帰郷
0405/16:10/ナギサちゃん・入江さん/商店通り
「じゃあ、矢吹君。また何か新しいことがわかったら、すぐに連絡をくれ」
「はい、わかりました」
「くれぐれも無理はしないようにね……」
「はい。今日は本当にありがとうございました。では……」
深く一礼すると、僕は平井編集長さんと成神さんの二人に別れを告げた。
オカルトに詳しい彼らから、何かしらの対処法を教われたら……ぐらいの気持ちで来たのだけど、まさか実際に霊能力を持った成神さんが、僕の村までやってきてくれることになるとは思わなかった。
これが、いい結果につながればいいんだけど……。
駅前の横断歩道を渡り終え、ふと振り返ると、もうあの二人の姿は消えていた。
車で……来たのだろうか。電車で来たのなら、彼らもこの駅を利用するはずだけど……そういうそぶりは全くなかった。
彼らの会社はたしか新橋、だったはずだ。
でも、もう僕のやることは終わったので、あまり気にせずホームへと向かう。
僕は、これから二時間半かけてまたあの村に戻らなくてはならない。
ジュン姉の待つ、境雲村へと――。
そう思うとちょっと気持ちがげんなりしてきてしまった。いやジュン姉に、とかじゃなくて。ジュン姉には早く会いたい。でも、長距離の移動はとにかく疲れるのだ。
しかも、今日もまた夜に「お役目」の仕事がある。寝不足で、疲労困憊で。果たして僕の体は朝まで持つだろうか……。
「ジュン姉……」
けど、ジュン姉はひとりでは怖くて夜の村を歩けないのだ。ジュン姉のためにも、今夜も僕が側についていてあげなくてはならない。
新幹線の座席にすっぽり収まると、すぐに強烈な眠気が襲ってきた。
ふわふわした意識の中で、さっきの二人のことを思い返す。
あの二人は……明らかに僕を利用しようとしていた。
でも、僕だって、彼らを利用しようとしている。そこに大きな違いはない。問題なのは、成神さんの本心が最後までよくわからなかったことだ。
あの人は、まだ何かを隠している……。
結局、「まだ時期じゃない」とか言って何も話してくれかったから、それが何なのかを知ることはできなかったけれど、でもこういうのは信用問題だ。
本当は、最初から嘘・偽りなく誠実な、信頼関係を築いていかなければならないはずなんだ……。
「あの人は……ちょっと注意しておこう」
そんな風に思っていると、発車のベルが鳴り、車外の景色が動き始める。
僕は、移動の間仮眠することにした。
境雲村に着くころには午後四時を回っていた。
自転車で海岸沿いの山道を下ると、そのまま猛スピードで商店通りに入る。
もう夜のお役目まであまり時間がなかった。自宅に戻っても、眠る時間はそんなにとれないだろう。でも、少しでも体を休めたい……。
そう思って急いでいたら、前から台車を押してきた少女とぶつかりそうになってしまった。
「うわっ、っとと」
「うわーーっ!!」
向こうは華麗に台車を方向転換させて、僕を避けた。
一方、僕はハンドルさばきを間違って、堤防の壁に派手にぶつかってしまった。
大きな衝突音の後、僕は地面に投げ出される。
「痛てて……」
「大丈夫?」
台車を押していた少女が、僕に走り寄ってきた。
まだ春だというのに、日焼けしたような色の肌だ。小学校六年生くらいだろうか。ジーンズにパーカーという活発そうな恰好の少女は、僕にそっと手を差し出していた。
「あ、ありがとう……」
僕はその手を取り、ようやく助け起こされた。
あらためて少女を見ると、少し苛立ったような表情をしている。
「何を急いでいるのか知らないけど、もうちょっと気を付けなよ。うちの魚がダメになるところだったじゃない。まだ配達中なのに……」
「え?」
少女はホレ、と言わんばかりに、サムズアップした右手で背後の台車を指し示していた。
