ルートC 純の場合
0404/10:00/リュー君・コワガミサマ/境雲神社
真っ暗だ。
ここは真っ暗で、誰もいない。
リュー君? リュー君どこ? 怖いよ……。
気が付くと、わたしは境雲神社の奥の間にいた。
雨戸の閉め切られた和室。
天窓からの光だけが、わたしが座っている布団を照らしていた。
とても見慣れた場所。
「ここは……。わたし、どうして……」
リュー君の連れてきた男の人が変な行動をしてから、わたしは突然、真っ暗な世界に放り込まれてしまった。
リュー君も誰もいなくて、心細い思いをしていた。……はずだったのに。
いつの間にここへ?
混乱しながら立ち上がると、すぐ目の前に透明な男の人が立っていた。
コワガミサマだ。
コワガミサマは幾本もの透明な触手を動かしながらわたしに近づいてくる。
「こ、コワガミサマ! あの、わたしたち、いったいどうして……。あ、リュー君は? リュー君はどこですか!?」
【矢吹龍一……か。奴は今、救護所にて軟禁しておる】
「救護所?」
【昨夜のことを、覚えておらんのか】
「え? あ、はい……」
【小僧に儀式を妨害された。なんということだ……。あんな狼藉は久しぶりにされた。掟通り、我は奴に、昨夜の記憶を消す天罰を与えた】
「え? あの、ちょっと待ってください。初めての……? 今、そう言いましたか?」
【ああ。そうだが、何を……】
「まさか。今日って、今日ってあの……何月何日ですか? 教えてください!!」
わたしは、何かに急かされるようにコワガミサマに駆け寄った。
この体では触れられないけど、わたしは神様にすがりつきたい思いで足元にしゃがみこんだ。
【今日はいつ、か。ふむ、お前にまで天罰を与えた覚えはないのだがな。……四月四日だ】
「四月、四日……!?」
わたしは急に、めまいを覚えた。
でも、どうにか倒れないようにして、気を取り直す。
「そんな……。過去に戻ってる……だなんて」
さっきまで、海開きの日、七月二十三日の夜だった。
それなのに今は、四月四日に戻っている。しかも、これはリュー君に初めて儀式を見られた翌日だった。
【過去? お前はさっきから何を言っている? どうも昨夜の儀式を中断された影響ではないようだが……】
コワガミサマが珍しく困惑している。
コワガミサマは……覚えてはいないようだ。未来から過去に戻ってきたことに気付いていない。
というか、これはわたしだけが戻っているのかもしれない。では、リュー君は? リュー君もわたしと同じようにここに戻ってきて、どこか別の場所で同じように戸惑っていたりするのだろうか。
わたしはハッとして顔をあげた。
「あ、あの、コワガミサマ! このあとリュー君を……地下牢に幽閉するんですよね?」
【ああ、そのような手筈になっているはずだな。我は関知せぬが】
「だったら、今すぐ、その地下牢にリュー君を閉じ込めてください。早く」
【は? 何を……】
「もうすぐ、リュー君は目覚めてしまうんです。そうしたら、ここから逃げ出して……ゆくゆくはわたしたちを……村を、めちゃめちゃにしてしまうんです。だから、早く、急いでください!」
【日向純、お前はいったい……?】
わたしは簡単に今まで起こったことをコワガミサマに話した。
コワガミサマはどうしても驚きを禁じ得ないようだった。
【それは……予知、なのか。そのような力が備わった嫁は今までいなかったが……】
「予知じゃ、ありません! たしかにわたしはこの過去に戻ってきたんです。リュー君は、きっとわたしを救おうとして……それで、あんなことを……」
【ふむ。妙な現象だ。その異な術を使う男も気になるが……お前は、もともとは我の元から逃げ出そうとしていた娘。それなのに、なぜだ。なぜ急に今、逆をしようとする】
「え……?」
コワガミサマにそう訊かれて、わたしは思い出した。
たしかに、初めての夜。
わたしは全力で抵抗した。コワガミサマと交わることも、ミツメウオを産むこともどれも嫌だった。だけど……。
「わたしは……お父さんもお母さんも、大事だから。リュー君も、とても大事だけれど、でもわたしは、すべての人を救いたいから。だからリュー君とは違うの」
【……そうか】
「うん。だから、早くしないと」
わたしは立ち上がってタコのお面をかぶると、救護所へと向かった。
救護所の前には園田さんがいた。軽くあいさつをしてから、部屋の障子に手をかける。
からっと開けると、中にはまだ眠っているリュー君と、宮内あやめさんがいた。
宮内さんはわたしを鋭い眼で見つめてくる。
「あなた……なぜここに?」
「すみません。でも、リュー君が起きる前に来たかったんです。起きたら、リュー君は逃げ出してしまうから」
「……?」
「まだ、地下牢には連れて行けないんですか?」
「あなた……。この男の幼馴染なんでしょう? なのに、どうして」
信じられないといった表情で宮内さんはわたしを見てくる。
「幼馴染、だから……ですかね。『間違い』が起こる前にわたしがそれを防いであげたいって思ったんです。リュー君の一番したいことはできなくなっちゃうかもしれないけど……でも、みんなにとっては、リュー君の望む未来にならないほうが幸せになるから……」
「???」
わけがわからないといった表情で、宮内さんは外にいる園田さんに目くばせする。
「お嬢様。あともう少しで地下牢の清掃が終わります。終わり次第、彼をそこへ移送しましょう。コワガミサマのお嫁さんも、幸い同意してくれているようですし。好都合です」
