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僕らの村のコワガミサマ  作者: 津月あおい
アナザールート
37/39

ルートA 龍一の場合

0401/18:30/ジュン姉・母さん・入江さん/定食・居酒屋「海女」

 頭が追いつかないまま、僕と母さんとジュン姉は、連れ立って家を出る。

 そして商店通りにある定食・居酒屋「海女」へ。

 店の暖簾をくぐると、奥から割烹着姿の女性が出てきた。


「あらあ、矢吹さんいらっしゃい。龍一君も、純ちゃんも。今日はどうしたの?」

「龍一が中学三年生になったからね、そのお祝い」

「まあまあ、もうそんなになるの。あ、そちらの席へどうぞー」


 僕らは四人掛けのテーブル席へと案内される。

 メニュー表とお冷を持って、入江さんが戻ってきた。


「で、今日は何にいたしましょ」

「そうねえ……」


 僕らはメニューを見ながらどれにするか考える。

 ここはたいていの丼物はそろっている。それ以外にも一品料理が壁にずらりと短冊形の紙に書かれていて――。


「あれ?」


 僕は壁を見て違和感を覚えた。


「ん、どうしたのリュー君」

「ジュン姉……あの、おかしいんだ。ここミツメウオが置いてない。アジ、って書いてある」

「え?」


 僕はもう何度もこの店に家族と来ている。

 そのたびにミツメウオの刺身やら、ミツメウオフライを家族が頼んでいた。でも、今この店にはどこにもその「ミツメウオ」の文字が無い。かわりにあるのはアジの刺身やアジフライといった普通の料理だけだ。