台車の上には、白い発泡スチロールの箱にぎっしりと、氷とミツメウオが詰められている。
ミツメウオというのは、この村でしか獲れない貴重な魚のことだ。
見た目はアジそのものだが、目が三つある。左右と、頭の上に一つ。だからミツメウオ。
村外の人には「奇形」だと気味悪がられているので、「アジの加工品」としてしか出荷していないが、村民はこれを普通に食べていた。
またこれがとてもうまいのだ。
年中脂がのっているわりに、臭みはほとんど無く、うま味が噛むたびに滲み出してくる。焼いても、煮ても、何をしても美味しい。僕が一番好きな魚だった。
「ご、ごめん」
僕は素直に、相手に損害を与えそうになったことを謝った。
「まあ、こっちは無事だったから良かったけど……そっちは大丈夫?」
「あ、うん……ちょっと腰を打ったけど、大丈夫」
「そう。じゃね」
少女はそう言うと、あっさり離れていった。
肩のところで思いっきり外ハネしている毛先が、歩くたびに揺れている。
彼女は、漁師たちがたくさん住む、鎖橋地区の人かもしれない。
村民には、漁港からいつもこんな風に魚が直配されるからだ。少なくとも漁港関係の人なのは明白だった。
「……ん?」
その時、僕は急に妙な視線を感じた。
この騒ぎを聞きつけて、定食屋やスナックから顔を出してきた客たちの視線……じゃない。
僕はキョロキョロとその視線の主を探した。
いた。
台車だった。
台車の上のミツメウオたちが皆、ぎょろりとこちらを向いている。
「ひっ……!」
思わず全身に鳥肌が立った。
だって、だって、もうあの魚たちは死んでいるはずだ。いくら活きが良いからって、あの状態で……しかも全部の魚が僕を見ることなんて、「ありえない」。
この異様な現象に、少女も気づいたようだった。
「あれ? ミツメウオたちが、誰かを見てる。って、あんたか……」
じっと、憐れむような目で少女が僕を見る。
何? なんで「憐れ」まれなくちゃならないんだ? 僕、何かした?
「ナギサちゃん? すごい音したけど、いったいどうし……」
そう言いながら、定食屋兼居酒屋「海女」の中から、割烹着姿の女性が出てきた。
店主の入江さんだった。
入江さんは店先でやじ馬をしていたお客さんたちを押しのけると、僕と、倒れている自転車、そしてナギサちゃんと呼ばれた少女と、台車の上のミツメウオたちの様子を見た。
そして、一瞬で何かを悟ったようにつぶやく。
「ああ、龍一君か……。あなた、コワガミサマのお嫁さんの付き人になったらしいわね」
すると、ざわざわとお客さんたちがどよめきだす。
あれが付き人になった子どもか、と……。
「ミツメウオも……なるほどね」
なにがなるほど、なんだろう。
入江さんは僕の疑問を見透かしているかのように、丁寧に説明しだした。
「この魚はね、調理する前に誰かをじっと見ることがあるのよ。その見られた人は、なんらかの禁を破って、近々コワガミサマから天罰を受ける人だって言われてる。龍一君、なにかヘマをしたの? 大丈夫?」
「……ッ!」
僕は一気に確信をつかれたような気がして、顔を背けた。
バレては、いないはずだ。いないはずなんだ。
だって、相談しただけだ。
あの人たちに……。
それに成神さんがこの村に来たって、結局どうにもならないかもしれないんだ。だから、これは、天罰を受けるようなことじゃない。
たとえ天罰を受けることになったとしても、僕はそれでもいいって覚悟を決めて行動したんだ。
だから……。
「お、お騒がせしました!」
僕はそれだけ言うと、自転車を起こして急いでその場を去った。
自宅まで懸命にペダルをこぐ。
けれど、僕の脳裏には、いつまでも彼らの視線がこびりついていた。ナギサという少女と、入江さんと、お客さんたち……そして、ミツメウオたちの不気味な視線が。