「え、ええ。そう、ね……」
わたしたちはしばらくリュー君の意識が戻るまで、傍らで静かに待っていた。
「……ん」
やがて、リュー君が目覚める。
わたしは枕元に近づき、リュー君の顔を覗きこんだ。
「おはよう。リュー君」
「え? じゅ、ジュン姉……?」
驚いた顔でわたしを見上げているリュー君。
「ねえ、リュー君」
「な、なに、ジュン姉」
「さっそくだけど、今日って何日だと思う?」
「え?」
「四月四日。ね、リュー君この日付、どう思う?」
「え? どうって……別に」
別に。
そっか。
「リュー君。リュー君はさ。いまリュー君じゃ、ないんだね?」
「へ? ジュン姉……何、言ってるんだ。てか、ここドコ?」
「ここは……境雲神社の救護所だよ。掟を破って天罰を与えられた人が安置される場所。そっか……リュー君は、違ったんだ」
すごく、残念だった。
未来のリュー君は、わたしと一緒にこの過去には戻って来なかった。「来れなかった」じゃなくて、「来なかった」。きっとリュー君とわたしは違う願いを持っていたから。だから、離れ離れに……なっちゃったんだ。
「違ったって、え? どういうこと?」
「ううん。なんでもない、こっちの話。ねえ、昨夜のこと思い出せる? リュー君」
「え? ええと……夜に家を抜け出してから……あれ?」
リュー君はしばらく考えた後に首を振った。
「いや。よく、思い出せなくなってる。なんでだろう……」
「それはね、リュー君がコワガミサマから天罰を与えられて、昨夜の記憶が全部消されてしまってるからだよ」
「え?」
「それは、まあ置いといて。あのねリュー君。リュー君が……わたしを、日常を取り戻したいって気持ちはよーーーーーくわかった。その気持ちはとっても、よくわかったよ。でもね、わたしは……やっぱり、そうじゃない。このコワガミサマのお役目を果たしていくことが、わたしの望み、なの」
「え? ジュン姉、何を言って……」
リュー君の顔が、みるみる絶望色に染まっていく。
わたしはそれを見ながら、心が痛んだ。でも、それ以上にこれ以上ない「悦び」を感じる。
ああ、もうこれで、リュー君と離れ離れにならない!
誰も嫌な思いをしない。これが、これこそが、わたしとリュー君の着地点。
リュー君は、わたしとずっとゲームをしていられれば、それで良い。
そう、だから、これで……いいんだよね?
「園田さん、そろそろ終わるそうです」
「わかった」
部屋の外で、園田さんが別の男の人に声をかけられている。
園田さんは宮内さんに視線を送ると……さらにわたしを見た。
「お嬢様、コワガミサマのお嫁さん。地下牢の清掃が、終わったようです」
「そう」
「わかりました。じゃあ、そこに行こっか! リュー君」
笑顔でそう言うと、リュー君は戸惑ったように首を振った。
「え? ち、地下……? え? やだ。何……それ。ジュン姉!?」
「えっと……わたしもそこはじめて行くから、どんな風になっているかはよくわからないんだけどね、たぶん大丈夫、だと思う! ねえ、コワガミサマ。そこ、すごく快適になるようにお願いしてもいい? わたし、なんでもするからさ」
【承知した。お前の望み、叶えよう。対価については後に伝える】
「ありがとー!」
「え? え? え?」
混乱しつづけているリュー君を、園田さんともう一人の男性がそれぞれ腕を持って立ち上がらせる。これは脱走されないための拘束だろう。
そのまま、地下牢へと連行していく。
わたしと宮内さんは、その後をゆっくりとついていった。
リュー君は全力で抵抗しているが、大人二人の力には敵わない。そしてまだわめき続けている。
「大丈夫ー? 安心してリュー君!」
「こ、こんなのっ、こんなの間違ってるよ! 僕は、僕はジュン姉を……」
「はいはい。本当に、ありがとー。その気持ちだけで十分だよ」
そう。すぐにリュー君も、楽しい生活が送れるようになるんだから。
何も心配することはない。
だってわたしが、コワガミサマにお願いするんだもん。叶わなかった願いなんて、今までになかったんだから。うん、やっぱり大丈夫だよ。
ねえ、毎日わたしと一緒にゲームができる。こんなに素敵なことってないでしょう?
前と、何も変わらないよ。リュー君。
わたしは、みんなが幸せになればそれでいい。
わたしの周りの人も、リュー君も、わたしも。
みんな幸せ。
これが、わたしが望んでいた、幸せ。
「あ。青空ー」
ふと、空を見上げると、とてもいい天気だった。雲一つない。
わたしの心は自然とうきうきしてくる。
ああ、わたし、コワガミサマのお嫁さんになって、ホントに良かったなあ。
何もできなかったわたしが、誰かの役に立てるようになって。
みんなを幸せにすることが、できるようになって。
お父さんお母さんもとっても喜んでた。
この幸せを、もう誰にも壊させない。
目じりから涙がひとつこぼれたけど、それはきっと、さっき寝不足であくびが出たせいだと思った。
そう、わたしは思い込むことにした。
完
ルートC純エンドでした。
それぞれの望みが実現される世界へと、各々が飛ばされたことになります。
この作品はここで完結です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
良かったら感想をいただけるとうれしいです。
ではまた次の作品で。
津月あおい




