夜のお役目
0723/18:55/成神さん・ジュン姉/七折階段
僕らは、境雲神社を抜け出して、鎖和墓地へと急いでいた。
前を成神さんが走っている。
「矢吹君っ。俺、あんまり運動とかっ、得意じゃないん……だけどっ」
「ぼ、僕もですっ!」
「でも、もう儀式始まっちゃうでしょ? だから、急がないと、ねっ……!」
「はいっ」
僕らは、成神さんのかけた術で誰からも知覚されないようになっている。
いわば透明人間、幽霊みたいな存在だ。
だから、誰も僕らに声をかけない。
そんな状態を維持したまま、ひたすら村の中を全速疾走していく。
郵便局の角を曲がって、小学校の前を通り、廃墟が点在する住宅街を進む。
いままでは頭地区のある北の山からの下り道だったけれど、今度は東の山を目指す道を通っていた。くねくねとした曲がり道。
しばらく行くと、やがて、ふもとの梅林が見えてくる。
ここを抜ければ七折階段、そしてその先は鎖和墓地、だ。
きっとそこに、ジュン姉が……。
「矢吹君。例の『ジュン姉さん』だけど……幽体だけで活動していたのは、正直予想外だったよ。これは少し対応を考え直さなければならないな」
「え? そう、なんですか?」
これから、成神さんはコワガミサマを「祓い」にいく。
でも、具体的にどのようにするのかは聞いていなかった。
コワガミサマを消滅させるのに、ジュン姉さんがそんな状態だと、何かまずいのだろうか。
「僕にはいつも、あれは普通のジュン姉にしか見えなかったです……。どう考えてもあれは肉体を持った人だった。幽霊だったとはまったく気付けなかったです……」
僕はなにか申し訳なく思ってそう言った。
精巧な擬態。
それに気付けなかったのは、村の掟でジュン姉に触れなかったことが大きかったと思う。
「まあ、無理もない。神様レベルの存在が関わっていたんだからな。矢吹君が気付けなかったのも仕方ないだろう」
「……でも、それだと何か都合が悪くなるんですよね?」
「……まあな」
成神さんは言いづらそうに続ける。
「人間でも動物でも……幽体が神様に憑依されると、あんな風に便利に移動できてしまう。次元をひとつ越えることができるようになるからね」
「次元?」
「君にはちょっと、理解できないことだと思う……。まあ、とにかく、これは編集長も驚くな。きっちり取材してこないと……」
よくわからないことを言いながら、成神さんは遅くなってきた足に鞭を打つ。
「くそっ、動け、俺の脚! ああ、ほんと歳取ったよなあ……」
そんな風に愚痴をつぶやきながらも走り続ける。
――あれから成神さんは、もう一度ジュン姉がいた部屋を確認しに行っていた。
そしてそこで、コワガミサマがジュン姉の幽体を肉体から引きはがしているところを、見てしまったらしい。
ジュン姉はこの方法で、別の場所に瞬間移動することができるようになったのだ。
たしかに何回も、ジュン姉はそうやっていきなり僕の前に現れたり、消えたりしていた。
コワガミサマの光に包まれて、毎朝お役目が終わった後、僕の前からいなくなっていた。でもそれは、こういう仕組みだったらしい。
しかし僕らは、生身の人間なので、ジュン姉のように瞬間移動することはできない。
だから、ジュン姉の幽体が移動したとわかるや、僕らはすぐに神社を抜け出したのだった。
七折れ階段がようやく見えてきて、その前で足を止める。
「矢吹君。ここを、ジュン姉さんたちが下りて来るんだよね?」
「はい。ええと……たぶん」
「じゃあここで待っていよう。この階段をいま、上まで登る気には、はあ、なれない……」
「あ、そ、そうですね」
かなり息を荒くしている僕と成神さんは、同じ気持ちだ。
今はちょっとでも、休憩して体力を回復させておきたい。
梅林の木の一つに身を隠しながら、僕らはジュン姉さんたちがふもとに現れるのを待った。
よく見ると、階段の前には黒い乗用車が何台も停まっている。
これは……おそらく宮内あやめたちが乗ってきた車だろう。前に同じ車種を見た。
「来た!」
しばらくすると、成神さんがそう言って階段の方を見つめた。
そこにはうぞうぞと蠢く黒い何かが降りてきていた。
「え?」
あれは……コワガミサマ、だろうか?
