ヨソモノの死体
0405/16:30//住宅地
坂の上の自宅が見える。
ジュン姉の家も。
「あと少しで家に帰れる……夜までに、少しでも眠っておきたいっ……」
長旅の疲れも、寝不足も、いろいろな不安も……早くベッドで横になって解消したかった。
ハア、ハアと荒く息をつきながら自転車のペダルをこぐ。
坂道を登りながら、ふとここを数日前にジュン姉と通ったことを思い出した。
あの時は、まだ何にも知らなくて。
でも、ジュン姉は全部知っていて。それなのに……なんて僕は呑気でバカだったんだろう。
ああいう日々が、幸せだった。
異常を異常とも思わないでいられたことが、幸せだった。
でも、今の僕は、それらの真実を「知って」しまっている……。
あの時、ここには「男の死体」があった。あれも「異常」のひとつだった。
血まみれの。普通じゃない死体。
あれは、ヨソモノの成れの果てだった。
今ではすっかり消えてしまっている。でも、そういえばこれって、いつ無くなっているんだろう……と疑問が浮かぶ。
いままで特に気にしたことはなかったけれど、そういえば「消える瞬間」は見たことがなかった。だいたい発見してから数日経つと無くなっているけれど、気が付けばいつもいつのまにか消えていた。
「そうだ……」
昨夜の、ヨソモノの成れの果て。
コワガミサマに「処分」されてしまった、あのペットを探していた女のヨソモノは、今いったいどうなっているんだろう?
僕は好奇心にかられて、それを見に行ってみた。
そんな時間の余裕はなかったはずなのに。
でもどうしても見たくなって、僕は昨日のあのヨソモノがバラバラにされた場所へと、向かった。
住宅街のある一角。
四肢をバラバラにされた、元「ヨソモノ」の死体が、そこにはあった。
昼間見ると、それはかなり凄惨だ。手の先や足の先、それから血と、臓物と、よくわからないものが広く路面にぶちまけられている……。
もう、ピクピクとすら動いていない。
完全に沈黙している。
「これ、たしか……夢を見ている人の精神体だって、ジュン姉言ってたよな? 実体、じゃないんだよな。きっと、触れない……。見えているけどそこにはないもののはずなんだ。けど……」
僕には、それは本物の死体にしか見えなかった。
これがいつの間にか消える、なんて。明日にはきれいさっぱりなくなっている、なんて。今まで何の疑問も持たなかったけれど、良く考えれば信じられない現象だった。
これは、どうして「こうなって」しまうんだろう。誰かが片づけていたりするのかな?
僕は注意深く、その死体を調べてみた。
とはいっても「触る」なんてことは、する気にはなれない。そもそもこういうのは暗黙の了解で触らないほうがいいってことになっていた。急に爆発したり、妙なことになっても困るし……。
僕は、地面と死体が接している場所を見てみた。すると、そこには小さな異変があった。
「……ん?」
わずかに、光っていた。
うっすらとだけれど。
接地面に、蛍のように儚げな光……が灯っていた。
「え? これ、どうして光ってるんだ?」
何か、この光は見たことがあるような気がした。
そうだ。
コワガミサマの昼間の姿……それを覆う光に似ている。でも、これはどういうことだろう。少しその場で見続けていたけれど、それ以上はよくわからなかった。
「おっと。こうしている間にも時間が!」
僕は我に返るなり、すぐさま自宅へと戻った。
わずかな仮眠をとった後、僕は昨夜と同じ装備で家を出る。
「行ってらっしゃい」
「い、行ってきます……」
何か言いたげな母さんを置いて、鎖和墓地へ向かう。
時刻は午後五時五十五分。
不本意ながらも、僕は昨日の宮内あやめとの約束を守って、少し早めに現地に着いた。
白いワンピースを着て、白いタコのお面を被ったジュン姉がいる。あと宮内あやめ、そして運転手の園田、それから黒服の頭地区の人たち数名も、出揃っている。
もう来ていたのか……。
僕はまた、宮内あやめにどやされるんじゃないかと、若干身構えながら近づいていった。すると、ジュン姉が僕を見つけ、スキップしながらやってくる。
「あ、リュー君! ねえねえ、今日どこかにお出かけしてたのー?」
「え?」
ぎくりとした。
どうして、それを……。
「あ、え-とね、わたしじゃなくてってね? コワガミサマが、今日そう言ってたんだー。ね、ホント? リュー君。なんでお出かけしてたの? 学校は?」
「…………」
矢継ぎ早に質問されるが、どう説明したものかと口ごもってしまった。
どこまで、何を知られているのか。というか、コワガミサマはずっと僕の行動を見て……いたのか。
返答次第ではとても危険な目に遭うかもしれない。
僕は、きょとんとした表情のジュン姉を見つめながら……生唾をごくんと飲み込んだ。
「…………っ」
しかし、その間にも宮内あやめは僕の異変を目ざとく見つけてくる。
「あらー? 顔色が悪いわよ、矢吹龍一。学校でお勉強してこなかったなんて……悪い子ね。あなたはこの境雲村の住人なのよ? まっとうに生きないと、コワガミサマの天罰が下る……まさかそのこと、忘れたわけじゃないわよね?」
「…………」
僕は黙る。
「どこへ、何をしに行っていたの? コワガミサマは……一度願いを叶えた者のことは、どこにいたって全部お見通しなんだから。悪いことは言わないわ、正直に……」
