村の偵察
0702/15:30/ナギサちゃん/鎖橋地区
学校が終わると、僕は一目散に「鎖橋地区」へと向かった。
鎖橋地区は、境雲村の南東部にある、港を中心とした漁師たちの居住区だ。
でも、僕にはあまりなじみのない場所だった。
その先の灯台には、ジュン姉と何度か遊びに行ったことがある。けれど、それ以外は特に用のない地区だった。
偵察のためとはいえ、その近辺をうろつくのはちょっと緊張する。
誰かに声をかけられたりしないだろうか……。
商店通りの先の橋を渡って、海沿いの細い道を進んでいくと、やがて鎖橋地区の中心部が見えてきた。
港と、市場である。
そして、その反対には山肌にへばりつくように漁師たちの家々が軒を連ねている。
僕は適当な場所に自転車を停めると、目的の場所へと歩いていった。
魚と言えば「市場」だ。
でも、今から市場へ行っても、たぶんもう魚は一匹も残ってないだろうと思った。
かつて、じいちゃんが言っていた。
魚はすべて午前中の早い時間に水揚げされる。そして、新鮮なうちに各方面へと運ばれていく、と。
だから、向かうのは市場じゃない。
行くなら、まだ魚を「加工」しているかもしれない「鮮魚センター」だと思った。
「おっ、ここか。でかいな」
鮮魚センターは、一見すると工場みたいな外観の白い大きな建物だった。壁にでっかく「鮮魚センター」という文字が書かれている。
ここはお店ではない。
あくまで加工場だ。
ここから村人用の魚も配達されている。
建物は窓がほとんどなく、入り口は巨大な金属製の引き戸になっていた。ひっきりなしにいろんな人や、荷物を載せたフォークリフトが出入りしている。そして、強烈な魚の臭い。
「うーん、ここからじゃよくわからないな……」
門の外から眺めていてもまるっきり中の様子はわからない。それに、人目がかなりあったので、侵入するのは難しそうだった。このままここにいても、いずれ怪しまれてしまうだろう。
僕は表門から離れると、建物の裏口に回ることにした。
「ええと……ここ、かな」
裏口の門からのぞくと、白い発泡スチロール製の「使い古された」箱が、いくつも壁沿いに積まれていた。
あれは……何が入ってるんだろう。
蓋の端から血みたいなのが見えるから、もしかしたら産業廃棄物としてこれから捨てられる魚が入っているのかもしれない。
「おーい、もう今日の分はないかー?」
「ああ、もうそれで最後だ」
しばらくすると、建物の奥からそんな声がした。
そして、白い箱を積んだ台車を押して、ひとりの男が出てくる。男の側には女の子がひとりくっついてきていたが、その子は以前商店通りで見た少女「ナギサ」だった。肩の先の髪が、今日も元気よく外ハネしている。
「ねえ、父さん。わたしもそれお手伝いしに行っていい?」
父さん……と呼んでいるということはあの二人は親子か。
「ダメだ。これは大人の仕事だ。お前はまた商店通りのお店に魚を配達して来い。夜の分の魚をくれって、さっき電話があったぞ」
「……はーい。でも、前から思ってたけど、なんでその魚だけ山のお寺に持っていくの?」
お寺……?
魚をお寺に……? あれはたぶん何かしらの魚が入っている箱なんだろう。それをどうして……。
そう思っていると、男の方はナギサの頭に手をポンと置いて言った。
「これはな、コワガミサマへの供物なんだ。これをお寺で処分してもらうことで、さらにコワガミサマの力が増すんだとよ」
「へえー……。でも神社じゃなくてお寺なんて、なんか変だよね」
「まあな。でもお寺も、元は神社の一部だったみたいだぞ。良く知らんが」
「ふーん。まあ、気を付けて行ってきてね、父さん」
「ああ」
ナギサはそう言って、父親に手を振った。
父親は軽トラックの荷台にその白い箱を置くと、「じゃあ行ってくる」と言って車を発進させていく。僕は、とっさに物陰に隠れて、それをやり過ごした。
なんだ……?
どういうことだろう。
コワガミサマの供物?
魚が?