「ミツメウオ、って何?」


 きょとんとしてジュン姉が訊く。


「え? いや、だから……」


 あわてて説明しようとすると、母さんが不思議そうに言った。


「龍一、どうしたの? そんな魚があったら食べてみたかった、とか? でもあいにくそんな珍しい魚は……ないわよねえ? 入江さん」

「そうねえ。村で獲れるお魚くらいしかお出しできないから……。まあそれがウチの売りなんだけどね」

「いっつも新鮮でおいしいのはその産地直売のおかげよねー」

「今日もナギサちゃんが一生懸命運んできてくれたんだけどね、いつもよりたくさん仕入れちゃったもんだから大変そうだったわぁ」

「ああ、あの漁師の家の子。あんな小さい子がねえ……あの年からお手伝いしてるなんてえらいわー」


 母さんがちらりと僕の方を見ながら言う。

 僕は小さくなってメニュー表で顔を隠した。


 別に、なにも家の手伝いをしてないわけじゃない。使った食器は洗うし。一人で料理も作るし、風呂掃除だってたまにやる。

 母さんはもっと手伝ってほしいのかもしれないけど……それ以上は正直言って勘弁だ。


 いやそれより。

 ナギサという子は、以前出会った子のことだろうと思った。

 ミツメウオを大量に載せた台車を押している途中、僕とぶつかってしまった子だ。


 あの時は、あれをどこかに配達しようとしてたみたいだけど……。

 それはこの「海女」に運ぼうとしていたのか。


 でも、この四月一日に時間が巻き戻ってしまった世界では、ミツメウオはどうやら存在しないことになっているみたいだった。

 ミツメウオは、ただのアジと置き換わってしまっていた。


 僕はそれを、壁の一品料理メニューを眺めながら奇異に思う。


「じゃあ、僕は親子丼で……」

「じゃあわたしは、カツ丼!!」

「わたしは……アジのお造りと季節の御膳にしようかしら」

「はい。かしこまりました」


 そう言って、メニュー表を下げていく入江さん。

 僕は出されたお冷に口を付けると、あらためて目の前の母さんとジュン姉を見た。


 どう見てもいつもの二人だった。

 でも、何かが決定的に違う。

 時間が巻き戻った世界。この世界は、本当にかつて僕が経験した四月一日と同じなのか……。


 もしそうなら明日には、ジュン姉はコワガミサマのお嫁さんになってしまう。

 そしてそのことをジュン姉は最後まで隠していて。

 そしてそのことを僕は母さんから聞かされるんだ。


「あの、ジュン姉」

「ん?」

「僕に何か言うこと……ない?」

「……?」


 コワガミサマに嫁ぐって決めたこと。

 もし時間が戻るなら、僕はそれを直接ジュン姉から聞きたかった。そしてできるなら、全力でそれを止めたかったのだ。


「言うこと……あ!」


 頭に豆電球がピカッと光ったみたいに思い出したジュン姉は、人差し指をぴんと立てて言った。


「おめでとう、リュー君!」

「へ?」

「中学三年生になって、おめでとう! わたし中学すら行けなかったからさー、普通に通えているリュー君はすごいよー。ホント、おめでとう!」

「あ、ありがとう……」


 満面の笑みでそう言われて、僕は思わず照れる。

 って、そうじゃない。


「……じゃなくて。そう言ってくれたのは嬉しいけど、それ以外に何か、ホラ、あるでしょ! コワガミサマのこととか……言いたくないなら無理にとは言わないけどさ……」

「ん? さっきから何言ってるの? コワガミサマって何?」


 またもやキョトンとしてジュン姉が訊いてくる。

 これは……本当にわかっていない顔だ。 


「え? 何って、コワガミサマだよ? 境雲神社の神様の……」

「境雲神社の神様? って、そんな名前だっけ。てかわたし知らないな……リュー君のお母さんは知ってますか?」

「え? なんとかっていう……たしか日本神話系の偉い神様だったと思うけど、わたしも詳しくは知らないわ。それが何?」

「いや、リュー君がさっきから変なこと言ってて」

「あんた……大丈夫? さっきからなんかボーっとして。中三になったんだから、もっとしっかりしなさいよ!」


 そういって、母さんとジュン姉が笑っている。

 僕もつられて苦笑いをした。


 おかしい。

 コワガミサマが……存在しなくなっている?

 これはコワガミサマがいなくなった世界になった、ということだろうか?


 僕だけが、全て覚えている。

 僕だけが……。


「お待ちどうさま」


 ぐるぐると色々考えていると、テーブルに料理が運ばれてきた。

 黒いトレーに乗った、大きな蓋つきの丼。

 それをそっと開けると、中からはトロッとした卵と、その中に埋もれる温かそうな鶏肉が見えた。


 ジュン姉も蓋を開けて、ジューシーそうなカツをうっとりと見ている。

 母さんの前にはたくさんの小鉢が乗ったトレーと、尾頭付きのアジの刺身が運ばれてきた。その魚には当然ながら目は二つしかない。


「ごゆっくりー」


 入江さんがそう言って去って行くと、母さんはこほんとひとつ咳払いをして言った。


「じゃあ、わたしからもね。先にさっき純ちゃんが言っちゃったけど、わたしも。龍一、中学最後の年、今年は受験の年になると思うけど、毎年言っていることだけど、あんたのやりたいこと、やりたい道に進みなさい。わたしはそれを応援するだけだから」

