廃屋
0723/15:30/成神さん/廃屋
境雲村にいくつもある廃屋。
その、比較的新しい家に僕は逃げ込んでいた。
表からだと追っ手にすぐ見つかってしまう。
だから、わざわざ裏手に回って勝手口を壊した。
戸の上部にある硝子窓を割って、中の鍵を開けたのだが……音を不審に思う人はいなかった、と思う。なぜなら周辺の民家も皆廃屋だったからだ。
中に足を踏み入れると、むわっとした空気が立ち昇った。
今は七月。気温は優に三十度を超えている。
僕はさすがに熱中症になってしまうんじゃないかと思った。でもどうすることもできない。
自宅に帰る?
いや、それだけはできなかった。どうせ頭地区の黒服たちが張り込んでいるだろう。
それとも、頑張って境雲村から逃げ出す?
運よくそうできたとしても、その先どこへ行っていいかわからない。僕には親しい友達もいなければ、頼れるような親戚だっていないのだ。
「それに……僕だけ遠くへ行くことはできない……」
僕はそうつぶやくと、スマホを取り出した。
「もしもし……成神さん?」
『おっ、矢吹君。どうしたんだ?』
今頼れる人はこの人だけだ。
僕は、震えそうになる声をどうにか落ち着けさせると、成神さんに今の状況を軽く説明した。
『なるほどね……。わかった。ちょっと待っててくれ』
成神さんは今は境雲マートにいるらしく、すぐにこちらに向かってくれることになった。ついでに何か差し入れを買ってきてくれるらしい。
ありがたい。
僕はこの廃屋の大まかな特徴と位置を伝えると、電話を切った。
「とりあえず、これでいいか……」
スマホをしまい、入ってきた裏口付近に移動する。
別の窓を開ければ家の中に風が通るだろうが、裏口以外の窓は全部雨戸が閉まっていて、それを動かそうとすればさらに大きな音が出そうだった。
なので、僕はわずかに外気が出入りしている、唯一の場所……裏口で涼をとる。
「はあ……ジュン姉、大丈夫かな……」
僕は、置いてきてしまったジュン姉の身を案じた。
ジュン姉もコワガミサマに反抗してしまった。僕なんかのために……。ああ、大丈夫だろうか。なにかさらに嫌な目にあってはいないだろうか……。
僕は、ふと自らの右手に目がいった。
そういえば……ジュン姉の胸に、この手が触れてしまった。あの感触を思い出して、少し興奮してしまいそうになる。でも、すぐに自分の頬を張った。
「バカ野郎っ! あれは……ジュン姉は操られていたんだ! コワガミサマに! はじめから……おかしいとは思ってたんだ。でも、いったいいつから……いったいいつからジュン姉はあんな風に?」
そういえば、今日はおかしい点だらけだった。
水着なんて露出の激しい恰好、ジュン姉がするはずがない。ジュン姉は、人前に出るのだって好かない性質で、重度のひきこもりだった。なのにわざわざ往来に立って、海水浴客らの目に留まるようにしたりしていたなんて……。
「あれらはすべて、コワガミサマの意志だった……?」
僕を誘惑したのも、僕をいいように操りたかったからかもしれない。きっとそうだ。
ジュン姉を利用して。なんてひどい神様だ。
僕を操るのは簡単だ。
だってジュン姉が大好きなんだから。
ジュン姉が全部望んだことにすれば、僕はその通りに動く。僕は、最高にチョロイ男だ……。
「だとすると、前に僕がジュン姉を助けようとする計画を拒否したのも……もしかして……」
コワガミサマがそう仕向けたのだろうか?