ミツメウオのことも気になるけれど、あっちを先に調べに行った方がいいのかもしれない。僕はさっそく自転車を取りに行こうと立ち上がった。
「あ、あんたは……? この間の!」
「げっ」
立ち上がった拍子に、ナギサという少女に見つかってしまった。
ナギサは妙な顔をしてこちらにやってくる。
「そこで何してるの?」
「え、いや……ミツメウオを……」
「え? ミツメウオ? 何、欲しいの? あとで家に届けてあげようか」
「あ、いや……ちょっと……そうじゃないんだ。この間はぶつかりそうになっちゃって、ごめん」
急いでお寺に行きたいのを我慢して、ナギサに謝る。
変にいろいろ訊かれても困るで、この間のことを持ち出してみた。すると、
「あー、別にいいよ。わたしはぶつかってはなかったし。それより……あんたの方こそ大丈夫?」
年下に気遣われた。また。
「腰? ああ、別になんともないよ……大丈夫」
「あ、いや。そっちもそうだけど、天罰の方」
言われて、ぎくりとした。
そうだ、ミツメウオの奇妙な特性に気付いたのも、それがはじまりだったのだ……。「ミツメウオに見つめられた人間は、コワガミサマの天罰を受ける」、そんな奇妙な迷信が僕に当てはまるのではないかと、定食屋兼居酒屋「海女」の店主、入江さんから指摘された。
僕はごくりと喉を鳴らして答える。
「うん……な、なんとかね。大丈夫だったよ」
「そう。ならいいけど。あんた、コワガミサマのお嫁さんの付き人になってんだってね。入江さんに聞いたよ。それなのに、いろいろと……やらかしてるって」
「君には、関係ないことだ」
そう言って、僕は背を向けた。
けれど、ナギサは僕の前に回ってしつこく反論してきた。
「関係なくない。コワガミサマは……この村の守り神様なんだよ? その神様を怒らせるなんて……ダメだよ。みんなの願いが叶わなくなっちゃったらどうするの!?」
「…………」
ああ、この子も。
何の疑問も持たず、この村に染まってしまっているんだ……。
そう思うと、僕はとても悲しい気持ちになった。
「ごめん。でも……僕の願いは、もう叶わなくなっちゃってるんだ。……って、言ったらどうする?」
「え……?」
「コワガミサマにも、もうたぶん叶えられない。コワガミサマのせいで、僕の願いは叶わなくなっちゃったんだ」
「え……それ、どういうこと? コワガミサマはどんな願いでも叶えてくれるんじゃ……」
驚いた顔をしているナギサに、僕は言った。
「僕はね、大切な人をコワガミサマに奪われちゃったんだよ。だから、僕は僕の願いを、自分で叶えなきゃならないんだ」
「それって……」
「それじゃあ。さよなら」
それ以上言ってもたぶん意味はない。だから、僕は今度こそその場から立ち去った。
自転車のあるところまで行って、それから鎖和墓地へと向かう。
「はあ、はあ……」
息が切れる。
本当に、僕は体力がない。
猛暑の中、急な坂道を自転車で昇っていく。
太陽はもう真夏のそれとなっていた。
ジュン姉がコワガミサマのお嫁さんになってから、もう約三か月が経とうとしている……。
七折階段の下までたどり着くと、ナギサの父が乗っていた軽トラックが停まっていた。僕は自転車を下りて階段を登っていく。
途中でナギサの父親が下りてきて、出くわすかもしれないと思ったが、もう構わなかった。
最後の気力を振り絞って、階段を登りきる。
墓地には海からの風が心地よく吹き付けていた。
昼間見る鎖和墓地はあまり陰気には見えない。まあ、ここにはじいちゃんもばあちゃんも、父さんも眠っているしね。
墓地の真ん中の道を進み、奥の山門をくぐる。
山門には「東鎖寺」と書かれていた。
ここにも「鎖」の文字だ。
東京で会ったオカルト雑誌の記者、成神さんは、これには「左」の意味があるって言っていたけど……。
とりあえず、それを考えるのはあとまわしだ。
まずはナギサの父親を見つけないと……。
山門の先には本堂があり、僕は近くを歩き回ってみた。すると、本堂の裏手から話し声が聞こえてくる。そこへ行ってみると、
「……!」
ナギサの父と、寺の住職がいた。その前には大きな焼却炉、のようなものがある。そして、ナギサの父親は、その中にさっきの白い箱の中身をぶちまけていた。
「いつも運んでくださって、ありがとうございます」
つるつる頭の住職が両手を合わせながら、ナギサの父にお礼を言っている。
「いやいや、いいんですよ。これは鎖橋地区の昔からのしきたりですし、このおかげで漁も毎年上手くいってるんですからね」
このおかげで漁が上手くいってる?
どういうことだろうか。
「コワガミサマとの約束、でしたね……。このミツメウオをこの寺で焼けば、不漁にはしないという」
なんだって?
ミツメウオを寺で焼く?
僕は住職の話に耳を疑った。
まさか……あの箱の中身はミツメウオ、か?
そしてこれは……誰かの願い、なのか。
コワガミサマにたぶん、豊漁を願ったんだ。鎖橋地区の誰かが。そして、その代わりにこんなことを、慣例でするようになった……。
「ああ、まだ残ってた」
ナギサの父が、白い箱の中から何かをつまみあげる。
それは、ミツメウオの頭の部分だった。
加工するときに出た、産業廃棄物……。まるまる一尾の状態じゃなく、それは頭の部分だけだった。きっと、他の魚は普通にゴミ焼却場に運ばれていくはずだ。でも、このミツメウオだけは、この寺に運ばれてくる。それは……コワガミサマに願うため……。
そういう、ことか。
「じゃあ、あとはよろしくおねがいします」
「はい。ではまた明日」
別れの挨拶をすませると、空になった箱を手にナギサの父がこっちに戻ってきた。
僕はお堂の陰に隠れて、それをやり過ごす。
一方住職はと見ると、焼却炉の蓋を閉めて、何かのスイッチを押していた。
しばらく経つと煙突から白い煙が上りはじめる。
「あれはミツメウオを、燃やしてるのか……?」
住職のお経をあげる声があたりに響きはじめる。
僕は、じっとそれを見つめていた。
やがて、煙が出なくなるとお経が止み、住職が顔を上げる。そしてまっすぐ、僕の方を向いた。
「……!?」
「出てきなさい。そこにいるのはわかっていますよ」
僕は、心臓をばくばくさせながら、住職の前に姿を現した。