「母さん……ありがとう」

「うん。それだけわかればよし。じゃあ、さっそくいただきましょうか」

「はーい。いただきまーす!」

「いただき、ます……」


 母さんが割り箸を取ると、元気よくジュン姉も料理に手をつけはじめ、僕も目の前のご飯に箸を入れたのだった。




 誰よりも早く食べ終えたのは僕だった。

 二人が食べ終わるのを待つ間、僕はふとポケットからスマホを取り出して、その履歴を見る。


 通話履歴、メールの送受信履歴、アドレス帳。

 そのどれにも成神さんの痕跡はなかった。当然だ。今は四月一日。まだ僕は成神さんと連絡をとっていない。


 でも、成神さんは今どうしているんだろう。

 そう思って、僕は「月刊オカルト・レポート」のHPを検索してみた。


「え?」


 でも……検索結果は「0件」だった。

 月刊オカルト・レポートのHPが存在していない。そんな雑誌があることさえも、検索して確認することができなかった。


 どういうことだろう。

 僕は何度も、隣町の書店であのうさんくさい雑誌を見かけていた。

 でも、この世界では……。あの雑誌も、もしかして編集長の平井さんや成神さん自体も、存在しないことになってしまったのだろうか。


「どうしたの、リュー君」

「あ、いや、なんでもない……」

「気分が悪いの?」

「いや……」


 ジュン姉が心配そうに僕に訊いてくる。

 実際動揺しまくりで、気分もちょっとだけ悪くなっていた。でも極力そう見せないようにうつむく。


「龍一。あんた、純ちゃんと一緒に先に帰ってなさい」

「え?」

「わたしはもう少し、一杯ひっかけてから帰るから。ね?」


 母さんが僕にバチッとウインクしてくる。

 これは……母さんなりの気遣い、かもしれなかった。


「純ちゃんも。悪いけど龍一家に送ってくれる? 普通これ逆だと思うんだけどねー」

「あ、はい。大丈夫です。行こ、リュー君」


 そう。普通は逆。

 普通は男が女を家に送ってやらなきゃならない。でも、今はそんなこと言ってられない。だって本当に体調が悪いのだ。


 僕とジュン姉は店の奥にいる入江さんに「ごちそうさまでした」とあいさつをしてから、店を出た。

 空には綺麗な満月が浮かんでいる。


 僕は横を歩くジュン姉の、手を取った。


「リュー君?」


 月明りに照らされたジュン姉は、すごく驚きながら、こちらを向いている。


「ごめん、ジュン姉。ちょっと手、つないでてもらっていい?」

「え、あ、そ、そうだね。体調が、体調が悪いんだもんね。わかったよ。うん、ちゃんと、ちゃんとつないでてあげるから。うん」


 あきらかに動揺しているジュン姉。

 こころなしか顔が赤くなっているような気もする。


 コワガミサマに、凌辱されて、処女を失った――ジュン姉じゃない。

 まだ何も穢れを知らない、純粋な、ジュン姉。


 僕はどんなジュン姉も好きだけど、まだこうした状態のジュン姉を見て、なぜだかとても泣きたくなった。


「ジュン姉……ありがとう」

「え? 何が?」

「いつも、そばにいてくれて」

「え。あー、いやー。それはこっちのセリフだよー。リュー君こそ、いつもわたしと一緒にいてくれてありがとう。こんな、わたしのそばにいてくれて」


 こんな。

 そんな風に自分を下げて言うジュン姉は、この世界でも変わらない。

 僕は、もう一度、ジュン姉の手を握り直して言った。


「こんな、じゃないよ。ジュン姉はそのままで、あるがままのジュン姉で、十分素晴らしい存在だ。どんなジュン姉だって、僕にはかけがえのない存在なんだよ。だから、どうかこれからも……よろしくね。ジュン姉」

「……リュー君。……うん」


 ジュン姉は、僕をじっと見ると、小さくそう頷いた。


 穏やかな夜。

 廃墟がところどころに点在する、住宅街。

 ゆるやかな坂道を上りながら、僕らは家に帰る。


 こんな夜は、いつもヨソモノの奇声が村にこだましていたものだが、今夜はとても静かだ。

 コワガミサマがいないなら、ヨソモノも現れない。

 そういうことなのだろう。


 他にも、帰宅途中の村人が遠くに歩いているのが見えた。

 そういえば「海女」だって、夜の営業をしていた。いつも日暮れとともに閉店していたのに。


 波の音が聞こえる。

 風の音も聞こえる。

 僕はそれらを聞きながら、ジュン姉の手のぬくもりをしっかりと確かめたのだった――。

ルートA龍一エンドです。

来週は成神がたどったルートを書こうと思います。

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