「うるさい。お前たちには関係ない! コワガミサマが僕に天罰を与えるなら、僕はそれを受け入れるだけだ。ジュン姉にも……言わない。これは、僕の問題だ!」
とっさに、そう言い放ってしまった。
すると、すぐに「生意気な……」と、宮内あやめや他の頭地区の人たちがいきり立ちはじめる。
「リュー君……」
ジュン姉が悲しげな声で僕の名を呼んだ。
僕はジュン姉に、大丈夫だよと笑みを向ける。
「ごめんね、ジュン姉。僕が、どうしてもやりたいこと……なんだ。コワガミサマには怒られると思うけど、最悪殺されるかもしれないけど……僕、後悔、したくなくて」
「何を……言ってるの? リュー君。リュー君を守りたくて、わたし……コワガミサマにずっと……お願いしてたんだよ? どうして、なんで、勝手なことをするの?」
イヤイヤをするように、ジュン姉が首をふる。
「ジュン姉……」
「リュー君とまたずっと一緒にいたくて。わたしの付き人に……してほしいって、お願いしたんだよ? これ以上コワガミサマを怒らせたら……。ねえ、リュー君。何をしたの? それは、そんなにコワガミサマを怒らせるようなこと、なの?」
やや取り乱しはじめたジュン姉を、僕は辛い気持ちで見つめる。
ジュン姉にも黙っていたかったけど……。ある程度はコワガミサマも知っていることだろうし、話さなくてはいけないかも……しれない。
「僕は……ジュン姉を助けたいんだ。コワガミサマのお嫁さんで……いてほしくないんだ。だって、ジュン姉は、僕のジュン姉なんだ。毎晩、あんな目になんか遭わせたくない。いつもどおり平和に、ゲームをする日々を過ごしてたいんだ。だから……それが復活するまで『あがく』って、決めたんだよ」
お面の奥の、ジュン姉の目が大きく見開かれたような気がした。
「何……。なんで、そんなこと……。そんなこと言ったら、わたし……」
何かを、ジュン姉が言う前に、横から思いっきり殴られた。
園田が、また僕の頬に強烈なパンチをくらわせていた。痛い……。思わずうめく。
「うう……っ」
「リュー君!!」
地面に倒れると、ジュン姉が悲鳴をあげて駆け寄ってきた。
でも、触れないのか僕の側にしゃがむだけでそれ以上近づいて来ない。
僕は唇の端を歯で切ったらしかった。
血の味がする。
僕は口元を押えながら、園田を見上げた。くそっ、完全に死角からだった。避けられなかった……。
「お嬢様が……あなたをどつきたいと思ってらっしゃったようなので、また失礼させていただきました」
こいつ、と思ってにらみつけると、「よくやったわ、園田」とその後ろから声がする。
宮内あやめが凶悪な笑みをたたえて立っていた。
「何をしようとしているか知らないけれど……聞き捨てならないこと、言ってたわね。僕の、ですって? ハッ」
宮内あやめはそう言って鼻で笑うと、ジュン姉を恭しく見つめた。
「園田が……勝手に手を出してしまい、申し訳ありません。しかし、コワガミサマ……この者は危険分子です。それでもまだ、このお嫁さんのお願いを、優先されるのですか?」
お嫁さんの、ジュン姉の願い。それは……「僕を付き人にさせ続ける」という願い、だった。
一緒にいたくて。僕を、守りたくて。
コワガミサマ……。
コワガミサマは、僕の挙動をどう思っているのだろう。
僕の行いがすべて筒抜けだったのであれば、「村に被害をもたらす者」と判断されて天罰は免れないはずだ。そうなるかもしれないというリスクを承知で動いてはいた。でも、いざその時になってみると、僕の心臓ははち切れんばかりにドクドクと言いはじめる。
ジュン姉の口から、低い男の声が流れ出した。
僕は、罪人が死刑宣告を受けるかのような気持ちになる。
【我は、腹を満たせればいい……。そのために、日向純も矢吹龍一も、利用しているに過ぎない。この付き人が何をしようとも、我は消えぬ。我が我である限り。であれば、すべて些末なこと……】
「コワガミサマ……!?」
宮内あやめは、ひどく落胆したようにそうつぶやいた。
それは甘すぎる判断じゃないのか、といったような思いがありありとにじんでいるような顔だった。
一方の僕は、拍子抜けしていた。
お咎め無し……ということだろうか?
けれど……「僕が何をしようともコワガミサマは消えない」その言葉には、ひどい寒気を覚えた。
霊能力者である成神さんの存在も、コワガミサマはわかっているはずだ。
なのに、まるで脅威を感じていない。ということは……成神さんでもダメ、なのか?
【それと、この日向純と矢吹龍一が使えなくなっても、あらたに別の後継者を選ぶだけだ。ゆえに問題はない。園田郁夫には妨害した罪で、一時的に天罰を与える】
「わかりました……」
宮内あやめが、さらなるダメ押しをされてうなだれている。
園田は、ウッとうめいて、僕をなぐった方の腕を押さえていた。たぶんなんらかの天罰が加えられたのだろう。
他の頭地区の人たちも、コワガミサマからそのように言われては納得せざるを得ないようだった。
しかし……僕らはいつでも使い捨てられる存在、か。
わかってはいたけれど、それは僕らがあまりにもちっぽけすぎる存在だと言われているようで、どうしようもなく凹んでしまう。
利用価値がなくなったら、あのヨソモノのように「処分」されるんだ――。
そう考えると、やっぱり僕は「行動を起こしておいて良かった」と思ったのだった。




