ジュン姉の付き人に
0404/10:40/ジュン姉・園田/頭地区の森
「あ、ごめん。しゃべらないで! そのまま聞いて」
ジュン姉と思しき人は、そう言って僕に右の掌を向けてきた。
「…………っ」
思わず「ジュン姉」と叫びそうになっていたが、ぐっと我慢する。
鬱蒼とした森の中で、彼女の周りだけが妙にまぶしかった。
それはジュン姉がもともと素敵な女性、だからじゃない。白いワンピースを着ていたから、白いタコのようなお面を被っていたから……ということでもない。
物理的に、きらきらした何かが彼女の周りを舞っていた。
それはまるでこの世のものとは思えないような神々しさだった。こもれびをキラキラと浴びて、清涼な風をその身に受けて。いつもより数百倍美しく見える。
僕がその光景にうっとりしていると、ジュン姉がつぶやいた。
「リュー君……とりあえず、コワガミサマからの言葉を伝えるね。わたしも、今はコワガミサマの言う通りにした方がいいと思うから」
何を? と言おうとして、僕は口をつぐんだ。
それはジュン姉が、また右手を向けてきたからじゃない。ジュン姉の背後に、よくわからない、わずかに発光する半透明の物体が出現しはじめたからだった。
それは細長いひものようなものだった。
いくつもいくつもひもを伸ばして、ジュン姉のまわりを取り巻いていく。
何本かは地面にまで到達し、またいくつかは宙をさまよった。とにかく、それはとても異様な光景で……。
【矢吹龍一、お前に「役」を与える】
突如、男の声がした。
低い低い、地の底のような声だ。
はっとして顔を上げると、いつのまにかその半透明のひもの塊は二メートルほどの大きさになっていた。シルエットから、どうも髪の長い男の人になっているような気がする
これが、コワガミサマか……?
夢では、たしか黒い煙の姿だった。でもこれはいったい……。そして僕に「役」とは、どういうことなのだろう。
【このままではお前は頭地区の者に捕まり、一生この神社の地下牢で過ごすこととなる。それは我の嫁、日向純も望まぬこと……】
半透明の神様が、ゆらゆらとその髪をなびかせながら語る。
【それを回避するため、日向純の付き人となれ】
付き人?
どういう、ことだろう。そんな役回り、シゲ婆さんの時にはなかったはずだ。いったいどんなことをさせられるというのか。
【付き人という役を得れば、頭地区の者もそうそう手出しはできぬようになる。ただし、これは一時的なものだ。状況によっては、この任はいつでも解かれる……】
一時的?
ますますもってわからない。いったいどういうつもりなのか。
コワガミサマの言葉を引き継いで、今度はジュン姉が語る。
「わたしね、リュー君……夜がまだ苦手なの。ヨソモノたちも……会うのが怖い。夜のお役目なんて、とてもできそうにない。だからね、リュー君……夜の間だけ、わたしの側についていてほしいの。そうしたら、頑張れると……思うから」
そういうことか。
ようやく合点がいった。
そうだ。ジュン姉はいままでだって夜をとても怖がっていたじゃないか。だから昨夜も、僕はジュン姉を助けに行こうと思ったんだ。
昨夜。
そう、昨夜は……ジュン姉は……。
僕の知らない所で、ちゃんとお役目を果たすことができたんだろうか?
【お前が付き人でいられる期限は、日向純が夜の役目を単独でも無事に果たせるようになるまで。一時的と言ったのはそのためだ。さあ、どうする。我としてはこの状況は面白くない……が、夜の贄は今のままだと滞っている。この方法は我も、我の嫁も、お前も、三者すべてが得をする案だ。さあ如何とする?】
おい、あそこにいたぞ、という男たちの声が後方からしてきた。
もうためらっている暇はない。
この申し出を断ったら、きっと僕はあの人たちにすぐ捕まってしまうのだろう。でも、この「付き人」の役を得れば……そうだ、今よりは断然いい。
それに少しでも、ジュン姉の力になれるんだ!
「わかり……ました。役をお引き受けいたします」
そう言って、僕はコワガミサマを見上げた。
【良し。ではお前に我が嫁の「付き人」の任を命ずる】
半透明の毛先の一つがぐぐぐっと僕の方に伸びてくる。いったい何をされるのかと覚悟していると、僕の目の前にあの、「お守り」がぶら下げられた。
これは……僕がジュン姉に作って渡したものだ。どうして……と思っていると、それがするりと僕の首にかけられる。
【この中には、我の生み出した金属があった。これを常に持て】
お守りの表面にコワガミサマの毛先が触れる。すると、そこがキラキラと輝きだして――。
「おいっ、お前! 何をしてる!」
「コワガミサマのお嫁さん……? 何故ここに!」
「離れろ! 無礼だぞ!」
男たちがそこでようやく追いついてきた。
その中の一人が、僕に掴みかかってこようとする。
「やめて!」
ジュン姉が叫ぶ。と同時に、僕を捕まえようとした男の人の足元に、ビシッとコワガミサマの毛の先端が振るわれた。
「ひ、ひいっ!」
一瞬の後に、地面にはスコップでえぐられたような深い穴が開く。
僕を捕まえようとした人はその後ろで尻餅をついていた。
【お前たち。この者を捕えてはならぬ。この者はこれより、未熟な我の嫁、日向純の「夜の付き人」だ。役目が果たされるその時まで、いっさい妨害をしてはならぬ。よいな?】
コワガミサマの言葉が、男たちに向かって突きつけられた。
だが、宮内あやめの運転手、園田だけは臆せず前に進み出てくる。
「……かしこまりました。ちなみに、その具体的な『役目の内容』、『役目が果たされたと判断される時』とは? どういうものなのでしょうか」
園田の質問に、コワガミサマは僕にしたのと同じような説明をした。
園田はしばらく黙って聞いていたが、やがて話が終わると男たちを率いて元来た道を戻っていった。
僕はようやくホッと胸をなでおろす。
「はああ……」
ふと見ると、胸元のお守りはもう光を失っていた。
「えっ?」
驚いたが、それはもう元の普通のお守りだった。
僕はなんと言っていいかわからずに、ぼんやりとジュン姉の方を見つめる。
お面に隠れて見えないけど、たぶん、ジュン姉はいま困ったような笑顔をしていると思った。
「リュー君。あのね、今はこのまま帰って。それと、夜になったら『また』鎖和墓地に来て。わたし、あそこから、村に下りれないの。お願い」
突然、ジュン姉がそんなことを言った。
鎖和墓地?
その場所を聞いて、僕は突然ズキリとこめかみに痛みを感じた。
そこは、たしか。
いや、僕たちが子供のころによく遊んでいたのは七折階段だ。その先の鎖和墓地は薄気味悪くて、あまり行ったことがなくて……。そこにまた来てほしい、だなんて。
また?
またってなんだ。よくわからない。頭痛が、頭痛がして……。
気が付くと、ジュン姉は消えていた。
静かな森の中。
僕はいつのまにか、また一人きりにされていた。