隣のお嬢さんとは小さい時から仲よくさせてもらっていて……それを、こんな風に。さらに傷を広げるようなことを、あなた方はするって言うんですか!?」
母さんが、必死に叫んでいた。
あれは……絶対に僕のため、だ。僕のことを気遣って、ああして言ってくれている。僕はじんわりと、心の一部が回復していくのを感じていた。
けれど、それを打ち砕くような声があたりに響き渡る。
「矢吹さん……もうそういう段階の話じゃないんですよ。村の存亡がかかっているんです! 今日中に『式』を進められなかったらどうなるか……あなた、分かってるんですか!?」
「それは……。わたしだって村が大事ですよ? でも、息子はもっと大事なんです! そんなに言うなら無理やり取り上げるとかすればいいじゃないですか!?」
「矢吹さん……もう今日から神様のお嫁さんになる方に、そんな乱暴なんかできないんです。いいから息子さんを早く出してください。できないなら……強行するまでだ。龍一君! いるんだろ? 龍一君!」
「ちょっ……や、やめてください!」
ドカドカと人が上がり込んでくる音がする。そして、それを阻もうとする母さんの声。
僕は……それらを止めるために階段を駆け下りた。
「おい、勝手に入るな! 僕ならここだ!」
「龍一君……」
下には、黒いスーツを着た男が五人くらいいた。
母さんと話していたであろう、代表の男がニンマリと笑って僕に言う。
「一緒に、来てくれるかな? 君と仲が良かった隣の家のお姉さんを、ちょいと説得してほしいんだ」
「……行きません」
「何っ?」
「僕は行きません。というか行きたくありません。母さんもさっき言ってたでしょう。お守りの件は……僕とジュン姉の間で、もう完結してることなんですよ。いらなくなったらいつでも捨てていいとも言ってあります。だから、その後はもうジュン姉に任せてます。僕は……何もしません。どうしたって、何も変わる事なんてないんだから」
「龍一君……。そうか……。じゃあ、君がそう言っていたと彼女に伝えるよ。それでもいいかな?」
本当にいやらしい言い方だ。
この人は、きっとずっとこうしてきた人なんだろう。
それでも、僕はこくりとうなづいた。
「ええ、もうどう言ったっていいです。ジュン姉は……ちゃんと、僕の言った意味、わかってるはずなので」
「……わかった。では、失礼いたします。式でまた」
代表者らしき男の人は頷くと、母さんにそう言い残して帰っていった。
ぞろぞろと他の男の人たちも出ていく。
「龍一、ごめんね……」
「母さん」
全ての人がいなくなった後、母さんは涙ぐみながら僕を抱きしめてきた。
僕はされるがままになる。
「僕、行かないよ。式ってやつ。母さんだけで行ってきて」
「本当に、いいの? 純ちゃんのこと……その、見なくて」
「うん。家にいる」
「そう……」
母さんは体をゆっくり離すと、力なく微笑んだ。
「じゃあ、家でゆっくりしていなさいね、龍一……」
「うん」
「あなたの分も、きちんと見てくるわ」
「うん、母さん……」
その日、僕は学校にも行かず、家でずっと「眠っていた」。
これが夢ならいいのにと、そう思い込みながらずっとずっと目を閉じていた。
でもいくら意識を手放しても、現実は夢にはならなかった。
起きても目の前に悲劇が転がっているだけだった。お腹が空いてようやく起きあがった時、僕は外の景色が夕闇に染まっているのを見た。
いい加減、何か食べようと一階に下りる。
そして、キッチンの冷蔵庫前に立った時、急に昨日のことがありありと蘇ってきた。
「ジュン姉……ジュン、姉……!?」
思い出して、また涙が出てきてしまう。
楽しくおしゃべりしていたこと。一緒にご飯を食べたこと。TVゲームをしたこと。もう二度とできないことばかりが、頭に浮かんでくる。
そして数十分後――。
母さんが帰ってきた。そして、僕は「式」が無事に終わったことを聞かされたのだった。