僕が付き人をやっていたころは、あんな風な姿を初めから現していたりはしていなかった。いつもジュン姉の中にいて……低い声を時たま出していただけだった。
でも今は、まるで人の形をとりながら、その輪郭から幾本もの触手をはみ出させている。
「矢吹君、今の君には何が見える?」
「え?」
「俺には、君の幼馴染の綺麗なお姉さんが見えている。君には……おそらくコワガミサマという存在だけが見えているだろうな。違うかい?」
そんなことを、こそっと成神さんが耳打ちしてくれる。
「は、はい。でもどうしてそれを……」
「わかるさ。俺はね、いつも二重に見えているんだ。現実のものと、幽世のものがね。今は……ジュン姉さんの幽体と、コワガミサマの霊体が重なって見えてる」
「え!?」
やはり、この人は只者ではないと、そう思った。
「でも、あの……幽体と霊体? って、どう違うんですか?」
「ああ、その説明はまだだったね。お姉さんは、ほぼその幽体だけになっている。幽体っていうのは、魂の一部の事だ。大部分の魂は神社にある肉体に残されたままの霊体だ。だから、そっちが無事な限り大丈夫なはずだ。一方コワガミサマは……あれが本体だね。肉体は無い。霊体と幽体がずっと、ほぼ一つになって存在し続けている」
「……よく、わかりませんけど、でも今ジュン姉とコワガミサマが重なってるってことですよね? 僕にはコワガミサマの姿だけしか、見えなくなってる」
「そうだね。そうやって彼女たちは重なって……いや、あれはほとんど融合してしまっているね。あれを分離させるのはかなり難しそうだ」
「え……?」
苦い顔をしてそう言う成神さんに、僕は急に不安になった。
難しいって……そんな。
ジュン姉を元に戻せなくなってしまうとでもいうのか?
コワガミサマのすぐ後ろには黒服が数名と、宮内あやめがついてきていた。
僕らとは正反対に、彼らはどことなくリラックスしているように見える。
「ま~ったく、最初からこうしてれば楽だったのよ。あいつがいなくなってホントせいせいしてるわ」
「お嬢様、まだ矢吹龍一の所在は掴めていません。もう終わったかのように言うのは早いかと」
「……そうね。今もどこかから見ているかもしれないしね」
ギクッとする。
「ま、一応注意しときましょうか。みんな、引き続き周囲の警戒をして」
「はい」
「はい」
「はい、かしこまりました」
宮内あやめと黒服たちは、その後もぼそぼそと会話を続ける。
どうやら今夜も、彼らはジュン姉たちを見守るらしかった。僕はあやめたちがこんなにすぐ近くで待機していたことに、驚きを隠せない。
思えばいつも、僕はジュン姉の事しか頭になかったからな……。
彼らがどのくらい接近していたかなんてあまり考えなかったのだ。
それとも、彼らのことを気にしないように、コワガミサマからなんらかの「操作」をされていたのだろうか。
そんなことをつらつらと考えながら、ジュン姉がいるだろう場所を見た。
そこにはうねうねと黒い触手を動かし続けるコワガミサマがいる。コワガミサマは何も言わず、そのまま廃墟が点在する住宅街へと侵入していった。
「行くぞ」
「はい!」
僕らもその後をそっと追いかけていく。
するとほどなくして、一行の前にふらふらと一体の黒い人影が現れた。
「あれは……」
成神さんが興味深そうに「それ」を見つめる。
「んあああああ……! シゴト、シゴトォォオオオオ!」
ヨソモノが絶叫しながら、ジュン姉、もといコワガミサマの方へと突き進んでいく。
「あ、危ないッ!」
思わず僕は声を上げてしまった。
サラリーマン風のヨソモノが、がばっとコワガミサマに抱き付こうとしている。
「や、矢吹君……」
「あっ、すみません」
幸い今の声は誰にも聞かれなかったらしい。
でも、僕は成神さんには目ざとく注意されてしまった。
「ちょっと、矢吹君、気付かれてしまうよ」
「はい、すみません……」
ヨソモノは、コワガミサマにひょいっと攻撃を避けられてしまっていた。
そして、勢い余ってそのまま地面に倒れこむ。
「シゴト、シゴトォォォオ……! 行きたく、ないっ!!」
仕事?
