救世主
0723/14:00/成神さん/汀トンネル前
大暑から処暑までの季節、境雲村では「海開き」が行われる。
普段は遊泳禁止になっている足下ヶ浜が、この時期ばかりはライフセーバーが配置されたり、海の家ができたりと、ちょっとしたレジャーランドと化すのだ。
汀トンネルも……この時期だけ開放される。
あの普段は頭地区の人たちしか使用できない「秘密のトンネル」が……他の村人にも、村以外の地域に住む人たちにも開放されるのだ。
今日はその海開きの日、大暑の七月二十三日だった。
先週から夏休みに入っていたので、僕は午前中いっぱい「寝溜め」をし、お昼ごろになってようやく起きていた。
遅い「朝ごはん」を食べ、軽く学校の宿題を済ませると、そろそろ時間だと腰を上げる。
僕は自転車に乗って、とあるところに向かった。
それは汀トンネルの村側の出口。
目的地に到着すると、ちょうど横の道を隣町と境雲村を往復するシャトルバスが通過していったところだった。
「やあ、矢吹君」
汀トンネル前と書かれたバス停の近くに立っていたのは、東京のオカルト雑誌の記者、成神さんだった。彼は右手を上げて、こちらに近づいてくる。
「どうも。この村に来てくださってありがとうございます、成神さん」
わざわざご足労いただいたことに、僕は感謝の気持ちを述べた。
「ようやく来れた……って感じだね。待たせてしまって済まなかった」
「いえ、そんな。こうして来ていただいただけで……。あの……それで、どうです? この村は……」
僕はさっそく、霊感があると自称する成神さんに、この村の印象を訊ねてみる。
「そうだね……。とりあえず、ここからちょっと離れようか」
バスが通過している道は、隣町への近道なので、当然他の車や自転車もたくさん通る。
僕と一緒にいるところを見られると、この村で行動しようとしている成神さんにとって不利になるので、僕たちは人目を避けて近くの森の中へと向かった。
そこは隣町と境雲村とを隔てている「西の山」のふもとだった。
一つの箇所に留まっているとやぶ蚊に刺されまくるので、僕たちはゆっくりとしたペースで移動していく。
今はあまり使われていない林道は、木陰がとても涼しかった。
「着いた瞬間。いや……あのバスに乗った瞬間から。いやいやその前から……。俺はこの村に向かっているというだけで、得も言われぬ悪寒を感じていたよ。この地に着いて、それはより顕著になった」
「それは……コワガミサマの気配を感じて、そうなっていたということですか?」
「というより、この村自体が、かな。とても恐ろしい場だ」
恐ろしい場。
僕はそういう風に感じたことなんてなかったけど、成神さんにとってはそうだったらしい。
コワガミサマは怖いけど、村は普通……。いや、違うか。ミツメウオのこともある。
僕は改めて考えると、この村自体も確かに怖いと感じるのかもしれないと思った。
「それはそうと……今日まで色々と調べてくれてありがとう、矢吹君。君がこの村のことを調査してくれたおかげで、だいぶ助かっているよ」
「そうですか?」
「ああ。俺がどう動くべきか、それによって色々と方針が定まった。まずは、実際に村を歩いてみなきゃなんだけど……ちょっと昼間は無理そうだね。そっちの調査は夜にするとして、とりあえず、ビーチの方に行ってみようか」
そう言いながら、僕らは山沿いの森を南下していく。
林道を抜け、足下ヶ浜周辺の旅館が立ち並ぶ「美岸地区」にやってくると、そこは観光客でいっぱいだった。
およそ普段見たこともないぐらいの数の人々が、村に存在している。
たくさんの車が、砂浜沿いの駐車場に並んでいた。そこからはサーフボードを出す人や、うきわを抱える人などがわらわらと出てくる。
「じゃあ、ひとまずここらで別れよう。何かあったら連絡する」
「はい。成神さんは、これからどうされるんですか?」
「ちょっと砂浜を捜索してくる」
「そ……捜索?」
「金だよ。コワガミサマとやらの体の一部、なんだろう?」
小声で僕にそうつぶやく成神さんは、不気味な笑みを顔に張り付けていた。
端正な顔が少し歪む。
「えっと……そ、そうなんですけど。でもそれに近づいたら、成神さんはコワガミサマに……」
「気付かれるって? 大丈夫、俺も馬鹿じゃないから。そのコワガミサマに気付かれないような術だって知っているんだよ。だから心配しなくていい」
「そ、そうですか……」
この人は本当に……底が知れない。
いったいどうやって僕らを救ってくれるんだろう。
「じゃあ、ね。君は普段通り行動していてくれ。俺は俺で勝手に動くから」
「あ……はい」
「あ、そうそう」
行こうとした成神さんが振り返った。
「俺は魚嫌いだから、そのミツメウオとやらは食べないよ。アジに似ている魚、だっけ?」
「はい……」
「というか、それ以外の食材もこの村では食べない。『ヨモツヘグイ』になるからね」
「ヨモ……?」
聞き慣れない言葉に、僕は首をかしげる。
「この村は『黄泉の国』みたいだってことだよ。その国の食べ物を食べると、現世に帰れなくなる。それが黄泉戸喫。まあ、そうならないように気を付けるよ」
そう言ってひらひらと手を振ると、成神さんは人ごみの中に紛れていった。
かつてジュン姉といた砂浜は、燦々と太陽が照りつける中、たくさんの人の歓声であふれている。
ジュン姉のいない海。
僕はその波間のきらめきを、ジュン姉とまた見たい、と思った。