だとすると合点がいく。
最初から操られていたのだとしたら……拒否するように言わされていたのかもしれない。
「いつからコワガミサマはジュン姉を操っていた? まさか最初から?」
わからない。
本当のジュン姉は、僕をどう思っていたのだろう。わからない。
助けてもらいたがっていたのか。それともそうじゃないのか。
それ以前に、そもそも操られてなどいなくて、あの拒否はジュン姉自身の本当の気持ちだったとのか……。いろいろと考えたらきりがない。
「お待たせ」
「うわっ!」
うんうんと悩んでいると、いつのまにか裏口に成神さんが立っていた。
僕はビクッとして顔をあげる。
「そ、そんなに驚かなくてもいいじゃないか……。わざわざこうやって来てあげたのに」
「す、すいません……」
「まあ追われていたら、普通そうなるよな。あ、これ」
成神さんはそう言って「境雲マート」と書かれたビニール袋をこちらに差し出してきた。
「あ、ありがとうございます」
受け取った重さから、中身はペットボトルの飲み物かなと思った。
「いいよいいよ。それくらい、気にしないで。あーでも、この村ってあそこしか買い物できるとこないんだな。コンビニすらないとか……驚いたよ」
僕はペットボトルのお茶を取り出すと、がぶ飲みした。
実はさっきからずっと汗が噴出し続けていて、のどがめちゃめちゃ乾いていたのだ。
「良い飲みっぷりだね。てか、暑っついなここ……」
「夏、ですから、ね」
「ははっ」
乾いた笑いをもらすと、成神さんはすっと真顔になる。
「にしても……だよ。君、ついにあの神様に『正式に』反逆したんだね。ずいぶん思い切ったことをしたものだ」
「……はい」
僕はようやく飲み終わると、一息ついて成神さんを見た。
「前々から少しずつ抵抗はしてたんですけどね。でも、全く相手にされてませんでした。僕がどんなに吠えても、いつだって代わりはいるって……。でも、それももう終わりです」
「ついに我慢の限界が来たわけだ」
「はい」
僕はペットボトルを強くつかむと、眉間にしわを寄せた。
「成神さんが来てくれたから、もう我慢しなくていいやって、タガが外れちゃったのかもです。すいません。勝手なことして……」
「いや、いいよ。まだあちら側についててもらった方がよかったけど……でも、こういうのって変に長引かせるのも良くないしね。君が『夜のお役目』に出なくて済んだ分、村の調査を一緒にできるようになった。まあ、結果オーライかな?」
成神さんはそう言うとにこっとこちらに笑みを向けてきた。
相変わらず整った顔だ。
「え? あの……調査、ですか? あの、僕今追われている身なんですよ。そんな僕が村の中を歩いたら……」
「ああ、それは大丈夫」
「……?」
危惧したことを伝えると、成神さんはパタパタと手を顔の前で振った。そして、一足飛びで僕の前に来ると、何事かを口の中で唱えはじめる。
そして最後にポンと右肩が叩かれた。
「はい、これでダイジョーブ」
「え? 今の……何かしたんですか?」
「うん。俺と一緒の『不感知』の術をかけた。これで村の人たちや、超常的な存在……つまりコワガミサマからも目をつけられることはないよ」
「えっ? い、今ので? ほ、本当ですか?」
「まあ……さっき買い物した時だけは一時的に術を切ってたけど、ね。ほら、影の薄いやつっているだろ? あれの力をめっちゃ強くした感じだよ」
「へ、へえー」
言うは易し。でも、効果は……織り込み済みだ。なんせコワガミサマが成神さんの姿を確認できないんだから。
僕はあまりのことにポカンとしてしまった。
ほんとに……成神さんって何者なんだろう。僕にもその術をかけられるなんて思いもしなかった。
「さて。じゃあ、この天然サウナにいつまでも入っているわけにはいかないからね、行くとしますか」
「え? どこへ、ですか?」
「神社だよ。まずは元凶を調べておかないと」
「え……ええっ?」
まさか、敵の本拠地に乗り込もうとするなんて。
僕は呆気にとられるどころか、さらに度肝を抜かれてしまった。
「さ、さすがにそれは危ないんじゃ……」
「危ない? なんで? 俺らは今『誰にも見えない』んだよ? だから、へーきへーき」
「ええ……」
「夜は夜で、やりたいことあるからね。さ、明るいうちに行っとこう」
そうして僕らは、村の北の境雲神社へと向かったのだった。