どうやらヨソモノは「仕事に行きたくない」と叫んでいるようだった。
コワガミサマは、そんなヨソモノに近づいて、例の言葉をかけてゆく。
【ヨソモノよ……お前は普段、何に対して一番罪悪感を覚える?】
「……?」
ヨソモノはハッとして顔を上げていた。
【罪悪感を我に捧げよ。さすればお前の願いを叶えよう】
ヨソモノはコワガミサマを見つめると、しばらく考えこんでからこう言った。
「私は……私は、非人道的なことをする会社の人間……です。何も知らない、ウブな娘を……騙して……金のために、あんなひどいことを……。上司からの、パワハラもすごくて……ですからもう、その会社では働きたくないのです。平穏な日々を……私は、過ごしたいっ……!!」
コワガミサマの足元にひれ伏して、そう切々と訴える。
【お前は、その仕事内容に罪悪を抱くのだな……。では一人、お前の知っている人間を死に追い込め。身内でも、職場の人間でもかまわない。そして、それによってさらなる罪悪感を抱き続けるのだ。さすれば一生遊んで暮らせる金をその手に引き寄せさせてやろう】
「それは……た、宝くじとかの賞金、とかですか? わ、わかった。か、間接的にでも、いいなら……やってみます!」
ヨソモノはそう言って、コワガミサマの話に嬉々として応じていた。
【ではこれより、契約の儀式をはじめる】
その声と共に、黒い触手がまた周囲にぶわっと広がる。
そして、それが中央に集約されたかと思うと、「何か」をからめ取りながら上空に移動していった。
ジュン姉だ。
ジュン姉が、また締め上げられながら、捧げ上げられている。
僕には、いまだに何も見えなかったけれど、ジュン姉が苦悶の表情を浮かべているのがはっきりと見えるようだった。
現に苦しそうな声があがっている。
「ああああっ……くっ、いやああああっ……!!」
「待て!」
しかし、そこに待ったの声がかかった。
発したのは、成神さん。
大声を出したので、自動的に成神さんの「不感知」の術が切れる。そして、みんなが一斉に成神さんの方を見た。
「なっ、何? なんなの? いきなりなんか現れたわ!」
「村外の人間? どうやら侵入者……のようですね」
「いったい、どこから? なっ、アイツは何なのよ!」
宮内あやめと黒服たちは明らかに動揺している。
【お前は……そうか。お前が、そうなのだな】
触手を蠢かせながら、黒い影の塊となっているコワガミサマが成神さんに言う。
どうやら僕が連れてきた者だと、バレてしまったようだ。
「ああ。俺は成神……神に成る者、だ」
そう謎の自己紹介をすると、成神さんはポケットから何かを取り出して、右手の掌の上に載せる。
そして、コワガミサマの元にいるであろうジュン姉に優しく語りかけた。
「日向純さん」
「え? あ、はい」
「ここには、今は姿を消しているけれど、君の幼馴染の男の子がいます。矢吹龍一君だ」
「え? リューくんが? リュー君がいるの?」
「ああ。矢吹君なら、すぐそばに、この場所にいる。だから安心してほしい。俺は彼の、そして君の味方だ」
「ああ、そう。アナタが……。リュー君の……」
ホッとしたようなジュン姉のそのつぶやきを聞いて、僕もまた少し安心した。
「それと矢吹君。君もいいかい? 俺がいいと言うまで、決して声を出してはダメだよ。いいね?」
そう言われて、僕はすぐに成神さんに向かって大きく頷いた。
成神さんは左右の口角を少し上げてからまた前を向く。
「そうか……いい子だ。ではさっそく、大祓の儀式といこう」
言うなり、手にしていた何かをぐっと掴んで、破壊する。
すると、成神さんの右手が白く光り、そのままその掌を足元の地面に押し当てた。
「すべては夢。混沌の夢よ覚めろ」




